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VOL.15-11  2013年11月

  インド・ジャイプル

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 ジャイプルは、インド北西部ラージャスターン州の州都、人口は232万(2001年)である。ここは、デリーからアラビア海に至る交通幹線上の要衝の地であり、ジャイプル藩王国の首都(1818年―1949年)であった。ジャイプル藩王国は、12世紀のラージプート王国に遡る歴史をもち1600年以来北方のアンベールを都としていたが、1728年にサヴァイ・ジャイ・シング2世(Sawai Jai Singh Ⅱ、注1、注2)が、現在地に新しい都を建設した。遷都の要因は、人口の増加と水需要の増大といわれている。新しい都は、ジャイ・シング2世にちなんでジャイプル(Jaipur,ジャイの町)と命名された。
 この都市は、北インドで都市計画に基づいて建設された最初の都市である。1876年にイギリスの皇太子を迎えるにあたり、藩王ラーム・シング( Ram Singh )は、旧市街の城壁や建物の外壁をピンク色にすることを命じた。それ以来、ジャイプルはピンク・シティといわれるようになった。今日も、旧市街の建物のファサード(正面)はピンク色にすることが法律で定められている。ジャイプルは、インドの伝統工業の中心地で金銀・象牙細工、宝石の研磨加工、絨毯、更紗などの織物製品で知られている。
 近年、日本でもデリー・アグラ・ジャイプルの3都市を巡るパック旅行が企画され、新聞でジャイプルの地名を目にする機会が多くなった。2013年に日本で公開されたイギリス・アメリカ・アラブ首長国連邦合作映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」のホテルは、ジャイプルにあるホテルという設定である。
 
 
写真1 旧市街の中央に位置するシティ・パレスの門(エントランス・アーチ)   写真2 風の宮殿
シティ・パレスの南東にある風の宮殿(Hawa Mahal)は、1799年にサヴァイ・プラタプ・シング(Sawai Pratap Singh)によって建設された。建物は5階建てで高さは15m、外壁は赤砂岩で造られている。壁面にはいくつもの小さいバルコニーがあり、その窓には格子状の透かし彫りが施されている。 内部から外を見ることはできるが、外から中は見えない。かつて王宮の女性たちはここから通行人や町の暮らしを眺めたとのことである。多くの窓があることによって風の通りもよくなり、建物全体にクーリング効果がもたらされる。宮殿内の廊下も幅を狭くし、風の道をつくる工夫がなされている。
 
   
写真3 風の宮殿の上層部から通りを見る
日曜日の午前中に撮影されたこの写真では、オートバイ、サイクルリクシャーは見られるが、人通りは少ない。
写真4 宮殿の城壁を背にした商店街(バザール)
オートバイが置かれてあるところは歩道の一部である。
 
   
写真5 アンベール城内の宮殿に入る門
アンベール城(Amber Fort ・Palace)は、1592年ラージプート族の王マン・シング(Man Singh)によって丘陵の中腹に造られた要塞・宮殿である。城内には、宮殿、ホール、寺院、中庭などがある。写真は、宮殿の入り口に設けられたガネーシャ門。
写真6 室内に設けられた冷房用の水路(溝)
宮殿の中には、勝利の間、歓喜の間、ハーレム、庭園がある。写真は、歓喜の間に設けられた冷房用の水路(溝)である。城周辺の山地から引かれた水は、低層階の貯水施設に集められ、そこから上層階に汲み上げられる。水を入れた桶を持ち上げるための1m 四方位の空間、汲み上げ機は現在も保存されている。
 
 
 
写真7 宮殿内の庭園
歓喜の間で使用された水をここに引き込み庭園が造られている
写真8 水辺に憩う
アンベール城から南におよそ1km、ふたつの丘陵の間を流れる川を堰き止めてできたダム湖(マンサガール湖)とその中に建てられた水の宮殿( Jal Mahal )。2002年にジャイプル開発庁を中心に官・民合同の事業体を組織して湖底を浚渫し、流入する下水に浄化装置を設けるなど環境整備をした結果、水深も深くなり(3m以上)、水質も改善された。今日では、市民の憩の場として親しまれている。
  
 
   
   
注1:インドの初代首相、J. ネルーは「インドの発見」の中でサヴァイ・ジャイ・シングについて次のように述べている。「彼は勇敢な武人であり、堪能な外交官でもあったが、彼には何かそれ以上のところがあった。 彼は、数学者にして天文学者、科学者にして都市計画家であり、また歴史の研究にも興味をもっていた。」「彼は、(中略)そのころのヨーロッパの多数の都市の図面を集めてから、自分の設計図をつくり上げた。これら当時の古いヨーロッパ都市の図面の多くは、ジャイプルの博物館に保存されている。ジャイプルの町は、非常によく、しかも賢明に設計されているので、今なお都市計画の一つのモデルと考えられている。」(J. ネルー、辻直四郎・飯塚浩二・蝋山芳郎訳:インドの発見,p.386-387,岩波書店,1965年)

注2:人名Singhの日本語表記については、シング、シン、スィンなどがあるがここではシングとした。

参考文献
井上 繁:世界まちづくり事典,丸善,2007年. 
辛島 昇他監修:南アジアを知る事典,平凡社,2006年.
Indrapal : Jaipur The Pink City of India, R.P. Misra and Kamelesh Misra: Million Cities in India: Growth Dynamics, Internal Structure, Quality of Life and Planning Perspectives, Niceprinting  Press, New Delhi, p.542-559, 1998. 

 
(2012年12月9日 名誉教授 長島弘道 撮影)   
                                          

                                              

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