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VOL.6-09  2004年09月

「アンガマと獅子舞 八重山地方の旧盆

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 沖縄では毎年八月の満月がお盆で(いわゆる旧盆)、もろもろの行事が執りおこなわれる。旧暦はわかりやすい。夏の満月をみながらご祖先様をお迎えし、亡くなった人を思い出す。村の高台から東の海をみていると、闇のむこうに昇った満月がご先祖様が帰ってくる通り道を作ってくれているような気になる。
 八重山特有の旧盆行事が「アンガマ」である。今年(2004年)は、8月28日の夜から石垣市各地で行われた。私は、白保集落のとあるお宅でこの行事を見物した。アンガマは祖先を供養し、子孫繁栄を祈願する伝統行事だというが、「豊年祭(初夏の一大イベント)やアンガマは、白保ではせいぜい五十年くらいしか歴史がなく、伝統行事という意識があまり無いのだ」という人もいる(五十年という数字のウラは取っていないから安易な引用には注意)。実際、白保のお年寄りに「この村の伝統行事は何だと思いますか?」と聞くと「ソフトボール大会」とか「のど自慢大会」と答える人もいるという。これらの歴史は三十年くらい。意識としては同じようなものなのだろうとは、ことし白保で聞いた話。
 さて、アンガマだが、グソー(あの世)からの使いウシュマイ(爺)とンミー(婆)が大勢のファーマー(子と孫)を従えて家々を訪問し、念仏歌や三線、踊り、珍問答を繰り広げる。時間にしてこの間三、四十分というところ。
 ウシュマイとソミーが屋外にいる問答役の人と裏声で、怒鳴りあうように珍問答を繰り返すのが見せ場。ほとんどが方言だから私などには意味不明。唯一理解できたと思う問答は「今年はあの世も暑いですか?」「マイナス50度くらいだな」「よくそんな薄着で平気ですね?」「・・・・・」答えに詰まったウシュマイが怒り出す というようなやりとり。しかし、ストリーは前もって用意されているらしい。 

写真1 ウシュマイとンミーが仏壇に手を合わせる。花笠をかぶり顔を隠したファーマーが周りを囲む 写真2 迎入れた屋敷の主に、やれ酒を持ってこい、氷水を持ってこいとワガママを云うウシュマイとンミー。手に持っているのはクバの葉で作った扇。 
写真3 ウシュマイ、ファーマーの歌と踊り 写真4 次の訪問先へむかうファーマー体格の良い人は男性

 旧盆には獅子舞を迎入れる家もある。このお宅では亡夫の七回忌に合わせて獅子を迎えたが、別の家では子供の誕生を記念して迎え、その次のお宅は毎年来てもらっているから今年も呼ぶ という具合で迎え入れる理由は様々。アンガマも獅子も、謝礼は1本か2本、あるいは「キモチ」で良いのだそうだ。
 沖縄の獅子は大きい。迫力満点で聴衆を威嚇するから、子供は泣き出し大人も逃げる。三線(サンシン)や太鼓に合わせて舞い、そこに泣き声や歓声が混ざるのでとてもにぎやかだ。お盆の三日間、夕暮れ時から始まって深夜まで何軒もまわる。最後の夜などは、午前三時をまわってもにぎやかに三線や歓声が暗闇の向こうに響いていた。
 ところで、この白保は知る人ぞ知る大島保克(おおしまやすかつ)新良幸人(あらゆきと)などを生んだ芸能の盛んな村である(ただし、最近では彼らの親や祖父母の世代の楽団白百合クラブのほうがはるかに有名か?)。彼らの感性に潜む謎をみたような気がした夏の夜だった。

写真5 仏壇の右側の女性がこの家の主人。夫の七回忌に合わせて獅子を招いた。この夜は何年か前にハワイで買ってきたという自慢のムームー姿で。 写真6 仏壇前での演奏後に、外で獅子舞が始まる。子供を威嚇する獅子。周りは騒然。
写真7 二頭が絡んで舞う国道に面したこのお宅は庭がないので、車線の一方を勝手に交通止めにして獅子舞を挙行。 写真8 子供の健康を願って獅子に食ってもらうということもよくやる。食われた子はやがて獅子の腹から出てくる。この女の子は恐怖のあまり、泣くことも忘れていた。
写真9 大音響をとどろかせながら次の訪問先へ向かう。このトラックを子供達が歓声をあげながら追う。他のメンバーは別の車で移動する。

 (写真1〜9は、いずれも2004年8月、長谷川 均撮影)>
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