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VOL.14-03  2012年03月

世田谷の歴史地理:その10-二子玉川付近の国分寺崖線-

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   二子玉川付近の国分寺崖線は比高約15m、水利の便のある場所であり、眺望のよい場所としても長く親しまれてきた。崖線沿いには原始・古代の古墳や遺跡、あるいは寺社も多い。  
 

写真A

写真B  
 写真Aは丸子川親水公園として整備されている場所であるが、中央の森が崖線で、左の建物は崖に建てられた介護施設、右手が多摩川低地になる。丸子川は六郷用水の通称で、多摩川から取水し、湧水を集めながら崖線下を通じ、蒲田六郷までの多摩川低地を灌漑するものとして近世初期に開削された。写真Bは崖線の森を活用して整備された岡本民家園である。中央の民家は江戸時代後期(寛政年間頃)に建築された中層農家の旧長崎家住宅主屋で、段丘上の瀬田村から移築されたもの。しかし当時のこの地域の景観をよく再現している。


 
 

図1

写真C

 
 かつて崖線沿いの豊かな自然のなかには実業家や政治家の別邸が点在していた(図1)。写真Cは、1937(昭和12)年建築の旧小坂家住宅で、実業家および政治家として活躍し衆議院議員なども歴任した小坂順造が別邸として建てたものである。崖線の中腹にある湧水と緑を巧みに取入れた屋敷構えを持つ。主屋群は台地上に建てられ、主屋棟、書斎棟、寝室棟が連なって配置され、全ての棟から崖線越しに多摩川の流れを望めるという。写真Cの右手の門をくぐると、崖線の斜面が広がり庭園となっている(写真D)。現在は「瀬田四丁目広場」として保全されている。

 
 
 写真D

写真E

 
 写真Eは静嘉堂文庫の本館である。静嘉堂文庫は、岩﨑彌之助(三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(三菱第四代社長)の父子二代の書籍・美術コレクションを収蔵したもので、現在の建物は1924(大正13)年に岩崎家の墓所のある静嘉堂緑地に建てられたものである。当時のイギリス郊外住宅のスタイルを顕著に表しているという。現在は本館が文庫(図書館)、新館が美術館となっている。 北西部から崖線に沿って、丸子川親水公園および岡本民家園、静嘉堂緑地、瀬田四丁目広場の順に並ぶ。
 
(図1は『世田谷まちなみ形成史』世田谷区より引用、写真はいずれも2012年2月に岡島 建撮影)  
                                           

                                              

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