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VOL.19-06  2017年06月

  世界遺産に登録された琉球の四つのグスク

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 琉球(現在の沖縄県)では12世紀頃から本格的な農耕が始まると、島内の各地にこれら農民を束ねた豪族(按司:あじ)が生まれ、やがて彼らは石垣で囲まれた城(グスク)を築いて互いに争うようになりました。そして14世紀にはこれらの按司は、北部の山北・中部の中山・南部の山南の三つの勢力に統合され(その領域は、現在の沖縄本島の地域区分、国頭・中頭・島尻にほぼ一致します)、歴史的には三山時代と呼ばれることになります。このいわゆる戦国時代は、1429年に南山の佐敷按司であった尚巴志によって統一されるまで約100年間続きました。尚巴志が開いたのが第一琉球王朝で、その居城としたのが首里城になります。戦乱期であった三山時代には、グスクの建造技術も進歩し、島のあちこちにグスクが建造されました。そのうちのいくつかは現代まで遺構として残り、近年復元されて多くの観光客を集めています。これらの城跡は、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として、世界遺産に登録されました。
     
写真1:今帰仁城跡  入城口になる平郎門   写真2:今帰仁城跡  主郭から見下ろした風景 大隅とグスク交流センター
 今帰仁(なきじん)城跡は山北王の居城だったところで、本部半島北部にあるため、那覇からの交通は不便ですが、首里城にも匹敵する壮大な規模を持つグスク跡です。入口となる平郎門をくぐって(写真1)、カンヒザクラの並ぶ階段を上ると主郭があり、そこからはうねうねと屈曲した城壁と鬱蒼とした森の緑、そして真っ青な海が見渡せます(写真2)。
     
写真3:今帰仁城跡  志慶真門郭から見た主郭城壁     写真4:勝連城跡  入口付近から見たところ 
 今帰仁城跡の主郭の外側は何重にも城壁で囲まれ、それらは現在発掘中です(写真3)。勝連(かつれん)城跡は沖縄本島の中南部にある勝連半島の丘頂部に位置します(写真4)。
   
写真5:勝連城跡  下の廓より主郭を望む 写真6:勝連城跡主郭より  平安座島と海中道路方面
 勝連城跡の城壁以外の遺構はほとんど残っていませんが、高台の急傾斜に城塞が築かれているため、立体的で男性的な感じがします(写真5)。最高所の郭上からの眺めは最高で、金武湾と中城湾が一望の下に見渡せます(写真6)。   
 
写真7座喜味城跡  正門 写真8:座喜味城跡  上の郭より見た下の郭
 座喜味(ざきみ)城は築城の名手と呼ばれる読谷按司護佐丸(ごさまる)が築いたとされるグスクです(写真7)。現在残っている遺構はさほど大きくはありませんが、石積みの造りに特徴があり、城壁の優雅なカーブが綺麗です(写真8)。
     
写真9:座喜味城跡  主郭より見た残波岬 写真10:中城城跡  三の郭
 近辺には、残波岬を含む沖縄海岸国定公園の浜があり、天気の良い日は青い海を眼下に見ることができます(写真9)。中城(なかぐすく)城跡は東西に連なる丘陵の頂部を利用して作られた六つの郭からなる連郭式のグスクで、米軍の攻撃をあまり受けなかったため他のグスクと比べて古い遺構がわりとよく残っています(写真10)。
   
写真11中城城跡  一の郭 写真12中城城跡  二の郭城壁から見た中城湾
 主郭である一の郭には、1440年に座喜味城から移ってきた護佐丸によって作られた観月台がありました(写真11)。南側の城壁から外を見ると、中城湾と知念半島を望むことができます(写真12)。
<写真1〜122006年、2016年,内田順文 撮影>

                                              

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