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VOL.17-10 2015年10月
「ポーランド・ザコパネ」
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ザコパネは、ポーランド南部、マウォポルスカ県の小都市(町制施行1933年)で、人口は27000人(2010年)である。ポーランドの古都、県の行政・教育・文化の中心地クラクフから南に100km、車で約2時間の距離にある。カルパチア山系のタトラ山地の北側に位置し、標高およそ850m。 この地域は、夏はハイキング・登山、冬はクロスカントリー・スノーボードなどに適しているのでリゾート地として広く知られており、ザコパネはその中心地である。年間観光客数は150万人。 |
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写真1 旧木造教会 | 写真2 石の礼拝堂 | |||
1851年に設立された最古の教会。太い丸太の木組みが特徴的である。 | 旧木造教会から20m位のところにある1800年代に建設された礼拝堂。 | |||
写真3 墓地=STARY CMENTARZ NA PEKSOWYM BRZYZKU |
写真4 コルネル・マクシンスキ(Kornel Makuszynski)の墓 | |||
この墓地の用地は、1850年代にジャン・ぺクサ(英語表記 Jan Peksa)から教会に寄贈された。墓地の名称には寄贈した人の名前が記されている。PEKSOWYM
BRZYZKUは、“Peksa’s Brook”とのこと。 墓地には70の墓碑がある。その中には、ザコパネ スタイルを提唱・確立したスタニスワフ・ヴィトキエヴィッチの墓もある。 |
墓のひとつの例。マクシンスキ(1884-1953)は、児童向け作品でポーランドではよく知られた作家。「月を盗んだ双子」は映画化された。彼の墓には、今でも多くの人が訪れ、いつも花や人形が供えられているとのことである。 |
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写真5 グバウフカ山頂駅付近からザコパネの街を望む | 写真6 クルプフキ通りの賑わい | |||
標高1123mのグバウフカ山頂駅まではケーブルカーで約5分。隣接した登山路を歩いて登る人もいる。 | ザコパネの目ぬき通り、クルプフキ通りには土産物店、カフェ、ホテルなどがあり、多くの人で賑わっている。 英語で” SALE”と書いた看板もある。 |
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写真7 サバラホテル | 写真8 職業学校の旧校舎 | |||
クルプフキ通りの中ほどに、この地方の古い建築様式で建てられたサバラホテルがある。コテージとして完成したのが1894年、最初の宿泊客は1898年とのこと。⒉階のレストランの一部は道路に面したテラスになっており、ここからは街行く人が良く見える。この日も観光客を乗せた馬車が通り、ぬいぐるみの白熊が観光客と握手をしていた。 | 山の民(ハイランダーズ)が収入を得るためには、技術を身につけることが必要であるとの趣旨で、1877年に地域の組織( The Tatra Society)によって木工技術の学校(The Wood Carving School)が開設された(注)。1883年には、クルプフキ通りに新築移転し、その建物は2013年まで使用された。写真はその建物である。学校自体は、住宅建設、景観デザイン等のコースを持つカレッジとして今日に至っている。 | |||
写真9 ザコパネのスモークチーズ | 写真10 スキー・ジャンプ競技場 | |||
チーズの原料は牛、羊、山羊の乳で、形は極めて多様、これはその一例。 |
このジャンプ競技場で最初の競技が行われたのは、1925年3月22日、その時の最長不倒距離はポーランド人ジャンパーによる36mであった。その後、1929年、1939年、1962年にノルディックスキー世界選手権ジャンプ競技が行われた。現在までの最長不倒距離は140.5m、これは2010年のFIS世界選手権ジャンプ大会においてシモン・アマン(スイス)によって記録された。 | |||
注:木工技術を習得するレベルについては、基本的な技術の習得から都市の需要を満たし得る芸術力を習得するものまでいくつかの段階があったとのこと。 | ||||
(2014年8月20日 名誉教授長島弘道 撮影) |