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VOL.17-09  2015年09月

  戦後70年目の波照間島

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  戦後70年.私にとっては平和の尊さを改めて認識する夏になりました.8月,私は日本の有人島として最南端にある波照間島を訪ねる機会を得ました.美しい海と星空,のどかな田園風景が広がる南の島ですが,波照間島をはじめとする八重山諸島の島々では,戦中から戦後にかけて悪性マラリアの有病地域であった西表島や石垣島の山間部へ強制疎開を強いられ,多数の住民が犠牲となったのでした.

       
    写真1 写真2
石垣島から波照間島へ
波照間島には,石垣島から船で渡ります.
「最南端の島」波照間島
竹富島,黒島,西表島などを眺めながら,船に揺られること約1時間.波照間島が見えてきました.面積約12.8㎢,周囲約14.8kmの島です.
   
   
写真3
写真4
    住民生活を支える共同売店
島の中央部に5つの集落があります.それぞれの集落には,共同売店があります.住民の生活を支える商店です.
観光客が増加する波照間島
私が宿泊した民宿のお父さんも話されていましたが,波照間島への観光入込客数はとくに2000年代半ば以降増加傾向にあります.14,354人(2005年)→27,567人(2010年)→34,744人(2014年)※数値は,竹富島ホームページより転載.共同売店のなかには,お土産品が並ぶところもあります.
   
    写真5 写真6
離島でもすすんだ農業構造改善事業
波照間島の2010年における産業別就業人口をみると,最も多いのが宿泊業,飲食サービス業の319人,次いで教育,学習支援業の94人,卸売業,小売業の85人,農業の84人となっています.「農業の島」とは言い切れませんが,土地利用上は農地が多くを占めています.その農地は,圃場整備と灌漑施設の整備が進んでいます.
牧草畑とサトウキビ畑
サンゴの石垣に囲まれた牧草とサトウキビ畑です.牧草畑をよくみるとヤギがいます.島の食堂(居酒屋)では,ヤギの刺身やヤギ汁もメニューにありました.
       
       
    写真7 写真8
    農業用のため池
沖縄県の島々では,多くの島が乏水性の土地柄に悩んできました.波照間島では,農業構造改善事業の一環として農業用のため池がつくられ,灌漑施設の整備も進んできました.
製糖工場
「さとうきびは島の活力源」!今も糖業は波照間島の住民生活を支えています.写真の波照間糖業は,黒糖を製造しています.沖縄県内で黒糖を製造しているのは8つの島だそうです.それぞれの黒糖を原料にした「八島黒糖」というこだわりのお土産品もあります(沖縄県黒砂糖協同組合:http://www.okinawa-kurozatou.or.jp/
 
     
写真9 写真10
星空観測タワー
波照間島観光の醍醐味の一つが,満点の星空です.夜になると星空ツアーに参加する観光客が多いです.私が訪れた時は,丁度ペルセウス流星群がよく観測できる日でした.星空ツアー参加後,早めに寝て早朝3時半ころから1時間ほど集落のはずれで星空観賞を楽しみました.
日本の「最南端」
波照間島の南端です.ここには3つの碑があります.1つは,1972年に建てられた「日本最南端の碑」,2つめが戦後50年にあたる1995年に竹富町によって建てられた「日本最南端平和の碑」,3つめが「波照間之碑」です.それらの碑に至る「蛇の道」は,日本の各県の石を集めて作られたとのことで,「二度と戦争によって内地と離ればなれにならないように」という願いが込められています.
写真11 写真12

「一生忘れない」戦争マラリア
波照間島を含めた八重山地域では,(少なくとも)1920年代以降,マラリアの犠牲者がいました.しかし,その数が急増したのが1945年から48年にかけてでした.この背景にあったのが,第二次世界大戦の末期に行われたマラリア有病地域への強制疎開でした.波照間島は,島民1,590人のうちマラリア罹患者数が1,587人,死亡者は477人にのぼりました.1997年に刊行された本書(写真11)に,私が宿泊した民宿の先代のご主人は「一生忘れない」とマジックペンで明記していました.

波照間島に建てられている「学童慰霊碑」
323人の強制疎開児童のうち,66人が亡くなったとのことです.慰霊碑は1984年に,強制移住先の西表島南風見を望む高台に建てられました.
写真13 写真14
波照間小学校の外壁に描かれた「星になった子どもたち」
「戦争マラリア」で亡くなった波照間小学校児童を悼む鎮魂歌です.1993年に波照間小学校全児童が「平和作文」を創作し,合作で作詞されたものです.壁画は翌94年の卒業創作で作られたものだそうです.
八重山平和祈念資料館
石垣島にある「戦争マラリア」の被害を展示した記念館です.8月15日に訪ねました.今は,平和学習の拠点施設にもなっています.
写真15 写真16
「戦争マラリア」の被害実態
八重山平和祈念資料館に展示されている「戦争マラリア」被害図です.
石垣島バンナ公園にある慰霊碑
終戦から50年目にあたる1995年度(建立日は1996年3月29日)に建てられた「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑」です.
写真17 写真18
波照間島西の浜ビーチからみた西表島
波照間島の観光スポットの一つ,西の浜ビーチ.美しいエメラルドグリーンの海ときれいな砂浜の向こうに見える西表島を,波照間島の皆さんはどんな思いで眺めてきたのでしょうか.
「支え合い」によってつくられた特産品:黒糖カステラ
波照間島でも,昔から「ゆいまーる」と呼ばれる相互扶助によって住民の生活がなりたってきました.そんな「支え合い」のなかで収穫されたさとうきびから,新しい特産品がうまれているようです.おいしくいただきました.
        
      写真:2015年8月 宮地忠幸撮影  

                                    


                                              

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