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VOL.17-04  2015年04月

  ワルシャワ ―ヨハネ・パウロ2世通り界隈―

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 2014年8月、国際地理学連合のクラクフ地域会議(IGUKrakow2014)のあとワルシャワに5日間滞在しました。滞在期間中、宿泊していたホテルの近く、ワルシャワの市街地をほぼ南北に走るヨハネ・パウロ⒉世通りと東西に走る聖十字架通りの交差点あたりを中心に⒉日間、延べ6時間ほど歩いてみました。ここは、第二次世界大戦中多くのユダヤ人が強制的に収容された、いわゆるワルシャワゲットーの一部です。都市開発が急速に進んでいるワルシャワで、かつてのゲットー地区はどのようになっているのか、かつての遺構はあるのかということなどに関心を持っての、いわばタウン・ウォッチング、自主巡検です。
 実際歩いてみて、このあたりには高層ビルが多く建設され、ワルシャワの中でも開発が進んでいる地区のひとつではないかとの印象を受けました。1989年以降社会主義体制の崩壊のあと、市場経済の導入、EUへの加盟などポーランドの社会・経済体制が大きく変化しました。 経済のグローバル化の影響は、外国企業の進出という形で首都ワルシャワに及んできます。その結果としてオフィス需要の増加、情報化社会に対応可能な通信施設の整備など、社会主義時代とは次元の異なる都市政策、都市整備が求められているのが現状だと思います。そうした状況の中でゲットーの遺構が一部保存されていること、かつての路面電車のレールが一部保存されている道路、旧軌道跡が史跡として表示されている道路、ところどころに造られた小さい緑地空間など過去の歴史的事実を取り込んだ街づくりがされていることを知ることができました。

写真は、北から南へとほぼ歩いた順序になっています。

 
           
    写真1 市場 写真2 かつてのトラム(路面電車)の通り  
    ヨハネ・パウロ2世通りにある市場。2棟あり、道路寄りがHala Mirowska、奥がHala Gwardii。この市場は1899年~1901年に開設された。第二次世界大戦時にドイツ軍によって、完全に破壊され、壁の一部だけが残った。戦後、1950年代から60年代にかけて再建された。 内部はドーム型の天井で、日用品・雑貨などを扱う多くの店が入っている。市場の前の歩道は、幅が広く大きな街路樹があり、テントを張った花屋が何軒も並んでいる。
線路が残された軌道は、道路としてそのまま使われている。
 
    写真3.フォドナ通りの「記憶の歩道橋」(The Footbridge of Memory) 写真4 GHETTO WALL 1943  
フォドナ通りを挟んで南側と北側のゲットー(注1)を結んでいた木製の歩道橋があった通りに、2011年9月に設置されたモニュメント(注⒉)。  歩道橋のモニュメントのある歩道にはめ込まれた「ゲットーの外壁ここにありき」の標識(鉄板)。この標識は、ユダヤ歴史協会(Jewish Historical Institute) と市のモニュメント保全事務局(City Monument Protection Office)によって2008年から2010年にかけて22か所に設置された。
     
    写真5 古い建物 写真6 通りに面した壁に架けられた鋳物板  
    いかにも古い建物なので、近くを歩いている人に聞いたところ、窓がないので工場の跡ではないかとのことであった。 上部に「AK」の文字があり、大文字の「P」と「W」を重ねた碇のマークがあるので、ワルシャワ蜂起の時の国内軍に加わった人を祀るモニュメントと思われる。こうしたモニュメントは、形はさまざまであるが、市内に何か所もあるとのことである。  
    写真7 ズウォタ通り62(Zlota62) の中庭にある壁 写真8 シェンナ通り55(Sienna 55)の中庭にある壁  
ここは、インフォメーション センターや案内書でも紹介されている場所である。
壁の高さ3m。この日は、イスラエルから来たグループ(15人位)⒉組が、イスラエルの旗を持った案内者に連れられて来ていた。
ズウォタ通り62から入る。写真左のプレートには、「ゲットーを囲むためにナチによって造られた壁に取り付けられたプレートと当初からそこに使われていた煉瓦⒉個を、ワシントンにある合衆国ホロコースト記念博物館の常設の展示にオーセンティックパワーを与えるために持っていきます。1989年8月」と記されている。
           
     写真9 プロズナ通り(Plozna)  写真10 グジボフスキ(Grzybowska)通りにある小公園    
かつてユダヤ人が住んでいた集合住宅跡。 2013年に撮影された写真では窓枠位の大きさの写真が何枚も掲げられていたが、現在はシートで覆われている。写真右手にも同様のアパートがあったが、2013年に新しいオフィスビルになったとのことである。 旧来の区画を利用した小緑地空間(近隣公園)。このような小緑地空間が何か所か見られる。
         
写真11 文化科学宮殿の展望台からの眺め 写真12 ワルシャワ中心部展望(「ワルシャワ 過去と現在」から引用)
社会主義時代に建設された建物に隣接して今日的なデザイン、新しい建築素材を用いた高層ビルが建てられ、都市の景観が変わりつつある。宮殿敷地内にもGHETTO WALLが存在したことを示す標識が設置されている。  ヨハネ・パウロ⒉世通りをとらえたこの写真には次のような説明がされている。「もはや文化科学宮殿はワルシャワにおいて絶対的な威容を保つことはできない。50~60階建ての高層ビルが毎年街の顔を変えつつある。」
写真左手尖塔のある建物が文化科学宮殿。左手平屋の部分は、現在新たにビルを建設中で、2014年8月には地下部分の工事が行われていた。


1)ワルシャワのゲットー開設は1939年。南側ゲットーに収容されたユダヤ人数10万人、北側は30万人。
2)「記憶の歩道橋」の装置。道路を挟んで金属のポールが⒉本ずつ、計4本建っている。道路の上部に幅27mの光ファイバーが張られている。日が暮れるとポールに内包された発電機が作動し、光の橋が写し出される。ポールには、双眼鏡がはめ込まれていて、当時の写真、歩道を歩く足音もきこえるようになっているとのことである。撮影者は、残念ながら日没後の光の橋をみる機会を逸した。

参考文献
鈴木亮平・西村幸夫・窪田亜矢:ワルシャワ歴史地区の復原とその継承に関する研究, 公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集, Vol.47,No.3, 2012年3月.
Anna Kotanska・Anna Topolska: Warsaw Past and Present, Parma Press, 2012.
樋口直樹:世界 道ものがたり ポーランド・ワルシャワ フォドナ通り, 毎日新聞(夕刊)2013年11月11日付け.  

 

 (2014年8月25-26日 名誉教授長島弘道 撮影)

                                    


                                              

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