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VOL.18-08  2016年08月

  イスタンブール:イスティクラル通りからガラタ地区へ」

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 イスタンブールは、ボスポラス海峡によってアジア側とヨーロッパ側に分けられます。ヨーロッパ側で紀元前7世紀頃から発達していた地域は、金角湾によって南と北に分けられます。南側は旧市街といわれ、そこにはアヤ・ソフィア、トプカプ宮殿、グランド・バザールなどがあり、北側には、ガラタ地区、ベイオール地区(現在はいずれも行政上の単位・ベイオール区に属する)があります。イスティクラル通りは、ベイオール区にあり、北の起点タクシム広場からほぼ南西の方向にあるチュネル駅(ケーブルカーの駅、注)までの1.6kmです。地形的には尾根の部分にあたり、通りを背にして少し歩くと両側とも坂道になっています。
 イスティクラル通りとその周辺は、歴史的に見ると、オスマン帝国がヨーロッパ諸国との交易・交流を深めた19世紀以来、各国の大使館が開設され、交易に係る外国人も多く住むようになり、その結果社会・経済・文化など広い範囲で近代ヨーロッパの影響を強く受けた地区です。 今日、イスティクラル通りおよびその界隈には、領事館、ホテル、レストラン、銀行、オフィス等がありイスタンブールのひとつの中心地であり、観光スポットでもあります。歩行者天国になっている通りには、多くの観光客が訪れ、“On the sunny side of the street “ といった雰囲気で賑わっています。今回は、タクシム広場からガラタ地区にかけて撮影した写真を紹介します。

注: このケーブルカーは1875年に開設された。駅は丘の上の駅と海岸通りの駅の2駅。距離:573m、標高差:61.6m。


写真1.上水道分水施設 
 
タクシム広場の一角、イスティクラル通りに入る右手にある石造りの施設。
この施設は、1731年、北部の水源地域から水を引き貯水池に導入し、市内の各地区に分配する際の分水施設として造られた。1839年には石造りの八角形の分水施設、タクシム・マクセムとして完成。現在は観光案内所になっている。外側に設けられた水飲み場、公共の場には水飲み場をという考え方が現れていて興味深い。
 
写真2.タクシム広場
 イスタンブールのひとつの中心地、周囲にはホテル、レストランがあり、交通の便もよい。名称は上水道分配施設、タクシム・マクセムに由来。面積およそ5ha。広場中央にトルコ共和国記念塔、これは1928年に共和国建国5周年を記念して建立された。写真右隅にわずかに見える樹木は、タクシム・ゲジパークの一部。2013年、政府によってここにショッピングモールを建設する計画が発表されると、それに反対する多くの市民が集まり、警官隊も出動して大きな騒動になった。
写真3.街の表情(1)路面電車
 タクシム広場とチュネル駅を結んで運行されている。この路線は、最初は馬車鉄道(1872年)、その後路面電車(1912年―1960年)、バス(1960年―1990年)が運行された。1990年、Nostalgic Tramway(懐かしいチンチン電車)として復活。運営主体:IETT(イスタンブール交通局) 。1993年にはイスティクラル通りが歩行者天国になり、今日に至る。   
写真4.街の表情(2)ドネルケバブ
 香辛料やヨーグルトなどで味付けした肉(原型はマトンやラム、今日は牛肉、七面鳥なども使われる)を重ねて固まりにし、回転させながら焼いたケバブの一種。
写真5.街の表情(3)屋台
 本体とパラソルがこの色の屋台は通りのあちこちで見かける。焼きトウモロコシ・茹でトウモロコシ、焼き栗、シミット(ゴマをまぶしたドーナツ型のパン)などが定番とのこと。屋台に貼られた文字。辞書を見ると、TAZE:新しい、MISIR: トウモロコシ、GELDI: 着くとある。「新鮮なトウモロコシ入荷」といったところであろうか。よく見ると、トウモロコシが何本もあり、しかも目につきやすいところに置かれている。
写真6.フランス領事館
 フランスの大使館(現領事館)は、オスマン帝国の最初の大使館として1581年ペラ(現ベイオール)に開設された。1831年大火により焼失、1841年に再建される。当時、西欧諸国の大使館はGrand Rue de Pera(現イスティクラル通り)に沿って建てられ、周囲にはガーデン(ブドウ畑、果樹園)があった。この大火がひとつの契機になり、ヨーロッパの建築様式を取り入れた石造りの建物が建てられるようになり、都市ガスや電気も導入された。こうしてペラはヨーロッパ風のライフスタイルの中心地になった。
写真7.ギリシャ人学校・ソグラフェイオン
 タクシム広場から5~6分のところにあるオープン スクール。1893年開設。校名は、銀行家で当時のギリシャ人社会で指導的役割を果たしていた(Christakis Zografeion(クリスタキス・ソグラフェイオン)に由来する。開設の背景としては、既存の学校(2校)では生徒を収容できなくなったからとのこと。
写真8.パサージュ(1)チチェキ・パサージュ Cicek Pasaji
 このパサージュは、1876年にギリシャ人銀行家クリスタキス・ソグラフェイオンによって建設された。当初の名称は“Cite de Pera”、所有者の主たる目的はギリシャ人学校の資金を確保することであったとのこと。設計はイタリア人建築家。建物内部は、通路に沿って菓子類、洋服などの店舗とレストランが並び、天井はガラス張り(店舗数は24~25店)であった。今日は、パブとレストラン街になっている。
写真9.パサージュ(2)ヨーロッパ・パサージュ AVRUPA PASAJI
 1870年開設。ジュエリー、貴金属、時計などの店舗が多いパサージュ。
写真10.バザール バリク・パサーリ(Balik Pazari)入り口
 バリク・パサーリとは、魚市場のこと。ただ、実際には、魚介類だけではなく、野菜・果物・ピクルス・ドライフルーツ・各種の香辛料などあらゆる食料品が売られている。
写真11.バリク・パサーリ内部
 近隣住民の買い物の場。隣接した別の路地の一角には、木製の小さいテーブルと椅子が置いてある開放的な空間があり、旅行者にとっては小休止に最適。とはいえここも店舗。ちなみに、コカ・コーラ(1缶)の価格は9.90トルコリラ(1トルコリラ=約48~49円)。
写真12.ガラタ塔への道
 狭い道路に設けられた歩道、壁に沿って椅子とテーブルが置いてあり、観光客がコーヒーを飲みながら歓談している。 いわばガラタ塔の門前町的雰囲気。ガラタ塔は、最初は580年頃にギリシャ人によって建てられた。現在の塔の原型は、1348年にジェノバ人が建てた物見の塔である。高さ66.9m。
写真13.ガラタ塔展望台からの眺め(北東方角を望む)
 最上階にはレストランがあり、窓の外側には狭い通路が設けられている。そこからイスタンブールの市街地が一望できる。手前の赤茶色の瓦屋根がガラタ地区。写真左端の高層ビルは、タクシム広場付近。右手遠方の高層ビル群は、1980年以降大規模な開発が進められているマスラク地区。
写真14.ガラタ塔展望台からの眺め(南方向を望む)
 金角湾にかかるガラタ橋(可動橋)。橋の向こう側が旧市街地。最初の橋は、1845年に作られた。現在の橋は、5代目で1994年完成。長さ490m、幅42m。橋は2層で構成されており、上層は車道、下層はレストラン街。
参考文献
浅見泰司編:トルコ・イスラーム都市の空間文化, 山川出版社, 2003年.
新井政美:トルコ 近現代史 イスラム国家から国民国家へ, みすず書房, 2014年.
オルハン・パムク(和久井路子訳):イスタンブール 思い出とこの町, 藤原書店, 2007年.
内藤正典:体制の危機ではないが超長期政権シナリオに影も, 日本記者クラブ研究会「トルコ情勢」,
     2013年6月21日. (インターネットでアクセス可)
長場 紘:イスタンブル 歴史と現代の光と影, 慶応義塾大学出版会, 2005年.
別冊環14, トルコとは何か, 藤原書店, 2008年.

                  (2015年7月9日-10日、名誉教授長島弘道 撮影)

                                              

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