VOL.9-4 2007年4月
「江南の風光」
※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
中国でいう「江南」とは、読んで字のごとく長江の南、とくに長江下流域の南岸、つまり江蘇省・浙江省のあたりを指す用語で、古代の呉や越といった地域にほぼ相当します。険しい山地や砂漠あるいは荒野といった過酷な気候条件の地が多い中国において、温暖湿潤な気候に恵まれた江南の地は、古来より歴史や文学の舞台として、中国人はもとより日本人にも広く親しまれてきました。おそらく日本人の多くがイメージする「中国らしい風景」というのは、この江南の風景ではないかと思われます。
この地域の都市で最もアクセスしやすいのは大都会上海(シャンハイ)です。江南を旅したことのある多くの日本人も、その大半はまずここ上海に一歩をしるしたことと思います。しかしながら上海は、清末以降に発展した比較的新しい都市なので、歴史的イメージの強い「江南」という言葉には、ちょっとそぐわないかもしれません。外灘(バンド)と呼ばれる黄浦江沿いの一角(図1)は、ながらく上海を代表する風情ある風景でしたが、いまではすっかり開発され、昔の面影すら残っていません。
図1 | 図2 |
江蘇省の省都である南京(ナンチン)は、三国志演義で有名な呉の孫権が都とするなど、六朝時代以降何度も首都が置かれた都市で、江南を代表する都市であることに誰も異論はないでしょう。たしかに明孝陵や霊谷寺など、歴史を感じさせる遺物なども残ってはいるのですが、実際に街を歩いてみると、風情という点では、「江南」のイメージからは多少遠いと言わざるを得ません。南京を代表する観光ポイントが中山陵や南京長江大橋(図2)であることからもわかるように、現代の南京はむしろ経済や産業の中心としての大都市としての側面が強く、街をぶらぶらしながらのんびりと江南の風情に浸る、というのは難しいかもしれません。
図3 | 図4 |
上海と南京のちょうど真ん中くらいにある都市が無錫(ウーシー)です。いまや江南を代表する大工業都市ですが、隋の煬帝が建設したあの大運河が今も市街の中心部を流れている(図3)ことからもわかるように、じつは歴史の古い都市です。さすがに市の中心部でのんびり憩うというわけにはいきませんが、郊外にある太湖の沿岸にある鼈頭渚公園(図4)や蠡園・梅園まで足を延ばすと、江南らしい風光明媚な風景が広がっています。
図5 | 図6 |
さらにその無錫と上海の中間に蘇州(スーチョウ)があります。おそらく江南の観光地として最も有名なのが、この蘇州でしょう。日本で売られているパックツアーの数の多さからもそれはわかります。さすがに旧市街には観光地も多く、「拙政園」「留園」「獅子林」「滄浪亭」(図5)などの趣ある庭園や、「風橋夜泊」で有名な寒山寺、春秋戦国時代の呉王夫差ゆかりの虎丘など、いつ行っても観光客でいっぱいです。しかし、蘇州の本当の良さは、こうした有名観光地ではなく、巷間の何気ない風景にあります。そういう意味で、蘇州をヴェネツィアに喩えることもあながち無茶とは言えません。旧市街に広がる運河と石橋の風景はどこをとっても絵になる風景(図6)である点など、どちらもよく似ています。
図7 | 図8 |
「上に天堂あり、下に蘇杭あり」という言い回しでこの蘇州と並び称される杭州(ハンチョウ)のほうは、蘇州と比べて日本人にはあまり馴染みがないようです。上海からバスや列車で移動することを考えると、少し遠く感じられるからかもしれません。しかし結論から言うと、この杭州こそ最も江南の雰囲気を感じさせてくれる街であると、私は断言します。市街の西に位置する西湖を中心に孤山・蘇堤・白堤(図7)・霊隠寺・龍井・玉泉・岳廟などといった見どころが点在し、どこを歩いても趣ある雰囲気が味わえます。「水滸伝」贔屓の私にとっては、花和尚魯智深ゆかりの六和塔(図8)も江南とは切っても切れないものですし、なにより暮れなずむ西湖の風景(図9)は、いまだに私の中国でのベスト・シーンです。
図9 |
今回紹介した都市のほか、揚州・鎮江・常州・紹興・寧波などが一般に知られた江南の都市ということになるのでしょうが、これらの紹介はまた別の機会に譲りたいと思います。
(内田順文撮影:1984、94年)
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