日本の鉄道交通の中心が1913年開業の東京駅である。写真は、東京駅の象徴である赤レンガづくりの丸の内南口。現在、丸の内口では、開業当時の駅舎に近い形態にする復原工事が行われている。2011年度末に完成予定。写真1の奥にみえる高層建築物は、グラントウキョウノースタワー(右)と丸の内トラストタワー本館(左)。
東海道本線の混雑解消を一つの目的に建設された東海道新幹線は、1964年10月に東京-新大阪間で開業した。その後、1972年3月に新大阪-岡山間が開業。さらに1975年には岡山-博多間が開業し、「東海道・山陽新幹線」となった。写真2は700系ののぞみ。
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写真1 日本の鉄道交通の中心・東京駅(2008年8月宮地撮影)
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写真2 日本で最初に開通した東海道新幹線(2008年5月宮地撮影)
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全国新幹線鉄道整備法(1970年公布)に基づいて1973年11月に整備新幹線計画が公表された。整備新幹線は、北海道新幹線(青森-札幌)、東北新幹線(盛岡-青森)、北陸新幹線(東京-大阪、ただし長野、富山経由)、九州新幹線(鹿児島ルート、長崎ルート)の5路線が該当する。写真3は、1997年に開通した一つの長野新幹線(北陸新幹線の一部)として走るE4系。なお、東海道・山陽新幹線開通後、1982年11月には東北新幹線(大宮-盛岡間)と上越新幹線(大宮-新潟間)が開通している(1985年3月に上野駅、1991年6月に東京駅乗り入れ)。
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写真3 伸張する新幹線整備(長野新幹線:2008年8月宮地撮影) |
写真4 JR信越本線の駅舎として利用されていた軽井沢駅(2008年8月宮地撮影) |
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長野新幹線の開通にともない、JR信越本線(高崎-新潟間、ただし長野、上越経由)は、高崎-横川間と篠ノ井-新潟間で分断されることになった。写真4は信越本線の駅舎として利用されていた軽井沢駅部分のもの。右に長野新幹線の軽井沢駅がみえる。
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写真5 新たに開業したしなの鉄道(2008年8月宮地撮影)
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写真6 国指定の重要文化財として保存されている碓氷第三橋梁(通称「めがね橋」)(2008年8月宮地撮影)
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長野新幹線開業にともない、軽井沢-篠ノ井間はJR東日本から新たに設立された第三セクターしなの鉄道株式会社に経営移管された。写真5の右は、横川-軽井沢間の碓井峠で活躍したEF63形電気機関車。
横川-軽井沢11.2kmは、1893年4月にアプト式鉄道として開通した。横軽間の標高差は約553m(横川駅:標高約386m、軽井沢駅:標高約939m)であり、この間が66.7‰の勾配で結ばれた。写真6の「めがね橋」の橋脚には日本煉瓦株式会社製のレンガが使用された。第三橋梁を含め4つの橋梁が、1993年8月に「碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定された。さらに、ユネスコの世界遺産登録を目指して、2007年6月には暫定登録入りしている。現在、第三橋梁から横川駅までの旧信越本線跡が遊歩道として整備され、観光客でにぎわっている。貴重な近代化遺産を間近に見学することができる(写真7)。
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写真7 遊歩道も整備されている「めがね橋」 |
写真8 現在のJR信越本線横川駅(2008年8月宮地撮影)
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横川-軽井沢間の信越本線は廃止された現在は、JRバスが横軽間を34分で結んでいる。写真8の奥には「碓井峠鉄道文化むら」(後述)が、左には横川名物「峠の釜めし」ののぼりがみえる。 |
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写真9 新たに開園した「碓氷峠鉄道文化むら」(2008年8月宮地撮影)
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写真10 「碓氷峠鉄道文化むら」に保存されているED421号アプト式電気機関車(2008年8月宮地撮影)
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横川-軽井沢間の鉄道廃線を機に、地元・松井田町(現在は安中市)では、文化財の保存普及、情報発信や交流事業を活発化させることを目的に「碓氷峠交流記念財団」を立ち上げ(1999年)、「碓氷峠鉄道文化むら」が開園した(写真9)。碓氷峠を中心に国内で活躍した鉄道車両が保存されている一方、EF63形電気機関車の体験運転や旧信越本線跡で運行されているトロッコ列車に人気がある。鉄道ファンや家族連れで賑わいをみせている。
写真10は、ED421号アプト式電気機関車で1934年日立製作所において製作された。1963年9月アプト線路撤去にともない廃車。横軽間の鉄道交通史において重要な役割を担った一台である。
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