VOL.3-01 2001年01月
「バルト3国の世界遺産」
※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
いわゆるバルト3国がソ連邦から分離独立を果たしてから、はや
10年が経とうとしています。この3国、19世紀初めまでにロシア帝
国の支配下に入り、第一次大戦後の1918年にそろって独立を宣言、
さらに1940年に相次いでソ連に編入されたという歴史から、バルト
3国というように一くくりのイメージで語られることが多いのです
が、民族的にはエストニア人がフィン・ウゴル語系なのに対し、ラ
トヴィア人とリトアニア人はインド・ヨーロッパ語系に属し、また
歴史的にはエストニア・ラトヴィアがドイツとつながりが深いのに
対し、リトアニアはポーランドとの関係が深い、というふうに、ほ
んとうは三者三様に異なる性格を持った国々です。
しかしながら、ソ連邦の地方政策が弱体化した1991年に、やはり
一緒にソ連邦から離脱しましたし、さらに、これら3国の首都にある歴史的町並みが、前後していずれも世界遺産に登録されるなど、
たしかに共通するイメージが多いのもまた事実です。
写真1は、エストニアの首都タリンの旧市街にある高台(トーン
ペア)から見た下町の展望です。いかにもドイツっぽい尖塔を持っ
た教会と、バルト海沿岸地方独特の円錐形の屋根を持った塔(城
壁)が見えます。後方に見えるのはバルト海で、対岸にあるフィン
ランドの首都ヘルシンキまでは、わずか85kmの距離にあり、高速船
(所要1時間半)が約1時間おきに出ています。
(写真1)
写真2は、ラトヴィアの首都リーガの旧市街です。一見するとド
イツの古い街かと見まがう景観で、いわゆるスラブ文化の街とはま
ったく異なります。群を抜いて目立つ2本の塔のうち、左側の塔が
リーガ大聖堂、右側が聖ヤコブ教会の尖塔で、いずれもドイツの教
会によく見られる様式ですが、それも当然で、この街は13世紀初頭
にドイツ人によって建設され、その後ハンザ同盟都市として発展し
た歴史を持っているからです。
(写真2)
写真3は、リーガから電車で1時間 程度のところにあるスィグルダという趣のある町の、郊外にある森 の中にひっそりと立つトゥライダ城跡です。
(写真3)
写真4は、リトアニアの首都ヴィリニュスの中心部にあるゲディ
ミナスの丘より見た旧市街です。手前に見えるのがカテドゥロス広
場と大聖堂。プロテスタント教会の多いエストニア・ラトヴィアと
異なり、ポーランドと関係の深かったこの国では、カトリック教会
が多く、そのためにオーストリアやハンガリーの町並みをほうふつ
とさせる景観が見られます。タリンやリーガの景観と比べ、なんと
なく女性的な柔和な感じがするのはそのためです。
写真5は、ヴィ リニュスの郊外にある保養地トゥラカイの湖畔に建つトゥラカイ城
跡です。 (写真4)
(写真5)
<写真1〜5:いずれも1997年夏、内田順文 撮影>
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