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VOL.19-11  2017年11月

  イスタンブール  −ピエール・ロチの丘−

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 大学学部時代、第二外国語フランス語のテキストとしてピエール・ロチ(18501923)の「お菊さん」を読みました。その内容はあまり覚えていませんが、著者と書名  ”Pierre Loti: Madame Chrysantheme(1887) ”は鮮明に記憶しています。今回、イスタンブール行きの準備をしているときに、彼は日本に来る前にイスタンブールにも行き、そこでの体験をもとに「アジアデ Aziyade, (1879)」という小説を書いていることを知りました。彼がフランス人であり、職業が海軍士官であることを考えると、イスタンブールに滞在すること、日本を訪れることも可能であった背景が見えてきます。

 彼が、最初にイスタンブールを訪れたのは1876年、その後何回も訪れる機会があり、延べ滞在期間は3年に及ぶといわれています。イスタンブールに滞在したときに、彼がしばしば訪れたという丘が、旧市街地の北およそ45km,金角湾を見下ろす高台にあります。この丘は、今日では「ピエール・ロチの丘」としてひとつの観光名所になっているようです。2005年には崖の下とこの丘を結ぶロープウエイが建設されました。

     
写真1 丘の上のカフェから金角湾を望む(1   写真2 丘の上のカフェから金角湾を望む(2 

 7月土曜日の午前、ゆったりとした時間が流れる。

   
     

写真3 エユップ ゴンドラ、丘の上の駅 ”Piyerloti “

  写真4 エユップ ゴンドラ、丘の下の駅“Eyup”
  イタリア人観光客1520人。ガイドの説明が終わるとあとは三々五々グループで。写真後方の橋はイスタンブールを囲む環状道路。右に進むとイスタンブール国際空港、左に進むとボスポラス大橋を経てアジア側に。    駅の背後はエユップ墓地。ここには、「エユップ スルタン モスク」のほか何人ものスルタン、パシャ(高官、高級軍人)の墓地とモスクがあり、多くの信者・観光客が訪れるとのこと。撮影者は、残念ながら足を運ぶ機会を逸した
 

写真5 カフェの近くで見かけた少女と女性

写真6 Eyup Pierre Loti Tepesi( エユップ ピエール ロチの丘)の案内板

 家族あるいは複数の家族で「エユップ スルタン モスク」を訪れ、その後ゴンドラでこの丘に登り、しばし対岸の景色を眺める。そして立ち上がったところ。

   写真右手は施設の案内、上から順に “ Turquhouse”:ホテルの名称、楕円形の中の文字は“AZIYADE “:レストラン、” Tarihi Kahve”: 屋内のカフェ、” Nargilevi”: Traditional Water Pipes(伝統的な水ギセル)という名の喫茶室。
 
写真7 丘の斜面の墓地(1

写真8 丘の斜面の墓地(2

 金角湾に面した斜面にはいくつかの墓地がある。墓地には糸杉が植えられている。    
     

写真9 金角湾の対岸を望む。

資料1 「エユップの高台からの金角湾、1890年」(注)
 丘陵地は住宅地になっている。写真後方、高層ビルは主としてホテル、オフィスビル。    現在、カフェのあるところもかつては墓地であったかもしれない。
 注:ピエール・ロチ:コンスタンチノポル−世紀末 とブルサのグリーン・モスク−に掲載されている写真を引用。1892年発行(2014年第3版発行)

2015年7月11日 名誉教授 長島弘道 撮影


                                              

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