VOL.24-05
2022年05月
「
佐々木 明彦
※写真や画像の引用に関する問い合わせは、こちらのリンク先ページをご覧下さい。
「今月の衛星画像」 を見る
日本における主要な油田の分布は秋田県・山形県・新潟県の日本海側地域に偏っている。これらの地域は,中新世の初期~中期に激しい火山活動が生じたグリーンタフ地域であり,中新世の後期には深い海盆となって鮮新世に至るまでその海底には土砂とともにプランクトンや藻類などの有機物が多量に堆積した。その後,第四紀に褶曲構造などが形成され,特定の地層に石油が集まることとなった。新津油田はそうした地域のひとつであり,1907年前後と1916年前後には日本でもっとも産油された油田である。新津油田では,1996年に採油事業を終えた後,その設備の一部を文化遺産として保存・整備しており,見学路などで往事の様子を知ることができるようになっている。 |
図1 国土地理院発行5万分の1地形図『新津』の一部。図中の新津丘陵は魚沼丘陵の背斜軸の北方延長線上に位置する丘陵で,その北端の金津付近には油井の地図記号がたくさんみられる。この地形図の修正年は1996年であり,油井が稼働した最期の時期の地形図である。 |
||
写真1 新津油田金津鉱場の保存展示。 金津鉱場は,越後国蒲原郡金津村で代々庄屋であった中野家が明治期の初期に手掘りで採油したのが始まりであるが,この地で石油が産することは古くから知られていた。 | 写真2 石油の世界館では,原油生成・利用の歴史を紹介する資料と石油採掘や石油を利用するための道具を展示している。石油が集積する仕組みや新津油田の成り立ちを紹介する映像も上映されている。 | |
写真3 油田のジオラマ。 石油の世界館では新津油田の様子を復元したジオラマが展示されている。丘陵斜面に点在する油井の多さに驚くばかりである。 | 写真4 中野家の保存家屋。 中野家による金津鉱場での採油は,石油王ともよばれた中野貫一翁によって明治期の終わりに発展を遂げる。第二次大戦ころまでは中野興業による採油が行われ,丘陵の西側の小須戸・矢代田に送油され,そこから域外に運び出された。 | |
写真5 C3号井の保存展示。 中野家の保存家屋のすぐそばにあり,1903年から1996年まで93年間稼働した,金津鉱場の主力の油井である。Cは「ケーブル」の意味であり,網式機械掘りのことである。この機械掘りによって,採油の効率は飛躍的に向上した。 |
写真6 石油の濾過池。 丘陵内の各油井から汲み上げられた石油はパイプラインで集油所に集められ,比重によって石油と水とに分離される。水は池から排水されるが,その中には油分が含まれているので下手の池で再び表面に浮いた油分を汲み上げ元の池に戻し,石油と水とが繰り返し分離される。 |
|
写真7 石油文化遺産群にみられる説明看板。 この地域では散策路・見学路に沿って石油文化遺産群の保存施設の説明が掲示されており,理解を深めることができる。また,施設のみならず,地学的な説明も掲示されている。この説明看板では,石油を産する地層が露頭でどのように見えるか,詳しく説明されている。 |
写真8 散策路沿いの露頭。 散策路沿いでは所々に露頭がみられ,石油が染み出る金津層の地層を見ることができる。金津層はおよそ600万年前~400万年前に堆積した層厚400m以上の砂泥岩互層である。石油は金津層より下位の地層に堆積した有機物を含む地層から上昇し,金津層に集積した。写真で黒く見える地層にはとくに油分が多い。 |
写真9 水路沿いで染み出す石油。 金津層を切る水路では,水路の側壁に石油を含む地層が露出するため,油分が流れ出している。比重の軽い石油は水面に浮いている。 |
||
(2019年5月26日 佐々木明彦撮影) |