沖縄でいちばん北にある島で


 沖縄でいちばん北にある、そこそこ大きな島は硫黄鳥島です。ただしこの島は無人島。もともと火山島であるこの島は、1959年に住民が撤退しました。しかし、それ以前の1903,1904年に多くの方々は遙か南にある久米島に移住しました。どういういきさつでわざわざ遠い久米島が選ばれたのかは、鴨澤巌先生の「移民動向から見た久米島」(『沖縄久米島の総合的研究』、弘文堂1984年)に詳しく書かれています。この方々が、久米島に移り住んでつくった集落が久米島にある「鳥島」という集落です。
 まえおきが長くなりましたがタイトルに書いた「沖縄でいちばん北にある島」というのは、久米島のことではなく有人島の「伊平屋島 いへやじま」です。伊平屋島に空港建設計画があり、サンゴ礁を埋め立てる計画に県が懸念を示したという趣旨の記事が沖縄の地方紙に載っていました。行ってみようと思ったのはそれがきっかけです。さんざんサンゴ礁を埋め、伊平屋島でもサンゴ礁を掘り返してそのあげくほったらかしにしてきた沖縄県が、ここへきて懸念を示すとはあまりに偽善的じゃないか・・・守れというサンゴ礁はどんな様子なのだろうと気になったというわけです。 
 沖縄本島中部の「運天港」からフェリーに。台風の接近で二日間の足どめでした。その間を利用して学生たちを連れて北部や中部を車で回ったのですが、二日でこのあたりに詳しい同行のN先生が用意したネタを食いつぶしました。これ以上欠航が続くと困ったなという時に「今日は運行」で安心でした。飛行場がないとちょっとのことで島に渡れなくなり、だから飛行場が必要なのだ というのはこれまでよく言われてきたことです。そこそこ人が多い島にいったん飛行場ができると、今度は大きな飛行場がないと困るでしょうという話しがいつの間にか出てきて、結局のところ離島に不釣り合いな大きなジェット機が飛ぶことになり、便数が減ってかえって不便になるのです。あるいは、観光客を呼ぶために観光資源をつぶすバカげた巨大工事が始まることになります。
 乗ったフェリーは隣の伊是名村の船。伊平屋村の船は点検でドックに入っているのだそうです。台風の余波が残っているのか、船は少し揺れました。はじめははしゃいでいた学生たちは、そのうち声が出なくなり下層階へ移動して横になるといいます。当方はデッキに出て風に当たり快適な船旅です。フェリーは、寄ると思っていた伊是名島をやり過ごし、やがて伊平屋島に。小さな車がたくさん集まってきました。船で離島に来るのは久しぶりなので、懐かしい風景に出会った気になりました。

 伊平屋島のサンゴ礁の話しを少しだけ。「人が少ない島のサンゴ礁は美しい」というのは、私の経験値。この島もそのとおり。ただ、造礁サンゴは少し前にかなり広範に何らかの原因でいちど大きな被害を被り、それから立ち直りつつあるようです。被覆率は高いが景観は単調。褐色の、枝の短いサンゴ(Montipora digitata)が密集しています。見ごたえはあるが地味なので、初めてサンゴ礁へ来た人が美しさに感動するというような景観ではないんだなというのは、連れてきた学生の反応で知りました。色鮮やかなサンゴ礁の景色が、しだいに単調になってきているのはこの島だけの話しではないのです。
 今年の沖縄でいちばん記憶に残ったのは、この島の宿のオバァの話でした。「モズクがやせて不味くなった。昔みたいな太いモズクはもう採れない。モズクの水揚げがどんどん減っている。採れたモズクは溶けるみたいで歯ごたえもない。地球温暖化現象は恐ろしいさぁ」。本当に地球が温暖化しているのか私には正確に判断できないけれど、離島のお年寄りまで地球温暖化現象という言葉を何のためらいもなく発しています。私にはこの現象のほうが溶けるモズクより気になりました。

                                                            2011/Oct. HASEGAWA Hitosh

サンゴ礁の中にある巨大な凹地。
200
m×800mという大きく正確に長方形に掘られた凹地。放置されています。

台船を入れて掘ったのだそうです。何だと思いますか?  

オバァの語る地球温暖化現象と話しが続きます。


 

マダラマ島 その2

マダラマ島でため息、フェンス島でもため息

 去年に続いてこの島にやってきました。何も変わらず、相変わらずのんびりしています。レンタカーが増えたような気もしますが、若い村の職員の方でさえ、「この島は何も観るところがないから、観光客も来ないっすよ」などとおっしゃるとおり、この島には観光客が喜ぶようなものはほとんど無いように思います。一年に何日間か、大勢の観光客が訪れる年中行事があるのですがそれ以外の期間はとても静かだそうです。この島のようないわゆる低島は、起伏が小さいぶん自然景観が単調に見えることが多いのですが、この島もそのとおりです。島の中に観光客がよろこぶ景勝地というものがありません。低島の代表的な観光地はバンブ島ですが、バンブ島のように赤瓦の家並みを創造してまで人を呼ぶ気もないのでしょう。きわめて健全な気がします。
 わたしが今年もこの島を訪れたのは、浅場のサンゴ礁を眺めるためです。去年に懲りて大潮の干潮時をねらって海に入りました。満潮時の流れは相変わらずきついのですが、昨年のように速い流れに翻弄されることもありませんでした。でもやはり怖い海には変わりないような気がします。サンゴ礁の調査が初めてという学生を連れてきたので、レスキュー用のフロートを持ち込んだりして、それなりに準備をしました。最後の3日間は台風の雨に打たれ、ゆっくり海の中を眺めるということはできませんでした。雨を眺めてはため息をついていました。そして、その後に渡ったフェンス島でもため息をつくばかりでした


一般人が行ける島のいちばん高いところから眺めてみました。

原色の世界 少しケバくて気持ち悪いくらいです


 フェンス島の話しです。マダラマ島のあとに、少しだけフェンス島へ寄りました。三十年近く前に、フェンス島のある地域の海にわたしは初めて行きました。その後に縁ができて、二十年以上にわたって毎年何回か訪れるようになりました。九十年代の終わり頃から、この海に大勢の研究者が訪れるようになり海は実験水槽のようになりました。計測器をくくりつけたコンクリートブロックや鉄パイプなどが海底に置かれ、やがてそれらが放置されるようになりました。今では大きく設置機関の名前が書かれたみっともない忘れ物が置き去りにされています。実は私たちのグループも初期の頃にコンクリートブロックを一つ、台風で行方不明にしてしまい、未だに回収できないままです。礁池の底に砂に埋もれているのかもしれません。そんな先生方がサンゴ礁保全などと大仰なことをおっしゃっても、地元の方々には見透かされてしまっているような気がします。旧知の人から「研究者なんて所詮この程度の人たちなんですね」とよその機関の人の悪口を聞かされても、わたしは口ごもるばかり。いろいろなこともあって、もうここへ来るのも止めにしようかなと思ったこともありました。面と向かっては誰もいわないけれど、研究者が海に入るのはいい加減にしてよと言い始めているようです。表向きは、「調査の時には届け出をしてね」という程度ですが、本音は「来るな」でしょう。育ちのいい人たちはそれがわからない。傭船や宿泊で潤う人たちもいますが、別に研究者が来なければ来ないで稼ぐ術はあるのですからどうでも良いわけです。
 以前は夏にこの海をみるのが楽しみでした。毎年夏が来るのを心待ちにしていました。ところが、すばらしかった造礁サンゴも陸の開発が進むにつれて見る影もなくなり、観光のオーバーユースかそれに拍車をかける。今では環境悪化の経過を調べるモデル地域になりそうな勢いです。そういう目的で調査をしている人もいるでしょう。集落の方々も保全のために動き始めてはいるのですが温度差が激しいようです。「自然環境の質を向上」させながら、「住民生活の質の向上」をはかる方策など簡単に見つけ出せるわけがありません。一生懸命動き回っている方々も大勢いるのですが、自然の悪化は進むばかりのように見えます。この島では「悲願」の新空港の完成も間近で、いよいよ観光客や移住者をガンガン誘致したいのでしょう。でも、肝心の観光資源はなくなり景観は悪化するばかりです。●●保護条例はできても、どこにそれが生かされているのか、にわかにはわかりません。傲慢だと噂された前の市長に代わって選ばれた若い市長は、他県の首長の文章をコピペして施政方針演説をするありさま。しかもこれが何となく許されてしまうゆるい島。ゆるいのは好きだけれど、ゆるすぎです。来るたびにため息です。もうこの島は来なくてもいいかなと、バブル期のメンメ島で感じたものと同じような気持ちになり始めた今年の夏でありました。
            2010/Oct. HASEGAWA Hitosh



マダラマ島


 2009年の夏も終わり近づいた頃、わたしとSR氏、そして学生達でマダラマ島を訪れました。わたしがこの島を訪れたのは、今回が初めてです。日中、車で走っていてもめったに人に会いません。学生達は、車窓からたまたまお見かけする方に、小声で「第一村人発見!!」などと、トコロジョージのTV番組をまねて遊んだりしていました。

 ここ二十年くらい、わたしはフェンス島へ通っています。良いにつけ悪しきにつけ、わたしはフェンス島が好きです。フェンス島は人口が五万人に近い一島一市の島です。総合病院のあるいちばん南の島、そこそこ便利である、なんとか仕事にありつけるかも という人たちにはぴったりな島がフェンス島なのかもしれません。フェンス島の南側半分の地域は、離島とは思えないほど俗っぽい所で、何でも揃い、遊ぶ場所もあり、美味いものも食える、何でもありありの所です。暑い空気の中での街暮らしを求めるような者には、まことに都合の良い場所であります。しかし、この島は考えようによっては、まったくつまらない島でもあります。これを俗っぽいという言葉で片付けるのは抵抗がありますが、うまい言葉をしりません。ともかくも、この俗っぽさは島の北部へもおよびつつあり、有名お笑いタレントのマネキンが入口に立つ店、島の暮らしに憧れたのか、引っ越してきた団塊世代の方々が暇つぶしに開業したような、ほとんど客のいないカフェが軒を連ねる一角まで誕生しています。おもしろいけれどつまらん。少し前から「昔の風景が見られるような所へ行きたいな」という気になっていたのです。

 そこで、マダラマ島へ行ってみようと思ったわけです。この島だってもはや昔のままではない。しかし、人が少ないから店もきわめて少なく、食堂もほとんど開店休業という状況でありました。俗っぽくないというだけでもこの際はイイのです。この島では、わたしの使っている携帯キャリアは、繋げる努力を放棄しています。役場の施設で頼み込めば、Webでメールを読めないわけではありませんが、まぁ普通なら読めない、打てない ということで、少し開放された気になりました。
 マダラマ島というのは仮の名前です。静かで星がよく見えて、人もいないし、煩わしい付き合いもしなくて良いなどと書くと、住人から「ここを僻地扱いするなと」苦情が来るかもしれず、また「そんな所なら行ってみたいと」人が押し寄せるかもしれず、名前は明かさないにこしたことはないと思ったからです。

 ところで、この島のサンゴ礁ですが、浜から泳げど泳げど礁嶺(沖で波が砕けるところ)は遠く、波は高くて流れは厳しい。わたしたちが往復二キロあまりの調査を終えてボロぞうきんのような状態で浜にあがると、何れかから見に来てくれていた住人達が「よく帰れたな。ここはいつもこうなんだ」と気遣ってくださいました。それほど厳しい海でありました。3メートルの測深ポールを海底の砂に突き刺したのはいいけれど、流れに身体をもって行かれて、風にたなびく鯉のぼり状態です。1メートル隣にいる人に物を手渡しできないほどの強い流れでした。島の四周は、台風が近いわけでもないのにどこもこのような海象。しかし、人が来ないぶんサンゴ礁は健全でした。「荒れていない」、「十年前の白化から、よく回復しているな(海象や陸域の人為改変からみると、大きなダメージはなかったのかもしれない?)」というのが第一印象です。でも、遠い沖に広がるこのようなサンゴを見るためには、強靱な体力と気力、それに泳ぎもうまくなければなりません。「安易な気持ちで行ったら帰ってこれないよ」というような所です。近づけそうでいて、簡単に人を近づかせないサンゴ礁です。このあたりがフェンス島の東海岸とは大きな違いでしょう。

      つづく
2009/Sep.
 HASEGAWA Hitoshi


マダラマ島へゆく飛行機です

マダラマ島めざして降下します

マダラマ島の海岸とみごとなノッチ

水平線には「コマダラマ島」が見えます

前方礁原に近づくと礁池にはエダミドリイシが一面に広がります

礁嶺から礁斜面にくだる場所

縁脚のトップを覆うテーブル状のミドリイシ

縁溝・縁脚の一部

縁溝・縁脚の先は不気味な暗黒の世界

縁溝・縁脚を上から見下ろす。縁溝は転がる礫で磨かれ、激しい波を連想させる。