VOL.3-10 2001年10月
「アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスの市街地 」
※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
ラ・プラタ川の河口に位置する港町ブエノス・アイレスは、その人口のほとんどがイタリア・スペイン人を中心としたヨーロッパ系移民で構成されている。ほとんどの建築物は、アルゼンチンが最も繁栄していた19世紀半から20世紀前半にかけて移民によって建造された。そのためその街並みはヨーロッパを思わせ「南米のパリ」とも言われている。
写真1は英国塔である。 アルゼンチン空軍広場にある英国塔は、アルゼンチン独立100周年にイギリス移民によって、ロンドンにあるビックベンを模して作られた。
(写真1) (写真2)
大統領府 5月広場にある大統領府は(写真2)、映画「エビ−タ」の舞台としても有名だが、もともとは要塞として建てられた。壁は代々ピンク色に塗られてカサ・ロサーダ(ピンクの家)という愛称で呼ばれている。現在の塗装は近年になって塗られたものだが、財政難から建物の裏面は塗装されないままでいる。
(写真3) (写真4)
写真3はコロン劇場である。 世界三大劇場の一つコロン劇場は、アルゼンチン初の列車駅があったところに建てられている。
5月から11月のシーズン中は週末になるとオペラが開催され、夜になると多くの人でにぎわう。
ブエノス・アイレスの地下鉄は(写真4は地下鉄の入口)、A〜E線の5線あり、そのいくつかは日本の中古地下鉄車両が使われている。一番古いA線はブエノスアイレスが最も繁栄していた1913年に開通した。当時、東京に地下鉄を作ろうと視察団がアルゼンチンに派遣され、完成したのが銀座線である。
(写真5)
ボカ地区(写真5)は、かつてアルゼンチン随一の港町でイタリア系移民が多く住む。すこし外れると長屋が多く貧しい人々が住む地区だが、港周辺は観光地になっていて多くの人々が行き交う。タンゴ発祥の地としても有名。かつてこの国に入る移民たちはまずこの港に到着して各地へ散らばっていった。日本でも「母をたずねて三千里」という題名で知られるイタリア児童文学のスタート地点であり、マルコが母親を追って、港から続くこの道を通って駅まで向かったことが描かれている。
<2001年7月,本学OBで(株)CCS、科学環境システム事業部にお勤めの中島亮さんが、出張中に撮影されました
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