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VOL.13-06  2011年06月

タイの歴史遺産:アユタヤの遺跡」

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 タイの首都クルンテープ(バンコク)から北へ80km、14世紀から18世紀までおよそ400年つづいたアユタヤ王国の都アユタヤはあります。アユタヤとはサンスクリット語で「平和の都」を意味し、かつて水上交易の要衝として栄え、とくに17世紀には国際貿易都市として繁栄を極めました。御朱印船貿易が行われた江戸時代初期には、日本人町があったことでも知られていますね。しかし、アユタヤ朝はたび重なるビルマとの戦争や王位をめぐる内紛を経て、1767年ビルマ軍の侵攻によって滅亡、かつて栄華を誇ったアユタヤの都は、徹底的な破壊と略奪を受け、その後復興されることもなく廃墟となりました。したがって現在残っているのは、文字通りの遺跡であり、タイ政府によって歴史公園として整備管理されています。なお、この遺跡は1991年に「アユタヤと周辺の歴史地区」の名称で世界遺産に登録されました。

写真1 チャオプラヤ川

写真2 ワット・プラ・シー・サンペット、3本のチェディ

 遺跡の大部分はチャオプラヤ(メナム)川とその支流に周囲を囲まれた中洲に存在しています(写真1)。そのほぼ中央に位置するかつての王宮は、ビルマ軍によって徹底的に破壊されたため、基壇と列柱くらいしか残っていません。王宮の南に位置するワット・プラ・シー・サンペットも破壊によって、僧院も仏像も消失しましたが、3人の王の遺骨が納められているという3基のチェディ(仏塔)のみは美しい形で残っており、アユタヤを象徴する風景となっています(写真2)。
写真3 ワット・プララーム 写真4 ワット・プラ・マハタート
 その東側の池の中には、14世紀の創建になるワット・プララーム(写真3)が、池の対岸にはワット・プラ・マハタート(写真4)があり、さらにその向かい側には、15世紀に建てられたワット・ラチャブラーナ(写真5)があります。また、王宮跡の西側にあるワット・ロカヤ・スタには、巨大な涅槃仏が野ざらしになって横たわっており、写真スポットとなっています(写真6)。
写真5 ワット・ラチャブラーナ 写真6 ワット・ロカヤ・スタ、巨大な涅槃仏
写真7 ワット・ヤイ・チャイ・モンコン、チェディより見た寺院内 写真8 日本人町の跡
 中洲の外側南東方向には、アユタヤ朝の初代王が創建したワット・ヤイ・チャイ・モンコンがあり、高さ72mのチェディと、それを囲む黄金の仏像群で知られています(写真7)。また、この近くのチャオプラヤ川の岸辺は、かつて山田長政ゆかりの日本人町があったところで、その跡には、現在記念碑が建てられています(写真8)。
 一方、反対側の北西郊外には、アユタヤで最も高いチェディを持つワット・プー・カオトンが立っており、夕暮れ時に見るここのチェディの姿はすばらしいものです(写真9)。
写真9 夕陽に浮かぶワット・プー・カオトン
<写真1~9:1993年,内田順文撮影>
                                           

                                              

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