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VOL.9-3  2007年3月

八ヶ岳西岳南西斜面の森林植生」
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 植生においては、植生帯というマクロスケールの分化と小地形(侵食地形など)やギャップ形成(風倒木など)に対応したミクロスケールの分化との間で、10~100km程度のオーダーの空間スケールをもつ地域分化もしばしば認められている。このような中規模の(地域的な)広がりをもつ植生の分布域は、中気候、中地形・地質・土壌や地史などに対応して成立しており、その範囲は明瞭な場合もあれば不明瞭な場合もある。

 八ヶ岳とその周辺域から南アルプスにかけての一帯には、雨や雪が少なく気温の年較差の大きい内陸型の気候および規模の大きな山塊の存在に対応して、地域的な特性が顕著な植生が成立している。その代表的な事例として、この一帯にヤツガタケトウヒやヒメバラモミの優勢な森林が点在していることがあげられる。これらの樹種は、最終氷期には本州の広い範囲で優勢だったマツ科トウヒ属バラモミ節の針葉樹である。

 八ヶ岳の西岳南西斜面は、このようなヤツガタケトウヒやヒメバラモミの自生地として、以前から注目されてきた。さらに近年では、この南西斜面の温帯と亜寒帯との境界付近に生育しているミズナラ−チョウセンゴヨウ−カラマツ混交林の存在が注目されている(沖津 1999)。これは、このような優占種の組み合わせをもつ群落は現在の日本ではきわめてユニークである一方で、これに類似した群落は現在の北東アジア大陸部や氷期の日本において認められているためである(沖津 2001)。つまり、内陸型気候が卓越しかつ山体の歴史が比較的新しいため未成熟な立地環境が残る西岳南西斜面は、氷期の日本で優勢だったものの現在のような間氷期の環境下では生残しにくい氷期型・大陸型の植生がかろうじて生育できる避難地(レフュジーア)として機能しているのではないかと見られている。以下では、このような西岳南西斜面の森林植生について、火山性平滑斜面上とそれを刻む比較的規模の大きな谷とに分けて紹介してみたい。

<写真1> カラマツ沢のカラマツ林(手前)と火山性平滑斜面上のミズナラ-チョウセンゴヨウ-カラマツ混交林(奥:標高約1900m) <写真2> カラマツが次々と再生しているカラマツ沢の崩壊跡地

 まず、後者の大規模な谷地形に成立する森林として、カラマツ天然林とヒメバラモミを含むヤツガタケトウヒ林をあげることができる。写真1の手前に見えるのが、西岳南西斜面を刻む通称カラマツ沢に生育している天然カラマツ林である。カラマツは日本の温帯域で広く植栽されている樹種であるが、天然生カラマツ林の分布域は、かなり限定されている。西岳のカラマツ沢は、天然カラマツ林の数少ない自生地の一つである。おそらく、きびしい環境のため競争相手の樹種がほとんど生育できないため、とくに沢内の崩壊跡地においては、カラマツが自然状態できわめて旺盛に世代交代しているのであろう(写真2)。

<写真3> 学術参考林の看板 <写真4> カラマツ沢の岩塊地に生育するヤツガタケトウヒ林
<写真5> ヤツガタケトウヒ(標高1700m付近) <写真6> ヒメバラモミ(標高1930m付近)

 いっぽう、カラマツ沢の一部の岩塊流斜面には、ヒメバラモミ(写真6)を含むヤツガタケトウヒ林が成立している(写真3,4,5)。一般に日本付近では、現在のような間氷期においては夏緑広葉樹ではブナ属、常緑針葉樹ではモミ属やトウヒ属トウヒ節の樹種が優勢である。それに対して氷期においては、夏緑広葉樹ではナラ属、常緑針葉樹ではマツ属やトウヒ属バラモミ節の樹種が優勢であったことが知られている。トウヒ属のうち、間氷期型のトウヒ節(針葉の横断面が扁平)にはトウヒとエゾマツが、氷期型のバラモミ節(針葉の横断面が菱形)には、ハリモミ(バラモミ)、ヒメバラモミ(写真6)、イラモミ、ヤツガタケトウヒ(写真4,5)およびアカエゾマツなどがある。

 つまり、写真4のような相観をもつヤツガタケトウヒ林は、氷期の景観を現在に再現した、まるでタイムマシンのような森林なのである。間氷期の現在に優勢なモミ属やトウヒ属トウヒ節の樹木は、おそらくマイルドな気候環境に適応して成長が良いため、一般に葉群が密生して幹も太い樹形を示す。それに対して、写真4に見られる氷期型・大陸型のヤツガタケトウヒ林は、葉群が薄く、幹は細いながらもよく伸びたスリムな樹形を示している。このような樹木からなるやや疎らな森林が、氷期からの遺存タイプと見られている林なのである。幸いなことに西岳南西斜面では、我々は現在でもそのような森林を目の当たりにすることができる。

<写真7> 標高約1580m付近の火山性平滑斜面上における土壌断面の一例 <写真8> 管理放棄型カラマツ植林の景観
<写真9> チョウセンゴヨウ <写真10> 管理放棄型カラマツ植林に多く生育するミズナラとチョウセンゴヨウ

 いっぽうで、まださほど解析が進んでいない火山性平滑斜面上のうち標高1840〜2010mの範囲においては、現在の日本ではユニークでかつ大陸の植生と類似したミズナラ−チョウセンゴヨウ−カラマツ混交林(写真1の奥)が生育している(沖津1999)。このような西岳の火山性平滑斜面は、近年の研究によって、以前考えられていたよりも新しい更新世後期の地形であると考えられるようになった(河内・町田2006)。林道付近でたまたま観察できた土壌断面の事例を写真7に示した。この土壌は、再堆積性の地層を母材とした土壌のようであるが、表層部分はきわめて薄く、未熟土の様相を呈していた。

 このような西岳の火山性平滑斜面のうち、標高約1840m以下の領域では、人工林や二次林が多いため、上記のような自然林に近いミズナラ−チョウセンゴヨウ−カラマツ混交林の存在は認められていない。しかし、我々が標高1490-1770mの範囲に広く生育している管理放棄型のカラマツ植林(写真8)を調べたところ、この林では植栽されたカラマツが急速に衰えることなく残存する一方で、その他の高木種の中ではミズナラとチョウセンゴヨウ(写真9)がもっともよく生育していることがわかった(写真10;磯谷・樋口2007)。

 以上で見てきたように、八ヶ岳西岳南西斜面一帯の植生は、日本の他の地域では類例が極めて少ない、氷期からの遺存型で現在の北東アジア大陸部の植生と類似した植生が広く成立しているという点で、たいへん興味深くかつ貴重な植生であるといえる。

文献

磯谷達宏・樋口健太郎(2007)八ヶ岳西岳南西斜面における管理放棄型カラマツ植林の組成と構造.国士舘大学地理学報告15,1-14.
河内晋平・町田 洋(2006)八ヶ岳火山群−長期活動してきた大型火山群.『日本の地形5 中部』(町田 洋・松田時彦・海津正倫・小泉武栄編,東京大学出版  会),96-101.
沖津 進(1999)八ヶ岳西岳南西斜面に分布するミズナラ-チョウセンゴヨウ-カラマツ混交林の構造と植生変遷史上の意義.地理学評論 72,444-455.
沖津 進(2001)北東アジア大陸部での優占樹木であるチョウセンゴヨウは,日本ではなぜ分布量が少ないのだろう?.『植生環境学』(水野一晴編,古今書院)  ,149-159.

写真1〜10:2002年8月,磯谷達宏撮影


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