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VOL.8-11  2006年11月

「箱根越えと大井川川越え」


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 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とも称される東海道の難所として箱根山と大井川がある。
 まず箱根山についてであるが、写真Aは石畳で、街道の坂道には欠かせない設備である。箱根では各地で当時の景観が修復されており、特にこの部分は1863年(文久3)徳川家茂が上洛した際に改修されたものだという。写真Bは、箱根杉並木である。芦ノ湖に沿って車道を分け、遊歩道としたため、往時の景観を維持している。写真Cは箱根関所(大番所)である。建物はほとんど残っていなかったが、近年復元工事が進められ、今春主なものが完成した。写真Dは遠見番所から臨んだもので、右手が江戸口御門で、中央が大番所、足軽番所などで、ここで通行人の吟味が行われた。左手が京口御門となる。

写真A 写真B
写真C 写真D
  一方、大井川川越であるが、写真EとFは川越遺跡と呼ばれるもので、金谷・島田間の島田側の河原付近に川越のための番屋等を復元したものである。大井川の上流において多くのダムが造られた現在(写真G)水量は少ないが、江戸時代当時も歩いて渡れるということは水位が低かったともいえよう。急流河川のため、架橋や渡船の利用が難しく、歩いて渡るために川止めになる確率も高かったので、難所とされた。しかし、歩いて渡れる河川を防衛線に見立てるのは妥当とは言えないであろう
写真E 写真F
写真G

 (写真A~Dは2006年10月、E~Gは1995年8月、岡島 建撮影).


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