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Vol.2−7 2000年7月号
「足尾山地 荒廃した山々」
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先月号の続きで、今月は上流の足尾山地を訪ねてみたい。
今から400年ほど前の江戸時代に、この地で銅山の開発が始まった。徳川幕府の時代に、銅の産出は最盛期を迎えたが、1820年頃には廃山状態になるほど、衰退したという。明治に入り、新しい鉱脈が見つかると産出量は急増し、それに伴って精錬所から出る廃水や排煙による鉱毒が顕在化するようになった。下流域での鉱毒問題は前月号を参照していただきたい。
ところで、足尾山地では明治20年に祭りの際の失火が山全体に燃え移り大火災が発生した。その結果、足尾山地一帯は禿げ山のようになってしまったという。そのうえ、当時の銅精錬法は亜硫酸ガスを多量に排出した。この結果、山火事跡地は森林が回復がなされないまま、斜面の荒廃が拡大していったのである。
足尾山地では、1940年代後半になって、ようやく砂防事業が本格化した。そして1950年代の半ばに亜硫酸ガスの排出が止まり、植林などもさかんに行われるようになった。1973年には銅の生産も終わり、森林の回復が進行した現在では、裸地の面積も少なくなってきているという。しかし、トゥルーカラーの衛星画像で見ると、谷全体が白っぽく見え、他の場所とは相違が明瞭である。
画像1、渡良瀬川上流の足尾銅山周辺のLANDSAT画像
画像2、 位置図 旧谷中村と記した部分が現在の渡良瀬遊水池 数値地図50m メッシュ(標高)より作成
<これらの画像の使用は、個人的な目的であってもご遠慮ください>