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VOL27-04

  2025年04月

  「イスタンブールの歴史地区2:アヤソフィア」

内田 順文

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  この記事はNo.298(2024年7月)「イスタンブールの歴史地区1:トプカプ宮殿」のつづきになります。トプカプ宮殿の正門となる皇帝の門を隔てて南西側に隣接するのが、アヤソフィアです(写真1)。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の中枢となるハギア・ソフィア大聖堂として、1453年にオスマン帝国によってコンスタンティノープルが陥落するまで、キリスト教東方正教会の総本山として君臨しました。4世紀前半にローマ皇帝コンスタンティヌス1世の命で建設され、現在残る建物はローマ帝国が完全に東西に分裂した後の537年に、皇帝ユスティニアヌス1世によって建設されたものです。

  コンスタンティノープル陥落後、大聖堂のイコンは漆喰で塗りつぶされ、ドームの周囲にミナレット(尖塔)が建設されるなどして、その後はアヤソフィア・ジャーミー(イスラム教のモスク)として利用されましたが、オスマン帝国滅亡後の1934年アタチュルクによって世俗化され、無宗教の博物館として保存されることになります。ただし、近年エルドアン大統領によってふたたびモスクとして復帰し、今後の動向が注目されていることは記憶に新しいところです。

  入場券を買って建物の北西面にある入口から入場すると(写真2)、ドームを取り囲む拝廊に出ます。拝廊にも多くのモザイク画が描かれており、皇帝の門と呼ばれるドームへの中央入り口の上部には、『キリストと皇帝』の絵があります(写真3)。皇帝の門をくぐると巨大な本堂があり、身廊の先には聖堂の中心となる後陣が見えますが(写真4)、ジャーミーに改修後ここにモスクの心臓部であるミフラーブとミンベルが置かれました(写真5)。後陣から上を仰ぎ見ると、いくつものアーチに支えられた巨大なドーム天井が見られます(写真6)。また、本堂の一角には湿った支柱と呼ばれる柱があり、そこには聖母マリアの手形があるとされており、いつも長い行列ができています(写真7)。

  2階部分も身廊によって取り囲まれており(写真8)、現在はギャラリーとして多くのモザイク画を見ることができます(写真9)。出口へ向かう南側の拝廊には有名なモザイク画があり(写真10)、建物西端にある出口の先には18世紀に作られたオスマン様式の沐浴所跡(清めの泉)があります(写真11)。なお、その東方には歴代スルタンの廟があり、こちらは入場料なしでも入ることができます(写真12)。

   
写真1: スルタンアフメット広場より見たアヤソフィアの全景     写真2: 正面入口
       
   
写真3: 内拝廊とドーム内をつなぐ皇帝の門
    写真4: 大ドームの内部
 
   
写真5: ドーム後陣にあるミフラーブとミンベル     写真6:  後陣から見た大ドームの天蓋
     
   
写真7: 湿った支柱(聖母マリアの手形)     写真8: 階上身廊より見た内陣
       
   
写真9: 階上のモザイク画『洗礼者ヨハネと聖母マリアとイエス』
 
    写真10: 拝楼南出口にある『コンスタンティヌス1世・ユスティニアヌス1世と聖母子』
写真11: 西側出口と清めの泉     写真12: メフメト4世廟・セリム2世廟・ムラート3世廟
       <2015年 内田順文 撮影>



                                              

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