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VOL.14-09  2012年09月

  山海関:万里長城の東端

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 万里の長城といえば、月から見ることのできる唯一の建造物と言われ(どうもこれは俗説のようですが)、東は渤海に臨む山海関から西はゴビ砂漠のただ中にある嘉峪関まで3000kmあまり、総延長では約8000kmにもなる世界最長の城壁として有名です。
 一般に長城の東端として知られている山海関は、現在の河北省秦皇島市山海関区に位置しています。いわゆる華北と東北(満州)の境界として古代より城壁が築かれ、交通の要所であると同時に軍事的な要衝でした。現在の山海関は明の洪武帝の時代に整備されたものです。
     

写真1 山海関の東門「鎮東門」、箭楼には「天下第一関」の額が架かる

      写真2 東門箭楼上から見た山海関の内部、遠くに西門「迎恩門」が見える
         
 山海関は一辺約1.1kmの城壁で囲まれたほぼ正方形の城塞で、東西南北にそれぞれ城門が設けられていました。その中で最も有名なものが東門「鎮東門」で、門の上に建つ箭楼には「天下第一関」の扁額が掲げられ、山海関を代表する観光名所となっています(写真1)。城壁に登って外を眺めると、城塞が巨大な正方形であることがよくわかります(写真2)。東門の東側(つまり関所の外側)には多くの窓がありますが、これは矢を撃ち出すための矢狭間です(写真3)。燕山山脈から連なる長城は、北から東側城壁に繋がっており(写真4)、城壁の東南隅にある「靖辺楼」(写真5)からさらに南へと延びています(写真6)。
     

写真3 東門を関外方向から見たところ、矢を射出するための窓が多数開けられている

     

写真4 山海関の東側城壁を外から見たところ、「収営楼」と「鎮東門」

     
 写真5 城壁の東南隅にある「靖辺楼」、現在では見学路の出口となっている       

写真6 靖辺楼より南側の城壁を望む、南門「望洋門」が見える

 
     
写真7 老竜頭の入口に建つ「城海亭」
      写真8 老竜頭の中心に建つ「澄海楼」
   

写真9  長城が海に没する「入海石城」

写真10  老竜頭の先端にある「靖鹵台」

山海関を通り過ぎた長城は、さらに南方に5kmほど延び、そのまま渤海の中へと消えていきます。この部分は老竜頭として知られ、こちらも現在では観光名所となっています(写真7)。老竜頭で最も立派な建物である澄海楼は、明代に造られた高さ14.5mの楼閣で、清代には康熙帝や乾隆帝が楼に登って海を眺め、酒宴を催して楽しんだとされます。現在城楼にある「澄海楼」の額は乾隆帝直筆のものです(写真8)。長城の末端、海に沈みこむ部分は「入海石城」と呼ばれ、明代の名将である戚継光によって建造されたものです(写真9)。その上には「靖鹵(せいろ)台」と呼ばれる敵台が設けられています(写真10)。老龍頭から350mほど離れたところにある海神廟は、明代初期に創建されたもので、門神、海神、天后、八仙など全部で26尊の塑像が祭られています(写真11)。

   

写真11  老竜頭より海神廟方面

   
 <写真:2010年9月,内田 順文 撮影>
                                           

                                              

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