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VOL.8-01  2006年01月

「南紀日置川中・下流域の景観」


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日置川は、紀伊半島南西部を北東から南西方向に向けて流れる、南紀では比較的大きな河川である。写真Aに見られるように、中流部における河床勾配が比較的緩く、湾曲した流路が土地を下刻して形成された穿入蛇行が顕著に発達している。そのため、山に囲まれた中流部であるにもかかわらず谷の幅がきわめて広く、穏やかな居心地の良い地形景観が成立している(写真B)。南紀の一帯は、地学的には中央構造線より南の外帯に属しており、ここでは中央構造線と平行に走る構造的な谷が多くみられるという。日置川中流域では、このような外帯の構造と川の方向とがほぼ一致しているため、このような顕著な穿入蛇行が形成されているのかもしれない。

 写真Bに示したのは、日置川中流部の安居(あご)という集落の様子である。この集落は、熊野古道の大辺路(おおへじ)が日置川を渡る場所にある由緒ある集落である。安居では、紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録されたのを機に、2005年10月から「安居の渡し」が復元されている(写真C)。このような居心地の良い集落や穏やかな河原は、上述のような地形条件のもとに成立している。「安居」とはよく名づけられたもので、集落全体が居心地のよい景観を体現している。 

<写真A 日置川中流の景観> <写真B 熊野古道沿いに発達した安居集落>

写真Dは、安居よりやや上流側に位置する地点(向平)の河原の様子である。清流日置川といえども、今日では上流部でのダム建設などによって、かつての自然の豊かさは失われてしまったようである(地元の方からの聞き取りによる)。とはいえ、今日では貴重となった自然の断片も残されている。写真Dのあたりでも、野外実習に参加した学生により、多数のアユが川の流れ方や流速や石の大きさなどに応じて生息している様子が確かめられた。

また、中州や河原の植生も、増水に伴う自然撹乱に対応して川岸から順にヤナギタデ、ヨシ、カワラハンノキ、エノキなどが生育して形成されたものである。なお興味深いことに、この河原の一部には海岸植物のハマゴウが生育していた。このように海岸の植物が山地部まで入り込んだり、逆に山の植物が海岸近くまで生育する現象は、南紀の植生の特徴の一つとして認められている(後藤 1984)。

<写真C 熊野古道大辺路、安居の渡し> <写真D 日置川中流向平付近の景観>

 冬でも暖かな南紀なので、植林や近年拡大している竹林を除くと、山では照葉樹が旺盛に生育している。とはいえ、南紀といえども他の地域と同じく自然林は希で、人里近くの自然植生は、おもに写真Eのような社寺林に残された林の様子から推定されているにすぎない。南紀の海岸近くのよく保全された森は、ミミズバイ?スダジイ群集と呼ばれ、関東あたりの照葉樹林に比べると照葉樹林の種が格段に豊かな森となっている。

 景観的に卓越するのは、やはり二次林(里山)である。照葉樹が旺盛に再生する南紀では、一年中緑の葉を保つシイやウバメガシなどの照葉樹の二次林が優勢である。表層土壌が残る日当たりのよい斜面は、しばしばシイノキの二次林(写真F右)、土壌の薄い急斜面や尾根部などはウバメガシ二次林(写真F左)となっている。ウバメガシは、高級白炭として有名な備長炭の原木となる樹種である。

<写真E 安宅八幡神社の境内に残された自然林> <写真F 照葉樹の多い里山:シイ二次林(右)とウバメガシ二次林(左)>

文献

 後藤 伸(1984) 紀伊半島南部の照葉樹林.遺伝38(4),90-97.

写真A−F:2005年10月,磯谷達宏撮影


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