Back Number をみる

VOL.17-11  2015年11月

  ポーランド:ショパンの生家および周辺地域

※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
このページは、1024×768以上の画面でごらんください。画面が小さいと写真の配列位置がこわれます。

※写真や画像の引用に関する問い合わせは、こちらのリンク先ページをご覧下さい。

「今月の衛星画像」 を見る


       

2014年8月、ポーランド・クラクフで開催されたIGU地域会議終了後、ワルシャワに移動し5日間滞在しました。その折ポーランド科学アカデミーのズビグニエフ・タイロル(Zbigniew Taylor)氏夫妻にワルシャワ近郊の農村を案内して頂きました。写真はその時に撮影したものです。タイロル氏は、専門は交通地理学。1987年都留文科大学で開催された「日本・ポーランド地理学シンポジウム」に参加、閉会後当宅にホームステイ(4泊)。2000年早稲田大学で開催された日本地理学会春季大会の東欧に関するセッションに参加、その時は夫人同伴での再来日でした。

     
               
               
        1.対象地域の概略図    2.ショパンの生家・公園入口      
      中央部を流れる川はヴィスワ川。国道2号線は、東西を結ぶ主要道路、西はポズナンからベルリン、東はミンスクさらにはモスクワに通じている。この道路沿いには、トヨタ、ホンダ、VWなどの自動車のディーラー、保険会社、通信関係企業、マクドナルドなどがある。当日は580号線、いわば旧道経由で目的地に向かう。   フレデリック・ショパンの生家・公園は、ワルシャワの西およそ54km、ジェラゾヴァ・ヴォラにある。右手の建物(パビリオン)は、ショパンの生誕200年を記念して2010年に建設された。中にはチケット売り場、ギフトショップ、カフェなどがある。現在はフレデリック・ショパン博物館(ワルシャワ)の分館として管理・運営されている。年間来訪者数20万人(2014年)      
             
           
               
      3.ショパンの生家
  4.公園から見たショパンの生家      
        1810年3月1日ショパンはここで生まれた。当時の所有者はルドヴィカ・スカルベク伯爵夫人、ショパンの父親は住み込みの家庭教師であった。その後、火災があったり、所有者も数回変わった。1928年に、「ショパンの家友の会」とソハチェフ(Sochaczew)の「ショパン委員会」によって建物と敷地(36,000平方メートル)が従前の所有者から購入された。その後も敷地は順次購入・拡大され、1930年代には公園(庭園)として整備された。2010年には建物が改修され、併せて資料の展示も出生地であることを踏まえて構成されるようになった。   右手はショパン像。1969年に彫刻家 J. ゴスワフスキによって制作された。
     
               
        5.ショパンが洗礼を受けた聖ロフ教会   6.農村景観      
      生家から北におよそ10km、ブロホフ(Brochow)村にある教会。ここではショパンにちなんだコンサートが開催されることもある。   牧草を刈りとった後の農地と集落。      
               
               
             
        7.住宅地化の進展   ⒏.マナーハウス レストラン・ホテルの広告      
        周囲を樹木で囲まれたセコンドハウス(注1)と思われる家屋も見られたが、より顕著であったのはこの写真のような、おそらく居宅と思われる新しい住宅であった。何戸かまとまっている場合と農地の中にぽつんと1軒建っている場合がある。。   ショパンの生家の駐車場に隣接して立てられている広告。かつてのマナーハウス(領主の館)を利用したレストラン&ホテル(注2)。地域の歴史的資源の今日的活用のひとつの事例として興味深い。      
             
               
      ⒐.列車内のパフォーマンス   10.終点ヴィルチェ・トゥウォフスキエ      
      ソハチェフとヴィルチェ・トゥウォフスキエ( Wilcze Tulowskie) 間には狭軌の列車が運行されている(注3)。距離は18km。1日1往復、所要時間1時間15分(北方面行き)、現地には2時間30分位滞在可。民族衣装の女性3人が、歌詞カードを配り歌う。みんなで歌う。2~3曲歌い、次の車両に移動する。
  ここは、ハイキング、サイクリング、スキーのクロスカントリーのコースとして知られているカンピノスキ( Kampinoski) 国立公園の入り口(注4)。この日も列車から降りた人たちは、足早に森の中に入っていった。車で来てサイクリングをしている人もいる。      
             
                   
      11.カンピノスキ国立公園の標識   12.ヴィスワ川の北側。      
      森には、下草が少ない。   ヴィスワ川北岸の村、ツェルヴィンスクn. ヴィスラ( Czerwinsk n. Wisla)の高台からヴィスワ川を望む。 
 
     
        注1 今回は、セコンドハウスを確認し、写真を撮る機会がなかったが、ポーランド全体ではセコンドハウスが増加しているとのことである。IGUクラクフ地域会議でもセコンドハウスに関する報告があった。例えば、Adamiak C.: Changing social geography of second home tourism in Poland, the case of Bory Tucholskie region. ( 概要はインターネットで検索可) この報告によると、ポーランドにおけるセコンドホームの建設はここ20年間に2倍になり、2013年段階で60~70万戸と推定されているとのこと。ここで使われているセコンドホームは、セコンドハウスと同じ意味でつかわれている。ただ、セコンドホームをつくる動機、利用方法も変わってきており、その結果としてセコンドホーム利用者のコミュニティーにも変化が見られるようである。

注2 地方道580号線沿いにある18世紀バロック様式の領主の館。1962年にモニュメントとして指定される(登録番号1109/611)。

注3 ソハチェフ狭軌鉄道(750mm)は、1922年ソハチェフとトゥロヴィツェ(Tulowice)間に開設された。
1924年にはヴィスワ川の対岸まで延長され、旅客および木材、砂、石炭、農作物の輸送に使われた。1986年以降ソハチェフ・ヴァスク駅と列車の運行は、ワルシャワ鉄道博物館ソハチェフ支部の事業として運営されている。

注4 カンピノスキ国立公園は、1959年開設、面積385平方キロメートル、2000年にはユネスコの生物圏保護地域に指定された。いくつかの砂丘があり多くは松で覆われている。砂丘と砂丘の間は泥炭地、牧草地、湿地になっている。そこには農家も散見される。
                          
     
             (2014年8月23日 名誉教授長島弘道 撮影)      

                                    


                                              

今月の地理写真バックナンバー