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VOL.3-03  2001年03月

中国の火薬庫:チベット
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  7世紀、ソンツェン・ガンポが統一王朝(吐蕃)を建国して以 来、つねにチベットの中心都市として機能してきたのが首都のラサ です。 標高3650mに位置するチベットの都ラサ、その政治と宗教 の象徴がポタラ宮です(写真A)。ラサはチベット仏教(いわゆる ラマ教)の中心地であり、チベット全土から巡礼者が集まってくる 街でもあります(写真B)。
  1950年の中国軍のチベット侵攻、さらに59年の武装蜂起の失敗と ダライ・ラマのインドへの亡命をへて、中国中央政府は民主改革を 断行、漢民族の大量移住が始まり、65年には西蔵自治区を成立させ ました。こういった、チベット旧来の政治・宗教体制を破壊する中 国政府の方針に、チベット民衆は反発を強め、両者の関係は非常に 危険な状態になり、一般観光客の立ち入りは難しい状況になってい ました。.ル小平時代となって改革・開放政策がスタートし、以前よ りは緊張が緩和され、制限付きで観光客も入れるようになりました が、チベットをめぐる民族問題が解決したわけではありません。
 とはいうものの、こういう深刻な民族問題などまったく関係ない かのように、チベットの抜けるように真っ蒼な空と湖そしてヒマー ラヤの白い峰々(写真C)、そして伝統的なチベット人の生活風景 (写真D)は、昔と変わらぬ姿でそこにありました。


  
写真A:有名なポタラ宮                      写真B:大昭寺門前で五体投地をする人々 


  
写真C:カムパ・ラ(高度4700m)よりヤムドゥク湖         写真D:ユムブラガンから見たツェタンの谷?
                                                 一面に広がるのはチベ ット人の主食チンコー麦の畑
        
  


<写真撮影 内田順文、1994年夏>

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