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VOL.25-03
2023年03月
「
長島 弘道
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2009年12月11日-15日、インド・プネでアジア地区家政学会が開催され妻が参加した。私も同伴者として参加。プネでは、個人的に街を歩いてみたいと思っていたので、インド人の知り合いを通じて地元在住のアディア夫人(教師)とその夫(ビジネスマン)を紹介してもらった。この会合には、たまたまフィリピン人の知り合いも参加しており、自主巡検には彼も加わることになった。ここでは、その日に訪れた旧市街のいくつかの地区を紹介したい。 プネは、デカン高原の西端に位置する都市(注1)。標高600m。17世紀までは交易路上の小さなバザールの街。その後マラーター王国(1674-1818)の首都。この王国は、中央インドに領地を拡大、ムガール帝国を滅亡に追いやる。1817年イギリスに滅ぼされる。イギリス領時代、市の東部にカントンメント(兵営地区)が建設される。また、モンスーンの時期には、ボンベイ行政府がここに移された(モンスーン・キャピタル)。教育、文化の中心地。インドのMetro
City 8都市のひとつ。市の人口312万、都市圏人口738万(2011年)。 |
写真1 パールヴァティ寺院 (Parvati Hill Temple) |
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写真2 パールヴァティ寺院からプネ市街を見る プネの市街地が一望できる。中央を東西に流れるは、Metha Right Bank Canal. 運河の両側には、スラムと思しき住宅が密集している。運河のむこうに見える中層の建物は個人向け住宅。手前右手に実を付けたタマリンドの木がある。 |
写真3 パルヴァティヒルの展望台 この丘の標高は640m。市街地に緑が多い。プネは、市域の40%が緑に覆われ、Green City と云われている。この地区も森林保護区(Reserved Forest)に指定されている。 |
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写真4 伝統的な衣装の男性 神殿を出てきたところで、ベンチに座っている男性を見かける。この衣装はこの地方独特の衣装とのこと(アディア氏談) |
写真5 シャ二ワー・ワダ宮殿 マラ-タ-王国のバジ・ラオ一世が1728年から4年をかけて完成した宮殿。宮殿には、中庭を囲んで家屋、行政用の建物、噴水があったが、1828年の火災で焼失し、現在は正門、壁、噴水の跡だけが残っている。写真中央アディア夫人、左フィリピンの知り合い。 |
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写真6 シャ二ワー・ワダ宮殿 中庭 |
写真⒎ ダウンタウンの一角(1) 広告看板の数だけ店がぎっしりと並ぶ。歩道にはショウガ・ニンニクの量り売り。リアカーに積んだ果物売り。この男性は、オートリキシャの値段の交渉をしているのであろうか。 |
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写真8 ダウンタウンの一角(2) 露店で果物を売る女性。その前を壺らしきものを積んだリアカーが通る。後ろの店に積んであるのは新聞であろうか。この辺りには、ミシン1台で仕事をしている人、幅2~3m位の狭い場所で印刷の仕事をしている人もいる。 |
写真9 ダウンタウンの中心地、ラクシミ・ロード(1) 建物のベランダの手すりの模様に工夫が施されている。ファッショナブルな衣装で街ゆく女性たち。 |
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写真10 ラクシミ・ロード(2) ラクシミ・ロード中心地には、卸売りの商店が数キロメートルの範囲に多く並ぶとのこと。この地区は、衣類関係の店が多いように思われる。 |
写真11 Mahatma Phule Market(1) このマーケットの建物は、プネ市によって1886年に建てられた。当時は、マーケットおよび市役所(町役場)として使われた。 |
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写真12 Mahatma Phule Market(2)マーケットには500店があり、 果物、野菜等を扱っている。 |
写真13 マーケットの近くに並ぶ金物店 店によって異なった形のバケツを扱っている。 |
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写真14 日曜日の午後4時 買い物袋をさげた男性。バイクの二人乗り。客を待つオートリキシャ。これらは、この街の日常を感じさせる。建物の屋根を覆う大きな木がこの街の歴史を感じさせる。一方、写真後方の新しいい建物は、次なる時代の街の変化を予想させる。 |
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注1 イギリスの植民地時代はプーナ(Poona)と云われていたが、1999年マラーター語のプネ(Pune)に変更された。同様の都市名変更:ボンベイ→ムンバイ、1995年。マドラス→チェンナイ、1996年。 参考文献 森茂子:アサ―家と激動のインド近現代史, 彩流社, 2010年. (2009年12月13日 名誉教授 長島弘道撮影) |