Back Number をみる

VOL.17-01  2015年01月

  大震災からの復興(2)~福島県川俣町・飯館村・南相馬市~

※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
このページは、1024×768以上の画面でごらんください。画面が小さいと写真の配列位置がこわれます。

※写真や画像の引用に関する問い合わせは、こちらのリンク先ページをご覧下さい。

「今月の衛星画像」 を見る


 2014年9月、私はゼミでお世話になっている福島県二本松市東和地区から川俣町、飯館村、南相馬市に出掛ける機会を得ました。東日本大震災後、「浜通り」の地域を訪ねるのは初めてのことでした。今なお残る、津波被害の痕跡、原発事故にともなう作付規制の現場を見学して、震災復興の難しさを感じました
     
写真1 写真2
   写真1・2.この写真は、川俣町山木屋地区を撮影したものです。この地域は居住制限区域に指定されており、昼の立ち入りは可能ですが、夜間の滞在はできない地域です。山が大きく削られています(写真1)。除染作業後の農地に山土を覆土する(写真2)ために、大量の山土を削り出しているのです。写真2の奥をみると、除染作業で出た土を詰めた袋が仮置きされている様子がわかります。

写真3. 飯館村役場です。震災前、飯館村は独自の地域づくり(までいライフ:丁寧に、大事に、思いやりをもって生活する)、産業振興(飯館牛のブランド化など)が進められていました。阿武隈高地に広がる飯館村は、「日本で最も美しい村」連合にも加盟する「田園景観美」が魅力の村でした。現在、村役場の機能の一部は、福島市の飯野出張所に置かれています。

写真4.南相馬市原町区上渋佐からみた風景です。この場所は、海岸線から約2.1kmにあります。わずかに数本の木が残っていますが、建物などはまったく残っていません
     

写真5.この地域(南相馬市原町区上渋佐)では、震災から3年半が経過した2014年9月の時点でも、津波被害の痕跡が生々しく残っていました。写真の建物被害の状況から、この地域も2~3mほどの津波が押し寄せたことが推測されます。
※南相馬市の海岸部では、約7~16mの津波が押し寄せたそうです。

写真6.南相馬市小高区の国道6号線沿いでみた風景です。津波で流された乗用車が今なおそのままになっていました。


写真7.国道6号線に立てられた「東日本大震災津波浸水区間」の看板。浸水区域は、国土地理院の「浸水範囲概況図」でも確認できます。
参照URL  http://www.gsi.go.jp/kikaku/kikaku40014.html

写真8.南相馬市小高区で農業を続けてきた根本洸一さんから、震災後の農業についてお話を伺いました。

     
     
 写真9.約7.2haの経営耕地のうち、有機栽培(約1.5ha)、特別栽培(約1.3ha)を行ってきた根本さんは、福島県有機ネットワークの元代表で、有機農業の普及に尽力をしてきた方です。根本さんは、現在相馬市から40kmの道のりを約1時間半かけて、「通勤耕作」されているそうです。それゆえ、作付面積も約2haほどに留まらざるを得ないとのことでした。
   写真10.現在も、根本さんが生産するお米は販売できません。写真の水田は、放射性物質が、どの程度土壌から稲に移行するのかを調べるための「試験田」とされています。
     
     

写真11.震災から3年半が経ち、根本さんの農地以外はほとんどが荒地になっていました。イノシシ被害も拡大しているとのことです。

   写真12.「強いられた被害」にどう立ち向かうのか、難しい問題です。悔しさ、怒り、いたたまれない気持ち、、、根本さんをはじめ南相馬の皆さんの気持ちはいかばかりか。なかなか言葉が出ません。しかし、根本さんは私たちに静かに語りかけてくれました。―「よい日本を創ってください」―  一人の市民であり国民である学生たちも私も、社会の一員として大きな責任があることを学びました。
 ※根本さんのところで新たに始まった取り組みは、福島県有機農業ネットワークのブログ記事などで確認できます。是非ご覧ください。http://fukushimayuuki.blog.fc2.com/
     
     
写真:すべて2014年9月宮地撮影
 
 
 
                                          

                                              

今月の地理写真バックナンバー