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VOL.8-02  2006年02月

「メヒコのコロニアル都市:グアナフアトとタスコ」


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 アメリカ合衆国に行く人は大勢いるにもかかわらず、そのすぐ隣りのメキシコ(現地での呼称はメヒコMexico)となると、日本人にとって本当に馴染みがありません。さらに、その馴染みが薄いメヒコに日本から行く観光ツアーをあえて探してみると、その大部分がカンクンとかロス・カボスといった熱帯のビーチ・リゾートへのツアーですし、稀れにマヤ・アステカの古代遺跡のツアーが見られる程度です。たしかにメヒコの代表的な観光資源といえば、まずこの二つということになるのでしょうが、もう一つ忘れてはならないのが植民地時代のコロニアルな歴史地区の存在です。今回は、日本人にはまだまだ知られていないメヒコの歴史遺産都市を紹介します。

<写真1 グアナフアト市街の中心部> <写真2 フアレス劇場>

 メヒコのコロニアル(植民地都市)といえば、銀鉱山を切り離して考えることはできません。首都シウダード・デ・メヒコより北西へ約300Km、標高2000メートルの高地に位置するグアナフアトは、1548年に銀鉱石が発見されたことをきっかけに急速に発展し、その後資源の枯渇とともに衰退した代表的なコロニアル都市です。かつて銀鉱山から生み出された巨万の富によって作り上げられた豪華な建造物が、現在でも街の至る所に残っています(写真1、2)し、有り余る富によって整備されたかつての人工地下水路は、今では自動車道として利用されています(写真3、4)。おかげで今でも旧市街は細く曲がりくねった小径によって構成され、観光客の散策には絶好の条件を維持しています(写真5)。この街並みは、1988年世界遺産に指定されています。
 

<写真3 市街を縦横に貫く地下道> <写真4 地下道はかつての水路跡>
<写真5 有名な「口づけの小径」 > <写真6 タスコ市街の中心部 >

 首都から南に約150Kmの地点にあるタスコも、同じく銀とともに栄枯盛衰をたどった美しい街です。丘の上に張り付くように形成された旧市街は、それぞれに贅を尽くした数々の教会と広場が無数の細道と大小の階段によって迷路状に結ばれており、いったん迷い込むと方向感覚を失ってしまいます(写真6,7)。なかでも最も豪華なサン・セバスチアン・イ・サンタ・プリスカ教会は、1743年に銀の大鉱脈を発見して大金持ちとなったボルダによって建てられたウルトラ・バロック様式を代表する建築物で、ひときわ目立つ存在となっています(写真8,9)。その夜、丘の頂上から見下ろしたタスコの夜景は、今も忘れられない絶景でした(写真10)。 

<写真7 自動車道から見上げるタスコの街> <写真8 サンタ・プリスカ教会>
<写真9 金で飾られたサンタ・プリスカ教会の内部> <写真10 タスコの夜景>

                                                   (1991年 内田順文撮影)


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