Vol.5−05   2003年05月号
ナポリ湾、ポンペイ、ベスビオ山とカンパーニア平野 「ポンペイ最後の日」の舞台

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「今月の衛星画像」で使用したデータの中には、「研究利用目的配布」で購入したデータが含まれています。
ADEOS衛星の場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。MOS,MOS-1bの場合、データ所有および提供は宇宙開発事業団 です。
LANDSATの場合、データ所有は米国政府、提供はSpace Imaging(R)/宇宙開発事業団 です。SPOTの場合、COPYRIGHT CNES、提供はSPOT(R)/宇宙開発事業団 です。


※ 「今月の衛星画像」 2003年は名画・名作の舞台を宇宙からみる という特集を企画しました。
ただし、途中で息切れ、中断があるかもしれません。
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 今月は、過去に6回も映画化されたという「ポンペイ最後の日」の舞台となったイタリアのベスビオ山周辺をとりあげました


ヨーロッパ大陸唯一(たぶん)の活火山がベスビオ山である。登山電車のうた「フニクリ・フニクラ」は、1880年に索道鉄道が開通した際につくられたコマーシャルソングだというが、この索道鉄道は50年以上も前の噴火で破壊されてしまった。いまは、二人掛けのリフトが通っているという。ベスビオ山は、底面部の直径が約15kmの複合成層火山の総称で、外輪山をなすソンマ(最高峰1132m)と中央丘である狭義のベスビオ(標高1281m)より構成されている。
 画像3を見ると、侵食の大きい北側と、あまり侵食の進んでいない南側が好対照である。古く侵食を受けた時間の長い外輪山が、北側で良く残っていることが画像から判読できる。初期のソンマ火山は標高3000mに達したと考えられているが,前8世紀ころの大噴火で山頂の火口が拡大し,その後長く休止していたらしい。そして、死火山と考えられていたこの火山は,63年の地震の後,79年8月24日に大噴火した。このとき埋もれたのが南麓にあったポンペイや西麓にあったヘルクラネウムという都市である。それから実に千年以上、これらの都市は忘れ去れていた。噴火の経緯や、発掘で明らかにされつつある興味ある話は、金子史郎氏の「ポンペイの滅んだ日」に詳しいし、最近は火山学者の手になる案内書(ヨーロッパ火山紀行、小山真人)にも登場している。
 1748年,偶然発見されたポンペイは,現在,その約8割が発掘されているという。山の近くにあったポンペイには高温の火山灰や噴石が4m以上の厚さにわたって積もり、完全に埋没してしまった。火山灰の中に埋もれていた人間の死体や古代の建築物などが発見され、遺跡の組織的な調査が進行している

  映画「ポンペイ最後の日」は、無声映画の時代から、6回も制作されているという。私が子供の頃に観たのは、おそらく1960年(伊・スペインの合作)のものだろうと思う。しかし、子供の頃のこと、誰が出ていたのかも、ストーリーもろくに覚えてはいない。Webで探すと、小説は細々と売られているようだし、リットン卿原作という小説のあらすじも記されたサイトが見つかった。しかし、肝心の映画の情報まではたどり着く時間と根気が足りなかった。クリスチーネ・カウフマンという女優が出ていたらしい。この人は、いつか取り上げようと思っている「隊長ブーリバ」にも出ているらしいが、今回はこれでおしまい。

画像1、2(右) ナポリ湾の北岸には、多くのクレーターが存在する。北岸の最奥部にナポリは位置する。ベスビオ山は、肥沃なカンパーニア平野にそびえ立っており、ナポリからの風景は絶景だそうだ。「ナポリを見ずして死ぬな に一役かっている」。画像1.2ともに ランドサット5,TM+,RGB:542。1993年08月23日。
画像3、4(右) 底面の直径は約15km。北側に外輪山が残り、侵食が進んでいる。右の画像では、噴煙が南東方向にたなびいている様子が読みとれる。 画像3.4ともに ランドサット5,TM,RGB:542(画像3)、321(画像4)。1993年08月23日。

 

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