Vol.4−03   2002年03月号
石狩平野の砂丘

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「今月の衛星画像」で使用したデータの中には、「研究利用目的配布」で購入したデータが含まれています。
ADEOS衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。
LANDSATの場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団 です。SPOTの場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。


 札幌は、豊平川の扇状地の上に形成された(画像2の等高線図参照)大都市である。その札幌から車をとばせば、石狩海岸は目の前だ。小樽から銭函までつながるこの海岸は20〜30kmにもおよび、海岸に沿って見事な砂丘が形成されている。砂丘は、波や風で海岸沿いに集められた砂が風で内陸へ動かされ、植物などにトラップされてどんどんたまって形成されたものだ。
 海岸線から100〜200mほど内陸に入ったあたりの標高が一番高く、ここより陸側は見事なカシワ林が、海側には砂丘の上に草原が形成されている。6月あたりから、この草原には色とりどりの花が咲き乱れる。ずいぶん前のことだが、国土基本図にメッシュをかけて、石狩砂丘の体積を海岸線に沿って細かく測ったことがある。ちょうど中央のあたりで体積が減る部分があり、昔の河口の位置だろうかなどと思ったが、その少し南のあたりに石狩新港が建設された。
 画像2は、海面を5m高くしたときの海岸線の位置を示している。現在の地形図をベースにして、海面を機械的に上げただけだから細かいところは性格に再現されていないが、およそ数千年前の縄文時代の海岸線を示している(等高線間隔は5m)。当時の石狩湾(古石狩湾)は、10km以上も内陸まで入り込む浅い海を形成していた。そして、この当時の石狩湾口に形成されていた砂州(あるいは海岸砂丘)は、現在「紅葉山砂丘」とよばれ、内陸部に断片的に残っている。縄文時代以降、海面が下がり古石狩湾は石狩川が運搬する土砂によってじょじょに埋めたてられて現在の石狩平野ができていった。紅葉山砂丘と現在の海岸砂丘の間には、海面が下がっていく過程でつくられた花畔(ばんなぐろ)浜堤列とよばれる多数の浜堤が形成されていたが、現在では開発によってほとんど壊されてしまった。


   
画像1 石狩平野 2000年11月19日 RGB: ETM,TM2,TM5  画像2 海面が5m上昇したと仮定したシミュレーション画像




画像3 石狩川下流部の拡大画像  
2000年11月19日 RGB: ETM,TM2,TM5


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