Vol.5−03   2003年03月号
果てしなく広がる黄色い大地   黄土地 の舞台



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「今月の衛星画像」で使用したデータの中には、「研究利用目的配布」で購入したデータが含まれています。
ADEOS衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。
LANDSATの場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団 です。SPOTの場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。


※ 「今月の衛星画像」 2003年は名画・名作の舞台を宇宙からみる という特集を企画しました。
ただし、途中で息切れ、中断があるかもしれません。
 ※
 

今月は「黄土地」(邦題は「黄色い大地」1984年、中国作品)のロケ地として知られる黄河中流域をとりあげました。


 黄河は、その中流域で南に向かって開くコの字型に大きく屈曲している(位置図参照)。コの字型の内側がいわゆる黄土高原である。黄土高原の北には砂漠が広がり南は渭河の谷とチンリン山脈に接するが、その面積は日本の本州の広さに匹敵し約30万平方キロメートルにおよぶ。高原の頂部は標高1000〜1500mで、ここでは50mから厚いところでは200mにも及ぶ「黄土」が堆積している。
 「黄土」は半乾燥地域に堆積した風成堆積物で、中国北部とモンゴルがその供給地とみられている。この地域では、氷河から流れ下る河川が山麓に扇状地を作り、河床には細粒な物質が堆積している。氷河期とそれに続く時期、このような裸地から強い季節風に運ばれて風塵として由来した「黄土」が堆積して黄土高原を作っているものと考えられている。
 黄土高原の地形はかなり特徴的で、比較的平坦な頂部と、急傾斜する谷壁斜面にわけられる。この斜面にガリーとよばれる溝が多数形成されていることも多い(画像3)。衛星画像ではここまで見えないが、細かく刻まれた地形を読みとることはできる(画像1、2)。黄土高原にみられる浸食地形の多くは、過去の濫伐など人為的な植生の劣化が引き金となって形成されたと考えられている。現在では、黄土地の土壌浸食をなんとか防止しようと、段畑化を造ったり植林や砂防工事が進められている。

映画「黄土地」のなかで、抗日戦争中に黄土高原にある寒村(売買婚の残る封建的な村)にやってくるのが八路軍の若い文芸工作員である。彼は共産党の政策を広める宣伝歌の元歌を採集するため、延安革命根拠地から陝西省北部の極貧の村にやって来る。映画の冒頭で彼が果てしなく黄土高原を歩いて、貧しい村に入ってゆくシーンが印象的である。
 民謡の採集にやってきた工作員に淡い思いをいだく村の娘。しかし、彼女にもまた売買婚で嫁ぐ日がやってくるのである。この工作員が、娘の弟に教えた唄は「万民を救う共産党」という共産党賛歌であった。
 ある夜、娘は初めて自分の意志で行動を起こす。工作員を追って、村から逃れようと闇夜の黄河を渡るのである。しかし、娘の歌声はブラックアウトした画面の中で、突然消えてしまう。娘は共産党に入りたいという願いがかなわず、売買婚で嫁がされる運命にあったので、この映画には一人の娘さえ救えないのかという例えで、共産党への批判も隠されていた。
 
「黄土地」は、中国映画界に第五世代が誕生したことを告げる記念碑的作品で、この映画を見ずして中国映画は語れない とまでいわれたが、日本では果たしてどのくらいの人たちが見たのだろう。暗くて重い映画の部類に入るから、当時の「絶好調時代の日本」では、ほとんど受けなかったのではないかと思う。東京では一般館で上映されたが(私は新宿歌舞伎町で見た)、不入りで早々に打ちきりになったような気がする。早めに見ておいてよかった。
 なお、黄土を垂直に切り、壁面に横穴を掘って作るヤオトンは、この地域でみられる特徴的な住居である。また、「黄土高原の村」(古今書院刊)は、この地域の生活を知るよい情報源となる。

画像1、2 ともに太原(タイユワン)下流の黄河とその周辺の黄土高原。黄河は北から南へ流れる。1990年8月29日、LANDSAT TM RGB:742。
この画像の東西は、およそ●km
画像3 渭河の谷で。1984年長谷川撮影

 

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