国士舘大学地理学会の巡検が2月14日から2月16日に実施されました
国士舘大学地理学会の巡検が3年ぶりに泊まりがけで行われました.今回の巡検は「伝統的建造物群の保存をとおした地域づくりを学ぶ」をテーマに行われました.冬の飛騨地方(高山市と白川村)を2泊3日で巡りました. |
|
1 | 2 |
高山駅にほど近い1泊目の宿に荷物を置いて,みぞれが降る中巡検はスタートしました.案内役の上原君(3年生)から資料が配布され,巡検のテーマ,日程,高山市の概要と伝統的建造物群保存地区に関する説明を受けました(写真1).アーケードのなかで重要伝統的建造物群の説明がありました.「雪国」において,アーケードの重要性を実感(写真2).高山市内には国が選定する重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)が二ヶ所あります.写真はそのうちの一つで,下二之町大新町伝統的建造物群保存地区です(写真3). |
|
3 | 4 |
5 | 6 |
その後,私たちは雪降る中,高山城跡まで登り,高山陣屋へ移動しました(写真4).江戸時代,幕府は飛騨地方を豊富な木材資源と鉱産資源を治めるため幕府直轄領(天領)にしました.飛騨地方の中心地である高山には,代官(郡代)として江戸から旗本が派遣され,天領の行財政を執り行ったそうです.御役所,郡代役宅,蔵から構成されている高山陣屋は,全国に唯一現存する江戸幕府の郡代役所なのだそうです.三町伝統的建造物群保存地区を見学し,1日目の宿に戻りました.宿は温泉民宿の「桑谷屋」.地元特産の飛騨牛や山菜料理,野菜を使った夕食に,みな満足しました(写真5).翌朝,宮川朝市を見学しました.朝市は,明治時代から続いているそうです.店の数は少なかったですが,高山特産の冬ねぎや赤カブの漬物,一位細工などの工芸品,さるぼぼなどの手芸品などが販売されていました(写真6).私,高山で飛騨牛100%使用の「高山バーガー」を食べそこないました.ちょっと残念. |
|
7 | 8 |
その後,高速バスで白川郷へ移動しました.2008年に全線開通した東海北陸自動車道のお陰で,高山駅から白川郷(荻町)まで約60分で移動が可能になりました.白川郷に到着後,まずは荻町の町並み保存の取り組み,世界遺産登録に伴う地域の変化について説明がありました(写真7).高山市内よりも積雪量がかなり多いこともわかります(道の脇には2m近く除雪された雪が積まれていました).私たちは,さらに五箇山の相倉合掌造り集落(富山県南砺市)まで足をのばしました(写真8). 白川郷と五箇山の合掌造り集落は,1995年12月にユネスコの世界遺産に文化遺産として登録されました.この地域の合掌造り集落が世界遺産登録された背景には,以下の点が関わっているとされています.@日本の他の農家の家屋に比べて構造,内部の仕組みが大きく,屋根は60度もの勾配を持った茅葺きの切妻屋根であること.A合掌造り家屋は,小屋の内部を2層から4層にして有効に使っており,勾配が急な屋根も家屋内部の空間を広くとるなど,巧みな空間利用をおこなっている.切妻屋根にした空間は,養蚕の作業場所や桑の葉を保存する場所としても使われ,妻に開く扉をつけて家屋の中に光と風を入れるように工夫され,日本の中でも特異な造りになっていること.B屋根の角度が急勾配なことから筋違いを入れて,強度の弱い部分を補うなど,他の地域では類を見ない建築技術がみられること.また,この地域が中部山岳地帯で「日本に残された最後の秘境」と称されたほどの地域であり,庄川流域で浄土真宗という同一の信仰による精神的絆を基礎とした社会制度や生活習慣が形成されてきたことなども価値づけられました. 文化庁 1994.『世界遺産一覧表記載推薦書 日本/白川郷・五箇山の合掌集落造り集落』http://bunka.nii.ac.jp/jp/world/suisensyo/shirakawago/start-j.html参照 今年はやはり雪が多いのでしょうか.道路脇には2.5mほど雪が積み上げられていました.生活道路を確保しようと,地元の建設業者が除雪作業を行っていました(写真9). |
|
9 | 10 |
11 | 12 |
次に,私たちは相倉民俗館において,合掌造りの家屋の成り立ちや五箇山の伝統的な産業について学びました.民俗館の2階には,合掌の屋根が村人の結い(ゆい)と呼ばれる村民の相互扶助によって造られ維持されてきたことを示す様々な工具が展示されていました(写真10).また,かつてこの地方の生活を支えていた和紙,養蚕(写真11)や焔硝(えんしょう:写真12)の展示もありました.焔硝って知っていますか?昔の火薬の原料です.飛騨地方では,江戸時代ころから,落葉や小枝,山草,蚕糞,住人の排泄物などを混ぜて焔硝土を調製し,灰汁煮(あくに)焔硝をつくり,それを上煮屋が精製して村外に販売していたそうです(馬路泰蔵 2009.『知られざる白川郷―床下の焔硝が村をつくった―』風媒社).急峻な地形であるため,稲作に適した水田を確保することが難しく,冬は雪で周辺の都市等への交通も閉ざされたこの地で生活していくために,焔硝は貴重な収入源となっていたのです. |
|
13 | 14 |
2日目の昼食は,相倉で五箇山そばをいただきました.地元でとれた椎茸やなめこと一緒に美味しくいただきました(写真13).そばは,「ブナ帯文化圏」の代表的な食材ですね.私たち一行は,その後白川郷・荻町に戻り,荻町の合掌造り集落を巡りました(写真14).荻町では,1971年に「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」が発足し,そこで「住民憲章」も制定されています.そこでは,保存の原則として「美しい荻町の自然環境を守るために,地域内の資源(合掌家屋・屋敷・農耕地・山林・立木等)については「売らない」「貸さない」「こわさない」の三原則が定められています.こうした住民主体の取り組みが,1976年の重伝建地区選定にもつながりました(白川郷荻町集落の自然環境を守る会編2011.『白川郷荻町集落40年のあゆみ』白川村教育委員会).伝建地区の選定を受けて,荻町では修理・修景事業が次々と行われました.茅屋根葺き替え修理,柱脚をはじめとした軸部修理が1976年度から2010年度までの35年間で181件,約10億5,000万円(内,補助金が約9億3,400万円)を投じて行われてきました.それ以外にも防災施設等事業や電線類地中化事業もあわせて実施され,合掌造り集落の保存が進められてきました(白川郷荻町集落の自然環境を守る会編,2011).ようやく荻町に戻ったころ,雪がやみました.住民の皆さんが合掌造りの急勾配の屋根に登って,雪かきをされているのが印象的でした(写真15).大変な重労働であろうことを理解できました. |
|
15 | 16 |
ところで,この白川郷の荻町は竜騎士07 / 07th Expansion原作のアニメ「ひぐらしのなく頃に」の舞台になっているのだそうです.「聖地巡礼」に訪れる人たちも多いようで,荻町の南にある白川八幡神社(写真16)には,たくさんの「巡礼客」の絵馬が奉納されていました(写真17). |
|
17 | 18 |
19 | 20 |
最終日,「雨男」もだいぶ疲れてきたのか,天気もよくなりました.萩町展望台から萩町の町並みを眺めました(写真20).萩町展望台へ向かうシャトルバスの停留所には,国内外からたくさんの観光客が訪れていました(写真21).巡検資料によると,1993年ころまで60〜70万人であった白川村の年間観光入込客数は,1995年の世界遺産登録後,1996年に100万人を越え,2002年には160万人近くにまで増加したそうです.このような急速な観光地化は,無断駐車をはじめとする交通問題,住民のプライバシーを侵す観光客の見学マナー問題をはじめ,様々な地域問題を生じさせています.白川村観光協会のHPをみると,こうした問題への解決へ向けた切実な思いがみてとれます.http://shirakawa-go.org/lifeinfo/info/kankou/onegai.html参照 最近では,中国をはじめアジア諸国からの観光客も増加しているようです.私たちも中国やタイからと思われる観光客をたくさん目にしました.村内の案内板も,四ヶ国語での案内になっていました(写真22). |
|
21 | 22 |
私たちが白川郷を訪ねていた時,丁度,某民放局のロケが行われていました(写真24).学生たちは芸能人を一目見ようと必死に追いかけていました…(巡検はどうした…?).かく言う私もミーハー気分でちょっとだけ追いかけました.2月25日と3月3日の「もしもツアーズ」をご覧ください.って,最後は番宣で終了するのもどうかと思いますが,こうして,今回の巡検は無事に終了となりました. |
|
23 | 24 |
撮影・文責:宮地忠幸 |