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VOL.20-01  2018年1月

  ムラカの世界遺産

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 マレー半島の南東部に位置するムラカ(英語名マラッカ)の起源は、15世紀初頭にスマトラの王子によって建国されたマラッカ王国に遡ります。マラッカ王国はイスラームを積極的に導入し、
マラッカ海峡に面する港町メラカは、インド・中近東と中国・東アジアとを結ぶ東西貿易の拠点として繁栄しました。しかし16世紀になると、貿易と布教の拠点としての重要性に目をつけたポル
トガルによって征服され、その後支配権は17世紀にはオランダへ、19世紀にはイギリスへと変転しました。 さらに古くからこの地域に進出していた中国人(華僑)と地元マレー人との子孫(プ
ラナカン)による独自の文化も発展し、その結果、本来のマレー様式の文化に加えて、イスラーム文化・ポルトガル文化・オランダ文化・中国文化が混じり合った独特な文化と景観が形成されまし
た。この点を評価され、2008年マレーシアで最初の世界文化遺産として登録されています。

     
写真1 ムラカのバスターミナル   写真2 オランダ広場,時計台とヴィクトリア女王の噴水

 ムラカへ通じる鉄道はありませんが、首都クアラルンプルとは1時間に数本の頻度で走っている高速路線バスによって2時間ほどで結ばれており、ほとんどのバスは旧市街の北3kmほどのところ
にあるバスターミナルへ着きます(写真1)。ここから市内バスで旧市街へ向かいますが、町歩きの起点としては旧市街の中心に当たるオランダ広場が便利です。オランダ広場はオランダ支配時代の
建物が集まる一角で、一日じゅう観光客でにぎわっています(写真2)。

     

写真3:ムラカ・キリスト教会

  写真4:スタダイス
  周辺には1753年に完成した木造のムラカ・キリスト教会(写真3)や旧総督邸のスタダイス(写真4)などのオランダ建築の建物が多くあります。
 

写真5:セントポールの丘

  写真6:セントポール教会とフランシスコ・ザビエル像 

 スタダイスの裏手にある丘がセントポールの丘で(写真5)、その頂にはポルトガル領時代に建てられたセントポール教会があり、正面にはここからアジア各地へ布教に旅立ったフランシスコ・
ザビエルの像が立っています(写真6)。

 
写真7:サンチャゴ砦(ファモーサ)

写真8:ハン・ジュバット通り

麓にはポルトガルの総督によって建設されたサンチャゴ砦の城門も残っています(写真7)。
 オランダ広場からマラッカ川を渡った西側の地域はいわゆるチャイナタウンで、メインストリートのハン・ジュバット通り(ジョンカー通り)にはアンティークショップやレストランなどが並び終日観光客で
にぎわいます(写真8)。

     

写真9:ババ・ニョニャ・ヘリテージ

写真10:チェン・フー・テン寺院
 この付近にはプラナカン様式の建物も多く、なかでもプラナカンの大富豪の邸宅を博物館として保存したババ・ニョニャ・ヘリテージが有名です(写真9)。近くにはマレーシア最古の中国寺院である
チェン・ フー・テン(青雲亭)寺院や(写真10)、マレーシア最古のモスクであるカンポン・クリン・モスクとマレーシア最古のヒンドゥー寺院であるスリ・ポヤタ・ヴィナヤガール・ムーティ寺院
(写真11)もあります。
   
 写真11スリ・ポヤタ・ヴィナヤガール・ムーティ寺院(手前)と
カンポン・クリン・モスク(奥)
   写真12ムラカ島とマラッカ海峡
 近代以降、国際的な貿易港としての地位はシンガポールへと移転し、ムラカの港湾機能は衰退してしまいましたが、観光地化した市街地から少し離れた海岸部へ行くと、マラッカ海峡を往来する船の
姿を今でも望むことができます(写真12)。

<写真1〜122017年 内田順文 撮影>


                                              

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