※ 「今月の衛星画像」 2005年のテーマは 道 です ※

Vol.7−05   2005年05月号

ヒジャズ鉄道の支線(Haifa to Dera Line)QuickBirdでみる 
※本ページで使用したクイックバードデータは、DigitalGloge社が所有するデータを日立ソフトウェアエンジニアリング(株)を通じて購入したもので、その一部分を切り出して処理した。

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 ヨルダンの北端でしばらく過ごした。ゴラン高原が目の前に広がり、その手前をヤルムーク川が流れている。ある晴れた日、穿入蛇行するヤルムーク川の谷を双眼鏡で眺めていた私たちは、いくつかの鉄橋が架かっていることに気が付いた。同行の一人が「ありゃ鉄道の橋だよ」と云う。たしかにそのように見えるし、取り出した US ARMY  MILITARY  MAP にも廃線が描かれている(地図2、3)。何日か経って、ヤルムークの谷へゆく機会があった。シリア(現在はイスラエルが占領している)−ヨルダン国境線に沿って川は流れる。国境だけに、検問所が何カ所もあり、川の両岸の要所には双方の監視所がみえる。路肩に車を止め、崖下のヤルムーク川に架かる崩れ落ちた鉄橋を眺める。いつの間にか現れた軍用車が、ピタリと車の後ろに止まる。機関銃を向けられたら写真を撮るなどという話ではない。当方の運転手が「こいつらは日本人で怪しくありませんです。ハイ」などと云ってくれている間に、つくり笑顔でごまかしながらデジカメのシャッターを押し、たまたま撮れていたのが写真2である。
 この辺りは、1960年代後半にイスラエルとの間で戦闘があった場所で、滞在地の周辺には塹壕やトーチカが今でも残る。きっとこの鉄橋も、この時破壊されたに違いないと思い込んで(実際そうかもしれない)帰国した。


地図1 ヒジャーズ鉄道路線図(1914年)「The Hejaz Railway」の地図をもとに着色。
北部の円内が支線。この他にも紅海につながるアカバとアマーンを結ぶ支線があった(現在も動いている)。また、アンマン−ダマスカス間の運行は、1999年に再開し、週に二便が走っている。
写真1 ゴラン高原とヤルムーク川の谷。「この先に“日本軍”がいる(PKF中の自衛隊のこと)」と地元の人が云っていた。かつては、川に沿ってヒジャーズ鉄道の支線が走っていた。川はゴラン高原の麓を深く掘り下げ、右(東)から左へ流れる。10キロほど先で、ヨルダン川に合流。この後ヨルダン渓谷を潤して南下し、死海へと注ぎ込む。遠景の白い山々はアンティレバノン山脈(2005年3月、長谷川均撮影)。
写真2 崩れ落ちた鉄橋。下の画像1の西端に見える、川を鉄道が横切る部分がここにあたる。対岸の円筒状の建物はイスラエル軍の監視塔か。ヨルダン側(手前)では線路は崖下を通っており、線路跡は川をまたぐ部分でしか見ることができない(画像1の西半分を参照(2005年3月、長谷川均撮影))。

 この鉄橋がヒジャズ鉄道(Hejaz railway)の支線のものだというのは、帰国後に知った。ヒジャズ鉄道というのは、映画でアラビアのロレンスが華々しく攻撃していた、SLが走るあの鉄道である。ロレンスが攻撃していたのは、たぶんヒジャズ鉄道の南のほうでここからは何百キロも離れている。上の写真にみえる鉄橋と廃線跡は、ヒジャズ鉄道のハイファ−デラ線(Haifa to Dera Line)のものである(地図1)。ヒジャズ鉄道に関する話は、Webを探すとけっこう出てくる。ここからは、おもに次の3つのサイトの情報を基に、ヒジャズ鉄道の概要を記すことにする。
History of the Hejaz Railway「Jalur kereta api Hijaz」「Hejaz railway」 二番目と三番目は両方ともWikipedia(free encyclopedia)である。しかし、二番目のインドネシア版の方には写真が載っており記述も詳しいようだ(インドネシア語?なので筆者は読めない)。

 ヒジャズ(ヒジャーズHijaz、あるいは ヘジャズ Hedjaz)は現代の サウジアラビアの北西部のことをいう。ヒジャズ鉄道の建設は、オスマン帝国によって1900年に始まり、1908年にはおおかたが完成した。現在のシリアから、サウジアラビアのメディアまでの1300kmと、地中海岸の港町ハイファとシリアのデラ(路線図ではその先のバスラまでのびる)を結ぶ支線、現在のヨルダン南部のマアーンとアカバ港を結ぶ燐鉱石を運ぶ支線がつくられた。鉄道建設の目的は、イスラム教徒を聖地メッカまで運ぶ「宗教鉄道」とされている。しかし、メッカまでは延びず400km手前のメディナが終点となった。それでも、それまで隊商を組織し巨費を使って二ヶ月の旅程であったというトルコ、シリアからの巡礼が、鉄道完成後は二週間に短縮された。1912年頃までは年間3万人の巡礼者を運び、1914年にはこれが30万人にまで増えたという。しかし、これは同時に巡礼者で潤っていた多くの人達から仕事と収入を奪うことにもなった。「宗教鉄道」という表向きの目的の他に、この鉄道はトルコ軍の補給路としての役割も大きかった。それ故に、第一次世界大戦(1914-1918)では徹底的に破壊されたのだろう。
 90年近く前に機能を失ったこの短命な鉄道を、1960年代の半ばに再開させるのを試みもあったらしいが、1967年の 六日戦争(第三次中東戦争)でこの計画も頓挫した。航空機の発達もあり、ヒジャジ鉄道は完全にその役割を終えたのだった(ただし、再開の噂だけはあるようだ)。 現在、ヨルダンの アンマンから シリアまでと、ヨルダンのマアーンの近くの 燐鉱山から アカバ湾までがかつての線路を使った鉄道が通っている。また、マアーンからアンマンを経由してダマスカスへつながるかつての線路沿いに、デザートハイウェイと呼ばれる道路が通っている。
 どこの国でも廃線ブームなのか、線路やかつての駅、車両の残骸はサウジアラビアやヨルダンなどで観光の名所としてまだ保存されているアンマン駅には動態保存されたSLがあるという。このあたりの情報は、前に記した最初のホームページHistory of the Hejaz Railwayに詳しい。

画像1 浄水場か養殖池のように見える施設の西側の集落に、EL Hamma駅(地中海の港町Haifa駅から95km)があった。クイックバード、2004年4月撮像データから作成
画像2 空間解像度2mのクイック・バード画像にかろうじて見える廃線跡。クイックバードのパンクロデータは60cmの解像度を持つ。ところがイスラエルとの協定で、この地域では意図的に2mに落とされて提供される。価格は安くなるわけではない。カンベンしてくれよといいたくなりますよね。
地図2 緑色のマーカーで示した部分が、ヒジャズ鉄道。この地図の凡例欄(上図の範囲外)では、Railroad  Abandaned と記されている。ただ、この線路に沿って、SYRIAN STATE RAILWAYS という記載もある。 上の画像1はこの地図の中央部分、画像2はこの地図の北東端にあたる。1メッシュは1km×1km。US ARMY  MILITARY  MAP より。
地図3 左上の谷がヤルムーク川。左端(北)の湖はガリレー(ガリレア、ティベリアス)湖。ヒジャズ鉄道はヤルムーク川の谷を出た後、ヨルダン渓谷を南下しその後西進、ハイファへ向かう。この図は上記の地図2にDEMを合成したもの。

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