VOL.18-12 2016年12月
「京王線沿線の不思議と謎(2)」
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今回は下高井戸・桜上水・上北沢を中心に取り上げる。下高井戸は甲州街道高井戸宿に起源を持つが、この付近の甲州街道に往時の面影は全くない。写真Aは芦花公園駅付近の甲州街道旧道の景観である。 「桜上水」とは、玉川上水の桜並木のことであり、現在暗渠化されている玉川上水緑地公園(写真B)にも桜は植えられているが、この辺りで桜で有名なのはむしろ上北沢である(写真C)。上北沢駅南側には通称「肋骨通り」という高級住宅地がある(写真D)。街路形態(図1)が肋骨のようであるための名前であるが、関東大震災直後の大正13年(1924)の住宅地開発であり、京王線沿線では最も古く、東京でも初期の開発の一つである。当時の上北沢駅は写真Eの手前踏切付近にあり、駅前から延びる住宅地であった。現在も踏切付近に広がりがあるのは、当時の駅前広場の名残である。 |
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写真A | 写真B | |
写真C | 写真D |
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図1 | 写真E |
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さて、一般に上○○と下○○は近接しているのに、上北沢と下北沢がかなり離れている理由については、本書p.152で記述したように北沢川の上流と下流を意味している。北沢川は、現在の都立松沢病院内の将軍池(写真F)ほか、いくつかの湧水を水源とする武蔵野台地を開析する自然河川で、下北沢の先で烏山川と合流して目黒川となる。小川であったため、江戸時代の初期に玉川上水から分水して増水し用水路として、水田の開発が行われた。現在は、支流も含めてすべてが暗渠化され、緑道として整備されている。写真Gは上北沢付近、写真Hは下北沢付近であり、多くの支流も暗渠・緑道化されているほか、玉川上水からの分水路も暗渠が残存している(写真I)。 | ||
写真F | 写真G |
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写真H | 写真I |
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本書注:『京王線井の頭線沿線の不思議と謎』(じっぴコンパクト新書)2015/9発行 図1:1万分の1地形図「経堂(昭和30年)」の一部を拡大 |
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(写真A・E・F・Gは2016年10月、B~D・Iは同年4月、Hは2003年2月、いずれも岡島 建撮影) | ||