VOL.11-10 2009年10月
「多摩丘陵の地形とその改変」
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人口密度の高い低地や台地と山地との間に位置する日本の丘陵地は、1960年代の燃料革命や高度成長に至るまで、その多くが農村集落や田畑および里山の雑木林(薪炭林や農用林)として利用されてきた。1960年代以降は、平野部からの都市域の拡大に伴って、丘陵地の多くが地形改変を伴う都市化の影響を受け続け、今日では残された自然環境を保全するための活動も行われている。 |
写真1 | 写真2 |
東京都と神奈川県の低地や台地に隣接する多摩丘陵は、1960年代以降の都市化の影響を強く受けてきたという点で典型的な丘陵地である。写真1は、多摩丘陵のほぼ中央にあたる小田急多摩線の栗平駅付近(左)~五月台駅付近(右)を南側から見渡した景観である。この写真からも、里山が多くを占めていた農村地帯が都市化されてきた過程を想像することができる。 |
写真3 | 写真4 |
中地形の一単位である丘陵地の地形は、人工改変の影響をほとんど受けていない場合は、小地形として「頂稜」「谷壁」「谷底」の3つに分類され、さらにそれぞれが、いくつかの微地形単位に分けられている(田村 1996)。その一例を示したのが写真4(横浜市緑区、県立四季の森公園)である。水路より右上の部分が小地形の「谷壁」で、水路を含む左下の部分が「谷底」である。小地形の谷底はさらに、微地形単位の「谷底面」(枯草や木道の部分の堆積地形)と「水路」により構成されている。このような谷底は、かつてはその大半が水田として利用されていた。写真5は、かつての農村景観を保全した「寺家ふるさと村」(横浜市青葉区)の様子である。谷壁から頂稜にかけては主に雑木林によって占められ、谷底部は水田として利用されている。人家や畑は、谷壁下部の平坦面上にみられる。 |
写真5 | 写真6 |
今日の多摩丘陵の地形の多くは、人為的な影響を受けて様々な形に改変されている(松井ほか編1990)。以下では、小地形単位の「頂稜」「谷壁」「谷底」ごとに比較的小規模な改変が行われている場合と、小地形単位の全体構造が崩された大規模改変とに分けて、多摩丘陵の地形改変の様子を概観する。「頂稜」には元から小規模な平坦面や緩斜面が分布しており、そこに軽微な人工改変が加えられて利用される場合がよく見られる。写真6(川崎市麻生区)では、頂稜部にごく軽微な改変が加えられ、畑や果樹園として利用されている。頂稜部のみが住宅地として利用される場合もあるが、元来、平坦に近い地形のため、人工改変の程度は概ね小さい。 |
写真7 | 写真8 |
一方、「谷壁」は、頂稜や谷底に比べて傾斜が急なため、開発の最後まで改変されずに「斜面緑地」として残さている場合がよく見られる。写真7(横浜市緑区)は、周囲の地形が改変されているにもかかわらず、斜面緑地(小規模な谷壁斜面とその上の雑木林)が最後まで残されている様子である。しかし、さらに開発が進むと急傾斜の斜面も崩され、残されていた雑木林が住宅地などに置き換えられていく(写真8:横浜市緑区) |
「谷底」は、元来は平坦な地形であるが、元の地形が比較的よく残されている水田でも、たいてい圃場整備事業による軽微な人工改変が加えられている(写真5)。一方、今日の多摩丘陵の谷底の多くでは、かつての水田にさらに人工改変(厚さ1~2m程度の盛土)が施されている。写真9(川崎市麻生区)では、中央を流れる水路付近が、かつて水田だった頃のレベルに近い地形面であると推定されるが、水路の右側と左側の土地は、それぞれ盛土され、畑地および住宅地となっている。 |
写真9 | 写真10 |
以上で見てきたような概ね小地形単位ごとに施された地形改変のほかに、今日の多摩丘陵では、頂稜・谷壁・谷底という小地形の基本構造が切土・盛土によって全体的に改変された大規模地形改変地も、広い範囲で見られる。このようなタイプの地形改変の事例として、横浜市緑区における大規模な宅地造成のための地形改変の様子を示す(写真10)。 |
写真11 | 写真12 |
大規模な地形改変といえども切土と盛土の量が比較的少ない場合は、頂稜・谷壁・谷底という原地形の構造がある程度残されている場合もある(写真11:八王子市長池公園)。この長池公園では、写真11よりも上流側の流域の地形と植生が、ここが農村地域だった頃に近い良好な状態で保全されている(写真12)。 <引用文献> <写真1~12:2003年2月~2009年7月,磯谷達宏 撮影> |