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VOL.25-06
2023年06月
「
桐越 仁美
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アフリカ大陸の最南部に位置する南アフリカ共和国は、122万km2(日本の約3.2倍)の面積を有する国です。国土の大部分が半乾燥あるいは乾燥気候ですが,南端部は地中海式気候です。プレトリアは標高約1500m、ヨハネスバーグは標高約1700mの地点にあります。いずれも気候は乾燥した高地性気候で、冬にあたる7~8月には降雪をみることもあるそうです。 |
写真1 プレトリアーヨハネスバーグ間の高速道路 | 写真2 ホテルから見たヨハネスバーグの夜景 | |
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写真3 プレトリア大学の新キャンパス | 写真4 プレトリアーヨハネスバーグ間のアフリカ人居住区 | |
ヨハネスバーグはアフリカ南部最大の都市です。白人のための近代的な計画都市で、ソウェト地区をはじめアフリカ人居住区は周辺に移動させられています。都市内には高速道路が整備されていますが、その周辺には世界の名だたる企業が連立しています。 |
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写真5 アフリカ人居住区に設けられた図書館 | 写真6 アパルトヘイト博物館の入り口 | |
ヨハネスバーグ郊外には先住民であるアフリカ人の居住区があります。1913年「原住民土地法」が制定されて以来、黒人は南西郊外のソウェト(南西居住区)に隔離されました。最大のアフリカ人居住区として知られるソウェト地区のほかにも、郊外には写真4のようなアフリカ人居住区がいくつもみられます。これらの居住区は図書館などの公共施設も整備されていて、他国のスラムなどに比べれば生活水準は高いものの、白人が多く暮らすハイランドに比べると圧倒的な格差を感じます。 |
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写真7 アパルトヘイト博物館の7本の柱 | 写真8 ヨハネスバーグ北西部の丘陵地 | |
南アフリカにおいて1948年に法制として確立されたのがアパルトヘイト(人種隔離政策)です。1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃されましたが、いまでもその影響が随所に見られます。アパルトヘイトでは人種が法律で白人、アジア人、カラード、黒人の4通りに分けられ、選挙権や就職、居住などのほかホテルやレストランの利用についても徹底的に白人とそれ以外が分けられました。アパルトヘイト博物館は入り口が「白人」と「非白人」に分けられており、ランダムに発券される「白人」「非白人」のチケットに応じた入り口から入場することになります。「白人」と「非白人」の入り口の先は鉄格子で区切られ、この十数メートルの通路展示を通りすぎるまで交わることはなく、当時の差別を追体験できるようになっています。ちなみに、先進国の仲間入りを果たした日本人は、1961年以降に名誉白人扱いになったそうです。 また敷地内の7本の柱は常設展の1つ「The Pillars of the Constitution(憲法の柱)」です。南アフリカでは、1991年にアパルトヘイト政策の廃止が宣言され、1994年に民主化し、1996年に新しい憲法が採択されました。この憲法の核となる7つの基本的価値観がそれぞれの柱に刻まれています。 |
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写真9 丘陵地でサイクリングを楽しむ人びと | 写真10 人類化石遺跡群にあるモニュメント | |
ヨハネスバーグから北西に50㎞ほど行くと開けた丘陵地が広がります。なだらかな丘を越えるコースはサイクリストに人気があり、ヨハネスバーグから自転車で来る人も多いようです。 |
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(2017年7月 桐越撮影) |