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VOL.3-11  2001年11月

サッポロバレー
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 札幌がソフトウェア関連のベンチャー企業の集積地として注目され,「サッポロバレー」と呼ばれるようになっている.
 現在のサッポロバレーの核心部は2つの地区である.一つがJR札幌駅北口に自然にソフト関連企業が集積して形成された「札幌駅北口ソフト回廊」.20-30社のソフト関連企業が立地するといわれている.もう一つが札幌市の東端にあり,江別市に隣接する「札幌テクノパーク」.こちらは札幌市が造成し,企業誘致を進めた結果,現在30数社が集積している.
 「ソフト回廊」の形成要因としては,札幌のオフィス街である大通公園地区に比べて相対的にオフィスビル賃貸料が安いこと,交通の便がよいこと(とくに札幌駅から千歳空港へ電車で1本,そのまま主要取引先の多くがある東京へと行けること)などがあげられるが,北海道大学に隣接することも大きいといわれている.
 写真1は札幌市中心部のほぼ真西にある大倉山ジャンプ競技場から札幌中心部を眺めたもの(ジャンプ台は観光地としても利用され,競技がない時なら誰でも登れる).中央に東西にのびる大通(大通公園の緑)が見える.そのすぐ北側,写真では白く光るビル群が札幌駅前通沿いのビル群で,そのはずれが札幌駅.そのすぐ北側に広がる緑地が北海道大学のキャンパス.北大は札幌駅のすぐ北側に位置し
ており,北口は駅にも大学にも近いのである.
   
    (写真1)                      (写真2)

写真2・3は「ソフト回廊」の象徴ともいえる「サッポロ・ビズカフェ」.シリコンバレーにあるようなビジネスカフェを作ろうというソフト関連ベンチャーの経営者らのアイデアから生まれたもの.ベンチャー企業の商談スペースや情報交換の場として利用されている.(写真は経済地理学会北東支部例会の巡検(2001.8.31)で撮影したもの.写真2でこちらを向いてポーズを決めているのは某大学の元経済学部長.)
 
(写真3)            (写真4)

 写真4はサッポロ・ビズカフェ内のボードに貼られた来訪者の写真と名刺.北海道知事や文部科学大臣の名刺も見られる.サッポロバレーがいかに注目されているかがうかがわれる.

 写真5はもうひとつの集積地・札幌テクノパークの案内図.テクノパークは,主として地元企業を集めた第一テクノパーク(案内図の右側の区画;1986年12月竣工)と大手中堅の域外企業を集めた第二テクノパーク(案内図左側区画;1990年3月竣工)に分かれている.
 
(写真5)                      (写真6)

 写真6はテクノパークの中核施設・札幌市エレクトロニクスセンター.テクノパークに立地する企業に研修室,会議室,食堂などの共同利用施設を提供するとともに,インキュベーションルーム20室をもち,ベンチャー育成を図ろうとしている.インキュベーションルームはほぼ満室.

 写真7はサッポロバレーを語る際,必ず名前があがる企業・株式会社ビー・ユー・ジー(BUG).現在は札幌テクノパーク内に立地する.
 BUGはサッポロバレーの象徴的企業で,1977年に北大工学部青木研究室の大学院生4人によって設立された会社である.札幌のベンチャー企業の代表的企業であるとともに,BUGから多くの企業が独立しており,その点でも重要な位置を占める企業である.
 青木研究室の青木由直教授は1976年「北海道マイクロコンピュータ研究会」を創設し,そこからBUGなどの企業が巣立つ契機を作った人であるとともに,札幌市の情報産業政策にも関わり札幌テクノパークの形成に果たした役割も小さくないといわれる,まさに「サッポロバレーの生みの親」である.
 青木教授というキーマンの存在,大学を発祥の地として育つベンチャー企業群,そしてその集積などという点で,サッポロバレーはまさに米国のシリコンバレーと似た性格を持つ産業集積地といえるかもしれない.


(写真7)





<写真1-7:いずれも2001年8月・9月,加藤幸治 撮影>



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