VOL.14-05 2012年05月
「被災地の鉄道」
※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
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震災から一年経ち、復興支援関係の用事で3月に相馬へ行ってきました。冬に行ったときは、レンタカーで行ったのですが今はなかなかレンタカーの予約が取れないそうです。それで、福島駅からバスで相馬へ向かいました。バスの終点は常磐線相馬駅の近くでした。相馬駅はがらんとしていました。北へ向かう線路はさび付いているようでした。相馬とその北にある亘理の間は、未だに不通のままです。 震災後、私が被災地へ入ったのは3.11からしばらく経ってからです。東北をフィールドにしているわけでもありませんので、出かけて行くことにためらいがありました。この地をフィールドにしている院生に誘われて行ってはみたものの、現地で撮った写真をしばらくのあいだ見ることが出来ませんでした。一年経ってようやく写真を眺め始めたところです。 どういう心持ちで撮っていたのか、写真を眺めてもなかなか現場を思い出せません。GPSロガーの軌跡と、撮影時間を頼りにして撮影場所の同定を始めています。今回はその中から被災した鉄道線路に絞って写真を何枚か並べてみました。 |
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写真1 |
写真2 | |
写真1は、気仙沼線 小金沢駅の北、赤牛漁港付近。おそらく津波の一撃で破壊されてしまった高架線路。橋脚だけが残る。その陸側には、裏返った橋桁の残骸があった(写真2)。 | ||
写真3 |
写真4 |
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気仙沼線大谷海岸駅。この駅舎には道の駅が併設され、「日本一海水浴場に近い駅 はまなすステーション」と名付けられていたという。線路は堆積物で埋まっている。屋上展望室の窓ガラスは残っているが、二階は波が超えている。駅舎の左側には国道を挟んで集落があったが、国道と同じレベルの家屋は流された。 | 気仙沼線松岩駅。近くの高台にある神社から眺め下ろしていて、初めてここを線路が通っていたことに気がつき、それを辿っていくとこのプラットホームの残骸を見つけた。ホームの右端に看板があり「松岩」と書いてある(軽トラの左側)。周辺の建物はなくなっている。 |
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写真5 | ||
写真6 |
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ドラゴンレール大船渡線 気仙沼市鹿折唐桑駅付近(写真5)。かつての大船渡線を、線形が龍に似ているということで、いまはこのように呼ぶのだという。気仙沼は津波と火災にやられてしまった。大型船が何艘も打ち上げられそれらが景観をふさぐように、重なるようにかたまっているところもあった。港には焼けただれた船、言葉も出ない。この写真は、鹿折唐桑駅の北で撮影したものだ。 | 仙石線に放置された車両(写真6、写真7)。あおば通発石巻行快速列車は、野蒜駅を出て石巻に向かっていた。小高い丘を登り始めたところで地震を感じ緊急停止。激しい揺れが収まった後、津波警報が出たので「車内を離れ避難しましょう」とアナウンスが流れたという。しかし、ここより高いところ無しという乗客のアドバイスで車内にとどまることに決め津波の難を逃れた。このあたりの経緯は「震災と鉄道全記録、AERA Mook、2011」に、この列車と直前にすれ違った車両の不運(写真8)とともに詳しく載っている。GoogleEarthの画像を見ると、この車両のすぐ近くまで北東と南東から津波が押しよせていたことが判る(写真7)。 | |
写真7 | 写真8 | |
写真は2011年6月 長谷川 均 撮影 |