VOL.6-05 2004年05月
「世界の七不思議」
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古来、ピュタゴラス学派の数秘術では一般に、「三」は完全な精神を表し(たとえばキリスト教の三位一体はこれに由来します)、「四」はあらゆる物質を表した(いわゆる火地風水の四元素ですね)ので、この三と四すなわち精神と物質を足し合わせた「七」という数は「神秘数」とも呼ばれ、つねに特別な意味が与えられてきました。たとえば聖書の中に七という数がやたらと出てくるのは、ご存じの通りですね。一週間が七日なのも、もちろんこれがルーツです。 |
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<写真1> オリンピアのゼウス神殿跡 | <写真2> ロードス港の突堤 |
二つめは地中海に浮かぶロードス島にあったヘリオスの巨像です。ロードス港を見下ろすように建設された、高さ48メートルの、当時としては驚異的な大建築物でした。しかし、紀元前3世紀に地震によって倒れ、7世紀頃アラブ人の手によって撤去されました。今となっては、像の建っていた位置すら正確にはわかりません。写真2は現在のロードス港の入り口に立っている青銅の鹿の像です。伝説によれば、この港をまたぐような姿で立っていたということです。 |
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<写真3> ボドルムの城塞跡 | <写真4> エフェソスのアルテミス神殿跡 |
次の二つは現在のエジプトにあります。五つめは、アレキサンドリアにあったファロス島の大灯台です。紀元前3世紀この地を支配していたプトレマイオス2世の命によって高さ180メートルという巨大な灯台が建設されました。灯台は大理石で造られ、その頂上の明かりは遙か百キロメートル先から見えたとも言われています。その後、9世紀にローマ軍の陰謀によって壊され、14世紀に起こった地震によって完全に崩壊しました。写真5の中央に写っているのが、大灯台の残骸を使って同じ場所に建設されたと言われるカイト・ベイ要塞です。 六つめは、いわずと知れたエル・ギーザのピラミッドで、紀元前25〜26世紀頃の第4王朝、クフ王・カフラー王・メンカウラ王の巨大な墓です。じつは、フィロンの七不思議のうち現在まで残っているのは、このピラミッドしかありません。七不思議の中で最も昔に建造されたにもかかわらずです。ギーザのピラミッドが、いまだに世界中から多くの観光客を引きつけているのも無理はありません。写真6は、最大のクフ王のピラミッドで、左に見えている穴が現在の入り口(かつての盗掘孔)で、そこにいる人影から、ピラミッドの巨大さがわかると思います。 |
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<写真5> アレキサンドリアのカイト・ベイ要塞 | <写真6> エル・ギーザのピラミッド |
さて、最後の七つ目は・・・と紹介したいところですが、残念なことに手許に写真がありません。最後の七不思議は、紀元前7世紀に新バビロニアの王ネブカドネザル2世が造ったとされるバビロンの空中庭園(いわゆるバベルの塔)なのですが、この遺跡は、現在のイラク、バグダッドとナジャフの中間あたりにあり、行く機会を見計らっているうちに今に至ってしまいました。今にして思えば、外務省の渡航自粛を無視してでもフサイン政権下の時代に行っておくべきだったと後悔してもはじまりません。今後最低でも10年は行けそうにありませんし、1999年4月の回にコメントしていたように、行けるうちに行っておかないと何が起こるかわからないというのが、旅の計画の鉄則です。つまり、旅ができるのも「平和」なればこそ、これを忘れてはいけません。 |