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VOL.16-12  2014年12月

  「上信電鉄沿線の絹産業遺産」

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 写真AおよびBは群馬県西部を走る上信電鉄の電車である。写真A、Bともに終点下仁田駅で撮影した。上信電鉄は、明治28年(1895)設立、30年(1997)全線開業した上野(こうづけ)鉄道がその前身で、現存するローカル私鉄では最も古いものの一つである。上州富岡駅を最寄り駅とする旧官営富岡製糸場は、今年(2014)6月に「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産登録が決定された(今月の地理写真Vol.16-10(2014/10)参照)。富岡製糸場は官営の模範工場として、当時のわが国の主力産業であった絹産業の近代化を図るものであった。その立地は、この地域が養蚕・製糸業が最も発達していた地域の一部にあたったことによる。上野鉄道は、この地域で生産された繭や生糸の輸送のために開業したものであり、同じく生糸産地である長野県(信州)に延長する予定で、大正10年(1921)上信電気鉄道と改称した。写真Aはヘッドに富岡製糸場の開業年「明治五年」、側面に「富岡製糸場を世界遺産に」と大書した「世界遺産登録応援号」という電車であった。
     
写真A 写真B
 写真Cは、旧上野鉄道鬼ヶ沢橋梁で、762mmゲージの軽便鉄道として開業した時代の数少ない遺構である。上信電気鉄道と改称後に1067mmに改軌された。写真Dは、終点下仁田駅に隣接して大正年間に建てられたレンガ造り倉庫で、上野鉄道で輸送する生糸や繭の保管・乾燥に使用したという。 
写真C 写真D
 明治時代にこの地域の養蚕農家は組合組織を作り、養蚕・製糸の仕上げを共同で行っていた。製糸の方法は江戸時代以来の手挽きを改良した座繰製糸と呼ばれるものであった。これに対し、器械製糸を普及させようとすることが、官営富岡製糸場の役割でもあった。写真Eは群馬県内で最も古い組合製糸である碓氷社の本社事務所、写真Fは富岡の隣町に設立された甘楽社小幡組のレンガ造り倉庫である。写真Gはこの倉庫が残る小幡の町並みである。もともとは城下町の商家の町並みであったが、道の中央を水路が流れ、両側に商家や養蚕農家が軒を並べる製糸業で栄えた町である。現在も群馬県は日本の繭生産量の1/2を占めており、養蚕農家(写真H)が点在し、桑畑(写真I)も広がっている。
 官営富岡製糸場は民間払い下げの後、近年まで片倉製糸工業の工場であった。現在のように内部までの見学はできなかったが、建物の見学は可能であった。写真Jは1997年に見学したときの写真である。
写真E 写真F
     
     
 写真G    写真H
     
     
 写真I    写真J

(写真A~Dは2010年5月、Eは2008年10月、F~Iは2005年10月、Jは1997年9月、いずれも岡島 建撮影)
                                          

                                              

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