Vol.4−01   2002年01月号
金武湾の島々

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「今月の衛星画像」で使用したデータの中には、「研究利用目的配布」で購入したデータが含まれています。
ADEOS衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。
LANDSATの場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団 です。SPOTの場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。


 
 与勝半島から北の方を見ると、金武(きん)湾の南側の島々が見える。手前に平安座島(へんざじま)、その向こうに宮城島(みやぎじま)伊計島(いけいじま)が続く。伊計島はいちばん遠くにあるから“イチハナリ”とよばれていた。宮城島は古い地図(図1)には“高離(タカパナリ)島”と記されている。宮城島は台地状の島で、画像からも地形が読みとれる。琉球王朝時代には思想犯の流刑地であったというが、現在は過疎化に悩む島である。台地のうえに上原と宮城集落、北側に池味(伊計島を見られる場所にあるから)集落、南側に桃原(とうばる、平坦な土地に付けられる名前)集落がある。第二次世界大戦前、この地域はとくに海運業が盛んで、全盛期には100隻もの山原(やんばる)船が,本島の国頭(くにがみ)地方と糸満,泊(那覇)の各港を結んで交易したり,八重山諸島や奄美諸島まで結んでいたという。現在、与勝半島の南側の先端には米海軍の基地ホワイトビーチがあり(画像2)、原潜の母港となっている。
 与勝半島の屋慶名(やけな)は、那覇のバスターミナルからおよそ2時間の距離にある。この屋慶名と平安座島の間は、全長約5kmの“海中道路”で結ばれている。道路で結ばれる前は、トラック(干潮時)、その前は米軍払い下げの上陸用舟艇、その前は小舟が通っていたそうだ。平安座島と宮城島の間が埋め立てられ、石油貯蔵基地(CTS)の建設が始まったのは1971年のことで、この建設と引き替えに島の人たちは海中道路を手に入れた。CTSの規模は、鹿児島の喜入(きいれ)に次いで日本で二番目の規模だそうだ。
 しかし、この海の中をのびる一本の道路によって金武湾の潮の流れは大きく変わり、沖縄の瀬戸内海といわれた島々の景観と漁業は海洋汚染でダメージを受けた。ただ、海中の一本道は人によってはすばらしい景観と映るようで、ドライブを楽しむ観光客もまた多い。三つの島々は、海中道路と橋で陸続きになり伊計島にはレジャー施設もできた。
 画像1〜3は、日本のADEOS衛星が捉えたデータを処理したものだ。画像3で島の北側の海上に見えるのは、タンカーの繋留施設である。

画像1〜3 1997/01/13 ADEOS  AVNIR


  

画像1 本島南部                   画像2 与勝半島からのびる海中道路


  

画像3  平安座島、宮城島と石油貯蔵基地           図1 1919年(大正9年)測量 1/25,000 地形図「平安座」から

 <これらの画像の使用は、個人的な目的であってもご遠慮ください>   

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