1998〜2000年の書き込み

2000/12/15      奥原 琢弥  (1997年度 卒業)

 元長谷川ゼミの奥原琢弥です。  
 今年も、悪魔のような急ぎの仕事が舞い込んできて、講演会に行けなくなってし まったので、メールを送ることにしました。
僕は、今も長野県塩尻市にある小さな建設コンサルタント会社「株式会社信濃技 研」という会社で、測量設計をしています。会社のパンフレットには、何故か俺が机 に向かっている写真が載ってしまっているし、UターンIターンビーイングという求人 誌(リクルート社発行の本の今年の夏の特集号)にも、小さい写真が載せられてし まっていた。それでいいのかー!会社のイメージ良く見せたいなら、もっとかっこい い奴を写せば良いと思います。
 ところで、僕は、今の自分勤める会社は30人そこそこの小さい会社です。ただ、 自分がこれだと胸を張って言い切れる就職の選択をしたことが、自分にとっては、物 凄くプラスになっています。
 僕の就職活動は、内外地図を社長面接で落とされるなど、今思っても、散々の出来 でした。今の会社の内定が出たのは、三月中旬でしたね。それまで、神奈川 の実家からほど近い大和市の小さなソフトウェア開発会社で、アルバイトをしていま した。けれど・・・測量設計をしたいという思いは断ち切れずに居たのも事実でし た。
 今の会社を受けようと思う前、僕は「どうせありきたりの面接の応対で周りの連中 より目立てなくて振り落とされるのなら、思いきって自分の得意な手法で、募ってい る気持ちを打ち明けよう」と決心していました。「採用してくれなくて構わないか ら、今後の自分自身の勉強の為に、どうか話だけでも聞いて欲しい」と直接信濃技 研に電話をかけたのでした。履歴書は、大学指定の様式の他に、Photoshopでパンフ レット風に仕上げた独自のものを作成し、卒論のレジュメも再レイアウトして添付し ました。学生時代に何をしてきたかを示すにはこれが一番説明しやすかったから・・ ・。今思うと、馬鹿な事を当時は思いついたものです。けれど、他人の真似ばかりし ていても、なにも内から生み出す事は出来ないという気持ちが、強く前へ自分を推し 進めていました。・・・数日後、僕は、初めての会社訪問に出向いた長野県塩尻の地 で、突然最終面接の機会を与えられました。その時、もう信濃技研はその年の新規採 用を締め切っていました。自分の入る隙間は、本当は無かったんです。
 だからというか、面接は、散々でした。失敗しつづけたそれまでの面接のような、 実に単純な事柄ばかり聞かれて、僕もありきたりの返答をして・・・わけのわからぬ まま面接は終了しました。
 ここまで馬鹿げた行動をとった自分にチャンスをくれたのは、北沢という自分の母 親と同じような年齢の女性常務でした。初めて信濃技研に電話をかけて、無理やり自 分を売込みをしたとき、快く応対してくれたのが、北沢常務でした。帰り際、僕は常 務に、自分に面接の機会まで与えてくれたことが嬉しかったということを伝え、塩尻 を離れました。東京へ向かう列車の中で「ほぼ確実に不採用だろう」と感じながら も、何故か心は晴れていたことを覚えています。
 内定通知が出る日も、僕は朝一番で、信濃技研に電話をかけていた。そもそも99% 位?諦めていたから「駄目なら今すぐにでも次の就職活動をしなきゃならないから採 用か不採用か教えてください」と気合を入れて望んでいたんだ。でも、予想外な事を 知らされた。俺は特例で採用された・・・。勿論、当時は、いつも快く俺に応対して くれたその人が、そんなに偉い役職だとは思ってもいなかった。
 僕は、国士舘に入学した頃、車に全く興味が無かったし、バイクも大嫌いでした。 それなのに気がついたら、どういうわけか車もバイクも大好きでたまらなくなってい た。 何でも良いからトコトンにやってみて、それから判断するように心掛けたことと、視 野を広げたいと思う気持ちが良かったのだと思う・・・。
 大概の場合、人間が成功する事が出来ないのは、物事をトコトン突き詰める執着心 に欠けているからだと思う。自分で「これだ」と思えるような、内に秘める想いのよ うな物を、真直ぐにすすむ力に変換するほんの些細な勇気や努力さえあれば、人生例 えば就職なんてどんな時代になっても大変ではないと思う。俺らより若いのだから法 を犯さない程度の失敗なんていくらでも許される・・・。会社に入れば、一人の失敗 は会社の経営につながるから、シビアだ。だが、「俺はこういう人間だ文句あるか」 という、全てをさらけ出すような姿勢で居なければ、就職した後でも、苦労するよう な気がするのは、俺だけなのだろうか・・・。見栄っ張りの面接は、自分を苦しめる だけだったし。  


2000/11/27      早川 敦  (1987年度 卒業)

 長島先生お元気ですか。62年卒業の早川です。
今月あった同窓会に出席にあたり世田谷校舎に久しぶりに伺い、先生に指導していただいた あの頃を思い出し、今回メールを送ります。 もう卒業して14年位経ちますが、 今でも付き合っているのは、5年間かけて卒業したFくんと、卒論で一番出来の良かったAくんと、私と一緒に 3年にあがる時仮進級したYくんです。特に親しく付き合っているのは、Yくんで、彼とは、学生時代からお互いに優の数がトータル1桁代というう こともあり、出来の悪さで今でもお付き合いしています。Yくんは、奇跡の4年での卒業を長島先生のおかげでできたといつもありがたがってま す。
 先生の御指導のなかで、印象的だったことは、
@ 当時、バーバリーのオーダーの背広 をさりげなく着ていました。将来俺も、バーバリーのスーツを着れる社会人になろうと決心しました。
A研究指導の中で、「早川君が何も考えずに卒業してもこの部屋の窓ガラスを新しくするぐらいなものでしょう。」と言われ、この先生は、非常に 頑固だが、決めるセリフを言える人だと尊敬しました。
 私は、他大学の大学院に行かせていただき、多くの大学から集まった院生達と切磋琢磨し自分が鍛えられ、あらためて国士舘大学が解かり ました。
本学地理学専攻も大学院を設置する予定との事ですが、先生はどのような方針で大学院生を指導されるのでしょうか。私は、モラトリアムを 増やすだけのような気がしてならないのですが・・・・・ もしお時間があれば、是非お話を伺いたいと思っています。


2000/11/15      中島 亮  (1996年度 卒業)
 みなさまお久しぶりです。 もう寒くなりかけているというのに夏の話題でなんなのですが、9月に石垣島に行ってきました。 以前に行ったのが大学4年のときなので、かれこれ4年経ったことになります。 うちの奥さんは本島以外の国内へいったことがなかったのですごい楽しみだったようです。 今回の一番の目的は白保の海でシュノーケリングをすることでした。 ちょうど台風もきていてできるかどうか微妙でしたが、なんとか影響が出る前に 潜ることができました。妻はもちろん初めてで、私も久しぶりだったので二人して感動してました。 (しかも前回行ったとき、私は陸上の調査だったため1、2回しか潜ってなかったのです) WWFのサンゴセンターにも行ってきました。一般の人たちにサンゴについて知ってもらうのと同時に、 長谷川先生をはじめ多くの研究者・学生が利用している施設です。今年の3年生の巡検でも使っ たのではないでしょうか?建ったばかりで白保の集落に意外になじむ造りとなっているので、 気軽に入れるような雰囲気になっています。石垣島に行った際にはみなさんぜひ寄ってみてください。
 さてさて、4年生はあと少しです。一番大変な時期ですがいい経験なのでがんばってください。 無事に書き終えて一段落したら国士舘地理学会に参加してOB・OGと交流を深めると同時に ぜひ下級生に自分の卒論談を伝えてください。
PS:ところで成ちゃん(前回投稿の井元成治君)お久しぶり!元気そうでなによりです。


2000/11/14      井元 成治  (1996年度 卒業
 
ご無沙汰しております。 現在、私はM旅行社というところで登山専属のガイド兼、ツアーコンダクターをやっております。4月からはじめましたので、今はまだ1年目、 国内の山岳が担当です。2年目以降はアジア、ヨーロッパなどの登山ツアーにも行かせてもらえるそうです。この仕事の稼ぎ時は夏の3ヶ月(7,8, 9月)で、この時期はずっと山に入りっぱなしって感じです。この1年、いろんな山(利尻山と礼文島、大雪山、東北各地、上信越各地、北アルプ ス、南アルプス、それから屋久島などなど)に行かせてもらいました。9月の終わりに、南アルプスの赤石岳、荒川三山のツアーがあり、その時に東 海フォレストに勤める増田君に出会った訳です。 この仕事は山渓の雑誌の求人(主に山小屋のアルバイトですが)で見つけ、ダメモトで履歴書を送ったのですが、いつのまにか採用されていました。 理由は地理学科卒(珍しいそうです)で、山の自然について解説(普通のガイドさんは高山植物の名前しか知りません)できるからだそうです。実 際、現在は異常とも言えるほどの登山ブームで、その大半が中高年。花の名前は図鑑で調べればいいのですが、名前だけ知ってはいるものの、それが どうしてそこにあるの?とか、どうやってできたの?などの疑問が多い地形(氷河地形や火山地形)の説明に関して、登山者にガイドできる人は実際 いないに等しい状態なのです。あと、環境問題についてもです。ゴミを持ち帰るという当たり前の事がようやく日本でも定着してきましたが、果物の 皮や梅干しのタネ、女性の用足し後のティッシュなどなど、まだまだ問題は山積みです。それから、教育テレビの中高年の登山学とかいう番組で、某 登山家がストックをむやみやたらに流行らせたおかげで、山は穴だらけでボロボロです。私も大勢の登山者と引率する者として、山小屋や旅館などで 自作のプリントを配布して、高山の地形や植生、それから環境問題について登山者(お客様)に説明しています。 またメールします。


2000/11/11      増田 尚徳   (1997年度 卒業)
 こんにちは。
4年生の皆さんは、卒論提出まであと1ヶ月ですね。  卒論が終わると、国士舘地理学会の講演会や発表会、そして「懇親会」があ りますよね。そうそれは、私が学会に携わっていた時、沈滞していた活動を盛 り上げるべく、それまで実施していたOB2人に就職の話をしてもらう「就職 ガイダンス」に替わって始めたものでした。
 ぜひ参加して、OB・現役学生の皆さんお互いに積極的に話して飲んで食べ て盛り上がりましょう。OBの方からももちろんですが、現役学生の皆さんの方 からもぜひ、積極的に声をかけてください。
 うちの専攻は、まだOBと現役との関係が薄いとも思えます(あまり濃すぎる とうざったいですが…)。せっかくOBがいるのだから学生の皆さんは利用しな い手はありません。このHomepageに投稿がある先輩方をはじめとして、地理に 関わりがあるなし様々な職業のOBの方々が大勢いらっしゃいます。この場で知 り合ったことが、就職をはじめどこかで生きてくるかもしれません。
 この懇親会を一部の人のものに終わらせず、みんなで盛り上げ、参加する人 の輪をより一層広げていきたいですね。
 それでは、国士舘地理学会懇親会でお会いしましょう!
 
 
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★国士舘大学地理学会は、12月16日(土)世田谷キャンパスにて開催予定です。ちかぢかこのホームページで詳細を発表します。


2000/11/06      村松 篤盛 (1994年度 卒業

 お久しぶりの登場、三重の村松です。どなたか「沖縄のことなら任せとけ!」とい う方はいませんか。と言いますのも、私の勤務する中学校は、従来東京への修学旅行 だったのですが、来年度から沖縄へ行く方向で動き始めています。まだ決定ではない のですが。沖縄と言えば、平和学習・環境問題・人権問題・サミット・マリンスポー ツ体験・・・などなどたくさん学べることは多いとは思うのですが、具体的にイメー ジできなくて苦戦しています。どなたか、いいアドバイスをください。お願いしま す。

※地理学教室 長谷川から:沖縄への修学旅行なら高文研 http://www.koubunken.co.jp/ 刊の「沖縄修学旅行」がベストセラー。この本一冊生徒に買わせて「勉強しておけ」と云うものぐさ先生が多いせいでしょうか?八重山地方への修学旅行も増えているそうです。石垣島へ行かれるなら、修学旅行生もあつかったことのある鬼インストラクターのいるエコツアー・ダイビングショップやサバニを使ったエコツアーを始めた海人(漁師)さんを紹介してあげます。私もつきあいの深い、しらほサンゴ村のHPもご覧ください。この施設とこの海も修学旅行生のコースになりつつあります。少人数ならOKでしょう。
http://
wwfjapan.aaapc.co.jp/siraho/newpage1.htm


2000/11/03      青山 郁子 (1980年度 卒業)

 2回目の投稿になります。1980年卒の青山郁子です。 地理学教室の卒業生のご活躍、このページを拝見してとても嬉しく思っていま す。ここ数年、国士館の地理卒でも随分いろんな職場で活躍されているのです ね。私たちの頃は、レベルが今より少し低かったのでしょうか?それとも、あま り職種がなかったのでしょうか? うらやましい気持ちです。
 ところで、大学院開設の件、驚きました。今の学生さんは、恵まれていますね。 今になってもっと勉強したいという気持ちがあるので、とても関心があります。 1回目のメールで、主人が少し地理に関わる仕事をしているとお話致しました が、環境アセスが主の仕事です。ひらたく言えば、技術士で、環境、建設、衛生 工学と3部門取得していまして、環境庁認定の環境カウンセラーと環境の技術者で す。 そこで、今になってまた私も地理に関わることが多くなりました。
 いまさら、私は資格を..とは思ってはいませんが、現在第一線でご活躍の皆さん は、実績を重ねるとともに、その実績で資格を取得されて、今後につなげていた だきたいと思います。仕事に反映される資格は、独立したときにも武器になりま す。これからの時代は個人プレーもできる技術が生かされると思います。
 色々ときままに私が今思っていることを書きましたが、仕事のことで何か考えが おありの方、下記の書籍2冊をお薦め致しますので、ご参考になれば幸いです。 時間できましたら、また、だらだらと書きたいと思います。どーぞ皆様ご活躍 を!!   
 環境/バイオ関連資格試験ガイド           日刊工業新聞社   
 環境と科学技術者の倫理 (社)日本技術士会 環境部会訳編  丸善

P.S.1980年卒の皆様、連絡のとれる人たちだけでも、クラス会しませんか?
 ちなみに、私は、結婚以来ずーっと同じ住所です。多分これからも。
 連絡お待ちしています。 メールアドレスは、連絡下さった方にのみお知らせします。


2000/11/03      増田 尚徳   (1997年度 卒業)

  みなさん、秋深まる今日この頃、いかがお過ごしですか?  星が空いっぱいに瞬く朝4時台、寒ッ!と思いながら目を覚まし、眠気眼の まま事務所を開けに行くと、気温が3℃や5℃は当たり前。紅葉は、標高1500 m付近から私のいる椹島(1100m)周辺で見頃を迎えています。
 さてこのたび、私の働く会社が自社ドメインを取得し、それとちょうど時を 同じくして、私のいる山関係の事業部ではHPを開設しました。管理者にはなん と私にご指名が…。これから更新に、維持管理にどうなることやら…。  私がどんなところで働いているのか、ぜひ見てみてください。
  <URL> http://www.t-forest.com/alps/  それでは、またお便りします。
P.S. 先日、井元さん(長谷川ゼミ出身の私の一つ上の先輩)が、登山ツアーのツアーガイドで椹島に来ました。まさかこんなところで知人に会うとは思いもよらず、びっくりしました。


2000/10/31      高橋  誠 (1993年度 卒業)

高橋 誠です。 先生、皆さんお疲れ様です。大学院の記事読みました。 環境論という項目は目を引きます。期待しています。
 今まさに、自然環境と建設、電力開発などの工事の調和、人間との調和が本やテレビ、シンポ、大学だけの議論ではなく実際に現場の最前線で目に見えてきました。そして、実施されつつありながら もいまだ駄目な学者、企業があります。
 現在、私は水力発電事業にかかる鳥類、動物を中心に調査をやっており現場の最前線に立ち調査計画、実際の調査、電源開発との話し合い、現場での評価、報告書作成、国、環境保全団体との話 し合い、検討委員会での先生との話し合いとその結果の手法の取り入れ方等すべてやっています。 すべてが難しく、つらく、ひとつのミス、発言が取り返しのつかないこととなります。
 ただし自分を信じて、まじめな心と根性と気合で時間をかけて勉強すれば何とか人を説得、納得してもらえます。  また、僕の現場ではないがつくづく馬鹿な意見、手法、評価がいまだまかりとおっている状況を目にして悔しい気持ちになります。 まじめな即戦力がほしい。緊急事態です。今すぐこの業界では技術者を必要としています。
 国士舘ではある程度の調査手法を学びました。 しかし、実際の植物、動物、鳥類、昆虫などの種類、調査方法までは教えません。  自分で学ぶのです。それは自分で現場で勝ち取るものです。  どうかこの分野で大学院で勉強する方への伝言です。 大学院を卒業してもプロには簡単になれません。大学院は学び屋です。どうか大学院にいるうちに現場で学んでください。 各分野いろいろありますが動植物に関しては興味がないと名前は覚えられません。調査の仕方も評価の仕方も現場に精通しなければできません。
 そしてまじめな気持ちで地球の自然環境のことを考えてください。駄目な学者に手を貸したり、ずるい企業にだまされないようしっかりがんばってください。  僕もまだ駆け出しですが毎日、喧嘩です。上司とも、電発とも。自分の行っていることに自信があるからです。でも協調性も持ってください。僕にはこれがない。  馬鹿は手と足と口数、根性、気合、後は勝負心、謙虚さ、駆け引きなどで稼ぎましょう。 体力は当然のことです。体力がないと無理でしょう。 自然環境調査は15〜20時間営業です。残業という言葉はありません。疲れたら会社の寝袋にinし仮眠です。会社が家です。 何回も行っていますが僕も駆け出し、ひよっこです。 自然環境調査員のライバルとしてお互いがんばりましょう。 ワイズユースをかかげて。 先生、生意気書いてすみません。環境調査の現況です。 ひまなときもありますのでどんどんこの分野に後輩を送り込んでください。ほんとは楽しい仕事です。 風邪がはやってきていますのでお気をつけください。 では失礼いたします。


2000/10/14     村山 弘明  (1980年度 卒業)

 はじめてメールを書きます。  村山弘明、1980年度卒業になります。 今までワープロも使ったことが無かった私が今年の2月に何をトチ狂ったか、パソコンを買いキーボードと睨めっこをする所から始めて、最近やっとデジカメでアルバムをつくる事などが出来るようになりました。妻はインターネットオークションにはまっていますが私はあまり利用していませんでした。何となく学校のサイトから  国士舘の名前が出てきたので嬉しくなり、更に進めるとなんと「地理ОBОG」出てきたので見てみましたがやはり最近の人ばかり、こんな所でもし、知っている名前が あるとしたら、今でも地理の勉強をしている、八久保ぐらいだろうなーと見ていると  ズバリ、八久保の名前を見たときには、嬉しくて一人笑ってしまいました。
 八久保や日吉、崎村みんな懐かしい名前です。そして青山郁子、旧姓、丸山郁子の名前もあるではありませんか。私の結婚式の二次会以来ですね。その節はありがとう。私は現在、神奈川でお巡りさんをしています。他の仲間たちは宮崎勝浩は大分で小学校の先生、藤森公二は石川県にある日本一の旅館「加賀屋」でフロントの副支配人をしています。くびになっていなければ・・・・  またみんなで会いたいですね。なかなか忙しいでしょうが機会があれば会いたいです。
 ではまた・・・


2000/09/25    高橋 秀和  (2000年度 卒業)

 こんにちは。初めてこのページを利用します、今年の春卒業の「高橋 秀和」と申しま す。 私は、卒業間際に、長谷川先生ゼミの友人4人と、研究室内の図書のデータ―ベース を作成した うちの1人です。私は、皆さんに入力してもらったデータをアクセスの機能を使い、 簡単な図書検索システムを作りました。 仕事のほうも社会人一年目のため、余裕もなく、卒業してからはそのシステム作成作 業に 取り掛かれませんでしたが、9/23(土)に研究室に持っていきました。 (そのうち学生も使えるようになるでしょう) 今のシステムは、ごく簡単な検索しかできないので、不満続出、先生の厳しい指摘等 あるかもしれませんが、 今後、自分のスキルアップとともに、システム改善をしていくつもりです。 まあ、一番肝心なのは、後輩がこれを勉強に生かしてくれることだと思います。 


2000/8/29     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 こんにちは肥留間です。 8月上旬の奄美に続いて、8/23〜27に御蔵島に行ってきました。 8/18に続いて8/29にも噴火のあった三宅島の南側にある小さな島です。 竹芝から三宅に向かう船は、ほうきやブラシ、掃除機、マスクなどを持った三宅島の 島民の方やボランティアの方が多く乗っていました。 特2等を利用したのですが、船室は半分くらいしか埋まっていませんでした。料金は4 割引となっていて2等より安くなっていたと思われます。 三宅島の港は灰色でした。火山灰は大分除去されていたようですが、やはりあの灰色 の空気はぬぐうことはできないようです。 御蔵島に渡る船が出るまで1時間ほどあるのですが、その間も雄山の頂上からは白い 蒸気を吹き上げていました。
  御蔵島ではドルフィンスイムやトレッキングなどをするために行きました。 御蔵島では5〜6年ほど前からいるかの調査をする団体が渡島したりしていたようで す。 個体調査がされており今までに200頭以上のいるかが確認されているようです。御蔵 島はいるかの棲む島と呼ばれ、子育てをする場所としても有名です。私が海に出たと きも数頭の子(赤ちゃん)イルカと逢えることができました。かわいいんだ〜これ が。 火山灰は御蔵島でも降ったようです。三宅島に降り注いだ灰とは違い、砂といった感 じの灰です。海にももちろん降ったわけで、イルカの生活にも影響が出るのでは?と 思われたのですが、元気に泳いでいました。しかし、透明度は悪いです。
 山のほうはどうかというと、長滝山、雄山、鈴原湿原を歩いたのですが、灰はあちこ ちで見られました。木々の葉にはまだのこっていて、ちょっとゆらすとぱらぱら落ち てくる。笹原に寝転べば、シャツに灰がついてくるというありさま。湿原に向かうと 木道には灰。湿原にも降っているわけで、湿原への影響はないのか心配になってしま います。 三宅の噴火も気になりましたが、ドルフィンスイムは充分楽しみました。 また、御蔵のイルカたちに会いに行きたいです。
  管理者注:イルカの写真が添付されていましたが、HPでは省略させていただきました。あしからず。


2000/8/09   増田 尚徳   (1997年度 卒業)

 こんにちは。久々に近況報告のMAILをお送りします。
 標高1100mのこちらは暑くても過ごしやすく、街中がどんなにむし暑いか想 像もしたくありません。平野部でもそうでしょうが、今年は特に雷や夕方の雨 が多く、今日も夕方から雨が降っています。
 ご無沙汰しているうちに、もう8月になってしまいました。  今、夏山シーズン真っ盛りです。梅雨も明けた7/20には、21日を休暇を取れ ば4連休ということで、多くの登山者がやってきました。椹島にも定員を越え る 230人もの登山者がドッと来て宿泊(6畳に4人の部屋×50余室)。翌日以降も 登山者の皆さんは、満員の山小屋を順々に縦走して、ドッと帰っていきました。  今、山では高山植物が見ごろを迎え、黄色に白にと、赤石岳や荒川岳などで 美しいお花畑が広がっているようです。
 それに先立ち、6月の半ばには熊の平小屋(南アルプス間ノ岳〜塩見岳間の稜 線にある、地形図参照)という山小屋へ、小屋開け&工事に出かけました。10日 間ほど山小屋に泊まり、そのまま垂れ流していたものを人目につかない所へ溜 めて浸透させる方式にするようトイレ関係の工事をしたりしてきました。小屋 は開けたものの、ちょうど梅雨入りの雨でヘリが飛ばず、1週間生鮮食料なし のまさに「缶詰」生活を味わいました。
 そういえば、6月下旬に2,3日休んで以来、自宅には帰っていません。いつに なったら休めるやら、帰れるやら…。夏山シーズンもあと半分! がんばろ!  それでは、またお便りさせていただきます。    <Vol.03 終>


2000/8/08     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 肥留間です。 久々のメールですね。きっと、長谷川先生は沖縄にサンゴの調査に出かけているので しょう。 在学中全く興味のなかった、海ですが、なんと8/3〜7にかけて奄美大島に行ってき ました。 台風8号がやってきましたが、奄美大島南部の阿鉄を中心に海峡を活動エリアとして いたので、あまり波の影響を受けることなく、サンゴの海を楽しみました。
 何しろは じめてのサンゴの海で、サンゴの種類は枝サンゴ、テーブルサンゴぐらいしかわから ず、魚なんて何が何やら…。
私の場合はスクーバではなくマスク、スノーケル、フィ ンをつけただけのスキンダイブですが、それでもなかなか楽しめます。 体験スクーバもやりましたが、魚の動きに合わせて泳ぐことのできるスキンダイブは やはりいいものです。 奄美というところは、マングローブの北限でもあり、魚も伊豆で見られる魚が見られ たり面白いところです。サンゴも波の静かな、干潟の脇のようなところでも見られた りして、かわった場所のようです。沖縄よりも面白いと地元の民宿の主人は言いま す。贔屓目で見ているわけではないようです。ぜひ、奄美のサンゴも見てください。 もしかしてもう調査済みでしょうか?

  
 
※長谷川から   一部分ですが調査済みです。数年以上前になりますが、2週間ほど宇検村に滞在し、そこで卒論を書いた学生もいます。奄美はホントにいいところ。開発の手があまり入っていないのがまた良いです。本HPの「今月の衛星画像」の2000/5月号を参照してください。先日、自然保護団体の人から、世界遺産に申請されるかもしれないと聞きました。奄美は自然も素晴らしいけれど芸能もまた捨てがたい。奄美の唄者(うたしゃ)であり旅芸人であった里国隆のCDを時々聴いています。それから奄美といえば、最近毎日新聞社から素晴らしいホントに素晴らしい写真集が出ました。奄美の森の美しさに、こころ洗われる気になります。探してください。ところでマングローブの北限は、鹿児島県喜入町ということになってます。 おっと、少し書きすぎた。


2000/8/7      高橋  誠 (1993年度 卒業)
 先生、皆さん元気ですか。私は元気です。現在、電源開発株式会社におります。正式には関連会社の環境緑化センターの環境部門を担当しております。
でもって仕事は猛禽類のイヌワシ・クマタカの調査、その他、動植物の調査をおこなっています。今年はイヌワシの幼鳥が無事巣立ってくれました。私が調査してから6年ぶりです。感動しています。でも忙しいです。思えば3年前はカラスに食われたのがかなりつらかった。

というように豊かな自然に囲まれながら新潟県湯之谷村の村民として自由奔放に生活しています。魚沼米とお酒「八海山」で さらにパワーもアップしてます。  馬鹿は手と足と根性でがんばるようにします。 ではまた。 連絡先 02579-3-2171です。 たまにサトー食堂にいってます。出張時に。 山も沢登りもがんがんやってます。 いっしょに行くやつ募集中。メジロアブがいやなやつはだめー。makotaka@f6.dion.ne.jp


2000/7/4      村松 篤盛 (1994年度 卒業

 みなさん、久しぶり登場の村松篤盛です。 もう梅雨明けしたのか、毎日30度を超す猛暑でバテバテです。
こんな時は、ドライブでもして、気分転換しないと。 そうそう、最近三重でも、高速道路や自動車専用道路に Nシステムにねずみとりがセットになったものが設置され、 レーダーにも写らないので、やっかいになってきています。 みなさん、スピードの出し過ぎには注意しましょう。 話は変わって、8月に職員旅行で立山に行くことになりました。 山に登るそうです。 地理出身なのに、立山のことあまり知りません。 どなたか詳しい方がみえましたら、いろいろと教えてください。 では、夏バテに負けず頑張りましょう。


2000/6/07      中島 加奈子(1997年度 卒業)

 ご無沙汰してます。 お元気ですか?
先日、鶴川祭に行きました。 大学へお伺いした理由は、 S先生(誰だかわかりますよね?)の作られた教材の 実験台(?)になるためです。 鶴川校舎の雰囲気は、 以前より一般の大学らしくなってきた感じがしました。 それに、学食もキレイになっていたし。 その際に、 地理学の大先輩である早川敦さんに お会いできたし、 現役の大学生の意見を聞くこともでき、 とても楽しい1日でした。(後輩思いの早川さんは、私の勤めている局で、 貯金をしてくださるとの約束をしてくださいました。 地理学の先生や先輩は、良い方ばかりで、 私はとてもうれしいです)
 2月に行ったイタリアは 予想以上に楽しかったです。 美術館や博物館が 本当に素晴らしかったです。 博物館で、地図を扱っていたおじさんと とても親しくなりました。 もちろん、言葉は通じませんが、 お互いが地図に興味を持っているから、 気持ちが通じたのだと、うれしく思いました。 それ以外にも、街の中になにげなく、有名な作品が おかれていることに、とても驚きました。 だから、イタリアについて もっと勉強をしてから行くべきであった、 と少し後悔してます。
  今度は10月頃、アメリカ東海岸に行く予定です。 今度は、様々な知識を身につけてから 行こうと考えております。 私は最近、風邪ぎみなので、 先生も健康にはお気をつけください。 それでは。 中島加奈子


2000/06/06    大和 祥二(1994年度 卒業)

 久しぶりにメールを送る1994年度卒の大和祥二です。これといって書くことはな いのですが、とりあえず我が家にも「いんたーねっと」なるものがはいりまし た。これからちょくちょく遊びにくるつもりです。まあ私のつたない文章を読ん でしまったあなた、あきらめて最後まで読みましょう。今日のところは短めにし ておき ますが・・・。  ところで今度の土曜日(6月10日)総会があるそうですが、また例のごとく出 席させていただきたくお願い申し上げます。


2000/6/02     青山 郁子 (1980年度 卒業)

 はじめてメール致します。 2年ほど前から、このコーナーは拝見していましたが、 最近卒業された方々ばかりでしたので、今ひとつ気がひけていました。 ところが、今日同期の八久保クンのメールが載っていて感激!!! 大崎先生、日吉クン、崎村クンもお元気とのこと、懐かしくなりました。 皆さんとは大崎先生の退官パーティでお会いした以来です。
 
 私は主婦ですが、 主人の仕事が少しは地理にも関係しているので、今でも地理は大好きです。 私も同期の皆さんの近況が知りたいです。同期の皆さんお元気ですか? 情報待っています。   昭和56年3月卒業、八久保クンと同期、旧姓丸山、現在は青山郁子でした


2000/6/02     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 麦秋至、久々の書き込みの肥留間です。
先日、長島先生直筆と思われる茶封筒が届きました。国士舘大学地理学会総会、講演 会、懇親会の案内でした。そういえば、地理学教室のHP(OBOG通信)ものぞいてない やと思い、見たところ、相変わらず書き込みが少ない。 というわけで、駄文を送ります。

 至麦秋…七十二候の言葉です。6月の始めがこの頃です。我が家は麦は作っていませ んが、麦畑を通ると、ついこの前まで青かった麦が黄色く色づいてくるようになりま した。緑色の季節の中、黄色く色づいた麦はひときわ目立ちます。 麦は作っていないのですが、米は作っています。市街地の中にある田んぼで、地下水 ではなく利根川から流れてくる農業用水を使っての栽培です。ちなみに作付けしてい るのは、埼玉県南部に位置する鳩ヶ谷市です。トラスト運動のあった、浦和川口の 「見沼田んぼ」よりもさらに南に下がったところにあります。江戸時代はこの用水を 使っての舟運も盛んで、浦和には「見沼通船掘」という名前だけのこった場所もあり ます。この用水、埼玉県を縦断し、大宮、浦和、川口と人口の多い地域を通ってくる ため、きれいとは言い難いものです。生活雑排水の流入、生ゴミや不燃ゴミの投棄な どがされているためだと思います。でも以前に比べれば下水が整備されるようにな り、いくらかはましになったのでしょう。
 
もうすぐ、芒種です。忙種とは、稲や麦など忙(のぎ)のある穀物、つまり稲などを作 付けする季節を意味します。我が家では先月の終わり、「紅花栄…七十二候、紅花が さかんに咲く」に田植えを済ませました。我が家の田植えは毎年この頃で、他の農家 に比べ遅いようです。田んぼに水が入ると、蛙がどこからかやってきて大合唱(夜 に)、昼はカルガモがやってきます。市街地にある田んぼですが、近所の人には「自 然」を感じられる場所のようです。また、水場が近くにあることで、まわりの気温が 抑えられるようで、涼しいという声も聞かれます。 6月21日には夏至を迎え、梅雨前線も北上してきているようです。蒸し暑い日がこ れからやってきますが、夏ばてせぬよう、体に気をつけましょう。 \(^o^)/∞∞∞∞∞∞∞∞☆彡


2000/5/25     八久保厚志 (地理学専攻12回卒業)

現在、東京にて地理学を各所で講義しています。先日大崎先生と食事しました。崎 村,日吉君と同席です。先生は大変お元気でした。
12回生の皆さん,暇があった ら,本ページ,または当方(atu@nit.ac.jp)まで近況なりお知らせください。

※管理者注 :上記文中の大崎先生とは、大崎 晃先生のことです。先生は元本学地理学専攻教授、現在は川村学園女子大学教育学部教授です。


2000/4/29      村松 篤盛 (1994年度 卒業

 みなさん、お久しぶりです。1994年度卒業の村松です。 今の職場(中学校)に来て2年目を迎え、今年は生徒指導主事(主任)という大役を 任されたり、またやんちゃな新1年生の担任をすることになり、ハードな日々を送っ ています。でも、とっても楽しい毎日です。と言うのも、昨年は副顧問だったけれど も、今年は念願の野球部の監督に就任できたからです。ユニホームもグレー地にタテ じまという、まるで阪神タイガースそっくりのデザインに変え、鬼監督として頑張っ ています。ちなみに僕は、巨人ファンですが・・・
 でも、悩みもあるんですよ。全校生徒81名・全学年単学級の小さな学校なんで、社 会科の授業だけでは受け持ち時間数が少ないので、なんと臨時免許で技術の授業も受 け持っています。また、教諭が5人しかいないので、いろんな仕事をこなさなければ ならず、はっきり言ってしんどいです。ただ、自身の講師時代の苦労を思い出すと、 今の苦労なんて楽勝です。贅沢は言えませんよね。いろんな逆境にも屈することな く、本年度も自分の良さを全面に出して頑張ります。みんなも頑張ってくださいね。


20004/24    中山  修   (1989年度  卒業)

 先日奇妙なメールが届いていまして、宮川晴夫君からのもので、地理学科のHPがあるというメール。それを見たらというものでしたが、そのHPのアドレスぐらい書いてもらいたいものでした。検索するの に2日かかりました。中々の出来栄えで感動しています。私は4年間、地理の研究で何か残る事をしたという記憶はありませんが、いまだに夢で、3年間落とし続けた野口教授の授業見ます。なぜか は分かりません。多分留年する事が恐かったからだと思います。卒業して10年くらい経ちますが、静岡・神奈川・東京と転勤の嵐で、今静岡県に落ち着きました。地理学的に言えば、営業地理学と でもいうのでしょうか。その地域ごとにお客さんの違いがはっきりしてます。しかし今はカミさんと子供の生活地理学を身にしみて勉強しています。 napy@alles.or.jp


2000/4/19   宮川 晴夫   (1989年度 卒業)

 昨日書き込んだら、近況を書いてくれと先生から返事。それで、再度書き込みをします。
私は今、茨城県の古河市の隣町の総和町というところに住んでいます。 仕事は、Uという会社(本社名古屋で、一応、東証一部上場企業です)。 北関東を転々としてまして、今は、アピタ石下店という昨年秋にオープンした とこで、スポーツコーナーの担当をしてます。 景気の波を肌で感じ、お客様の人心乱れる姿(?)を、毎日見てます。 一応、結婚できまして、子供が、まだいないので、のんびりと暮らしています。 髪の毛は、減る一方でだいぶ親父化が進んでます。 卒業論文の<農村地域における民俗芸能の保存状態について>の続編は、いまだ続き、 ウチの奥様が青森の出身(義父は、獅子舞の保存会の会長)という好条件!なので、 調査しやすい環境が整いました。
 地域論で目覚めた、海外調査も進み、少ない給料をやりくりしたり、会社の研修やらを利 用し、 アメリカの州も2/3(のべ6回程)は行きました。昨年は、オーストラリアで、夢のエ アーズロックに も行きました。薄れてゆく記憶をたぐり、気候学や地質学、地誌を駆使して、一風、変 わった 旅行を楽しんでいます(地理学科卒を、思い出しました)。
  ナショナルジオグラフィック(日本語版)も、定期購読してますし、地理学との縁は、続 いています。 会社でも、少しづつ偉そうになってきてますので(けっして出世してるわけではない・・) そろそろ、<後輩を、応援する、お手伝いができるかな>(ビール代とか)と思っていま す。  ゆくゆくは、過疎化の進む青森の天間林村(奥様の実家)で、ニンニク農家をしながら、 自然とすごす予定です。
 以上、近況報告終わり!
 4年ほど前に、奥様を連れて、世田谷校舎に行ったのですが、誰もいなかったので、残念 ながら 帰ってきました。平日休みで自由がきくので、また、行けるよう努力してみます。 長島教授、私は元気でやってます!!!  
私のアドレスは、appare@poplar.ocn.ne.jp   それでは!


2000/4/19   鷹箸 二郎   (1993年度 卒業)

 久しぶりです。平成六年三月(恐らく1993年度卒業)卒業の鷹箸二郎です。 在学時は長島先生のゼミにお世話になっておりました。 このOBOG通信の存在を知ったのは去年末でしたが、 同期の連中が誰もいないようなので私が一番乗りで送ってみました。
 卒業後は大学の近くの銀行系列の情報系(今はITと言うんでした)企業で システムエンジニアをやっていましたが、家の事情で郷里の福島へ帰り、 今はなんと測量の仕事をやっています。(前の仕事と全然関係ない・・・) 卒業以来同期の仲間と連絡が取れないのでせめてこの通信で連絡が取れると 嬉しいです。
 先生方も体調を崩さずにがんばってください (屋外の仕事が多くて体ガタガタ・・・) またメールします。 メールアドレス:taka-26@mth.biglobe.ne.jp


2000/4/18   宮川 晴夫   (1989年度 卒業)

 ご無沙汰してます。 90年、3月卒業の宮川です。卒業して10年たちますが、覚えていらっしゃいます か?
まだ、同期の方から連絡が無いようですので寂しいです。 誰か、記憶されてるかた、いらっしゃいませんかあ〜〜! あまり、熱心な学生ではなかったのですが、今でも地理の勉強はちゃんとしてま す。
仕事にも、遊びにも役立っています。 ふと、HPを見たらとても懐かしくメールを送ってみました。
こんな立派なものがあったとは・・・ それでは!


2000/4/17   増田 尚徳   (1997年度 卒業)

 4/17朝6:00。しまったー! 初日から寝坊だ。それにしても寒い。 温度計は−2度。フリースを着て、事務所へ走る。みな5:00くらい にはもう事務所にきてTVを観ながらコーヒーを飲んでいるのだ。
 先生方をはじめ皆さんお元気ですか? 山からMAILを送ります。  4/14に、生命線である水の支度(沢から引っ張る)で日帰りした後、 4/16に再度入山しました。さぁ、今年もシーズンの始まりです。  前回書き残しましたが、私の仕事先の椹島ロッジ(4/末〜11/末営 業)は、静岡市の山奥南アルプス赤石岳の麓で大井川上流の標高1100 mの所にあり、島田や静岡から最後に林道を通り3時間以上かかると ころにあります。休暇は、月1回くらいに3,4日程まとめてとる形に なります。社員3名に、従業員は、調理師や送迎の運転手などが4 名から、夏には10名程います。夏は若い人がいますがそれ以外は年 配者中心で、特に朝から晩まで一緒の住み込みですので、そんな中 で私みたいなのがうまくやっていくのはなかなか大変です。  それでは、またお話させていただきます。    <Vol.02 終>


2000/4/11   増田 尚徳   (1997年度 卒業)

 1997年度卒業の増田尚徳です。先生方、ご無沙汰しております。 先輩・同級生・後輩の皆さん、お元気ですか? このHPは、開設 当初からずーっと拝見してきましたが、書こう送ろうと思いつつも、 いざとなるとこれがまたなかなか気合いがいるもので…、参上がた いへん遅くなりました。  私は、地元・静岡は島田にある製紙会社の子会社に勤めています。 もとは親会社の社有林管理や造園から始まり、現在では建設・山林 ・法面といった事業も行っている会社です。その中で私は何をやっ ているか? まずは、地図で静岡県の形を見てください。親会社は その北へとがっている部分を社有林としており、サービス事業部で は、そこ大井川源流部の南アルプスで、ロッジ・山小屋を経営・管 理しています。この会社に入ったのは、高校の時に山に登っていて 知っていたからで、ホント、たまたまです。  私が高校の頃にはテントを背負った高校・大学生がいたものです が、今はそれもまれで、中高年の登山がブームです。そんな中で今 登山の現場が抱えている、オーバーユース、トイレやゴミといった 問題については、また報告させていただきます(希望があれば)。


2000/3/21      杉下 創史   (1995年度 卒業)

 1995年度卒業の杉下創史です。私を知っている人お元気ですか?結構、長い間ここのホームページ見てきましたが、やっと自分も重い腰を上げて書いてみます。
  今私は、埼玉にある建設コンサルタント会社(土木設計会社)におります。まあ、ひょんなことから土木設計の世界へと足を踏み入れてしまいました。主に自分が担当しているのは、河川設計、道路設計の分野です。道路工事ってやみくもに工事していると思っている方もおおいでしょうが、工事の前に表面の水をどこに流すだの、宅地との段差がどうなのとミリ単位のことを決めたりしているのです。
  最近、河川のほうは多自然型河川だの、親水性河川だのということをよく使います。前者は、コンクリートやブロックの護岸をやめて、木や石など自然?にあるものを使用する工法です。後者は、水辺に人が近づけられるようにする護岸のことです。みなさんも聞いたことあるでしょ。これらが河川設計の2大テーマになってます(設計を行う上での2大免罪符ともいう)。でも、沖積平野の真ん中で大きな石を転がしたり、植生可能な護岸ブロックを設置すると、草が繁って安っぽく見えるからダメだの、水際には柵をつけろだの、結構矛盾のジレンマに陥ります。自然だ、清流の復活だ、といいながら見た目が派手だったり綺麗でないと住民の反応もよくないといった感じです。本当は、もっとちゃんと考えて整備したいのですが、まだまだ自分の技術も未熟で仕事のイニシアチブがとれないのです。とほほ。頑張らねば。この場を借りて皆さんからもご意見ください(E-Mail sohshi@olive.ocn.ne.jp )。では、また。


2000/3/13      中島 亮  (1996年度 卒業)

 お久しぶりです。みなさんお元気ですか?96年度卒業の中島亮です。 投稿は2年ぶりですがこのコーナーは度々拝見させていただいております。最近懐かしい名前が増えてきましたね、でも96年卒業の面々がまったく見当たりません。 見ていたら投稿してみてください。
 さてさて近況ですが、入社以来出向していた「海洋科学技術センター」を 来年度中には後任と引継ぎをして元の会社のリモートセンシング課にもどれそうです(決定はしてませんが)。 海洋センターが横須賀にあったため通勤が往復で5時間くらいかかってたのが 東京の新橋にもどれて楽になる反面、入社以来3年間仕事をしていたところだけに 元の会社よりすっかり馴染んでしまっているため複雑な心境です。 年2回行われる国士舘地理学会にはなるべく参加しているので投稿している人・いない人 を含めてお会いできるといいですね。

 ところで、3/11(土曜日)のニュースを見ていてびっくりしました。 新石垣空港の選定会議でカラ岳陸上に決定したというではありませんか。 大変くやしいですが動向を見守るしか今の自分には出来ません。 白保にかかわった一人としてもどかしさでいっぱいです。


2000/3/11      村松 篤盛 (1994年度 卒業

 皆さん、お元気ですか? 久しぶり登場の村松篤盛です。 花粉が飛び交う3月は、私のもっとも嫌いな月です。 それから、年度末ということもあって、子どもらの成績をつけたり指導要録を作成したり、また来年度の人事異動・・・など、精神的にとてもたいへんです。 好きでこの職業をしてるんだから、贅沢はいえませんけどね。
  さて、地理学教室を卒業された方の中には、教師を目指して頑張ってる方が多いようですね。とくに都会では、なかなか採用枠がなく苦労されていることと存じます。競争率が30倍以上なんてザラです が、子どもとクラブ活動に励む姿とか、教壇で子どもたちに夢を語る姿などを想像しながら、教採合格をめざして頑張ってください。影ながら応援しています。では、今回はこの辺で失礼します。


2000/2/29     青木美和(1995年度 卒業)  

 こんにちは、1995年度卒業の青木美和です。 あらゆるみなさん、お久し振りです。
今回初めてここをのぞきました。というのも、長谷川先生に「OBOG通信よろしくね!」とさわやかに頼まれてしまったからです。それは私が「この地形学用語が分からない!」と言って安易に先生に訊いたからです。
 それにしても開設してから2年、29件、というのは、う???ん、という印象です。先生が「それ来た!」とばかりに釣ってしまった心境が分かります。しかし顔ぶれはけっして珍しいものではないですね。当時教室に入り浸っていた面々でしょうか・・・?
 近況はといいますと、卒業して1年半くらいは測量会社で測量業務に従事し、現在は市内(長野県塩尻市)にできた石の博物館に来て2年経ちました。私たちが卒業するより前からの就職難は、現在ではさらに一層より激しく厳しいですが、晴れて就いても、会社はか?な?り厳しいです。
 博物館の学芸員として就職するなら公立を選びましょう!しかし!先日、博物館職員等関係者研修会に参加した折、とある村立博物館の学芸員の方に「私立博物館はたいへんだなぁ。」と簡単にコメントされてしまい、ショック。 新卒でそのまま公務員になる危険性を感じました。
博物館に興味のある方は、私の勤める博物館のHP(下記)をみてください。学芸員などに関する質問はこちら→ Miwa.86@a9.mnx.ne.jp へ ではまた。  
http://www.shiojiri.ne.jp/~jwlbox/


次回は同期の杉下君が投稿します!と宣言しております。仕事について語ってくれるらしい・・・。勾う御期待!


2000/1/31      中島 加奈子(1997年度 卒業)

  ご無沙汰しております。平成9年度卒業の中島加奈子です。 OB・OGからのE-mail欄で、私と同じ年度に卒業した方々の名前を拝見し、なつかしく思っております。
  私は今、特定局(小さい郵便局)の窓口に座っております。 私がいる局は、駅に近いこともあり、毎日忙しく仕事をしております。 それでも、休みだけはしっかり取らせてもらっており、もうすぐイタリアへ12日間行く予定です。夏休みでもないのに1週間以上休めるなんて、恵まれてい る職場だと思います。 地理学教室のホームページを拝見して、地理の楽しさをあらためて感じました。(自分がいかに地理から離れた生活をしているのかということも) 寒い日が続きますので、健康にはお気をつけください。 これからも、ホームページ、楽しみにしております。 それでは、失礼致します。


2000/1/26     福田 晶子(1997年度 卒業)

 先生に「覚えてるぞメール」をいただいて、すかっり気をよくした私。 梅ヶ丘から学校へ向かう道を、新鮮な気持ちで歩きながら、なんだが学生の気分をすっかり味わいました!
 学食で当時のお気に入りメニューをたべながら、学生の頃の気ままさを振り返ったり、掲示板に書かれてある懐かしい講義を思い出したり、と。 いいもんですね!!
 先生にお会いできたらもっと良かったのになぁ。 これから4月まで、私立の中高学校の教員募集にがんばるつもりです。


2000/1/25     福田 晶子(1997年度 卒業)
 
 先生方ご無沙汰しております。 平成10年度に国士舘地理専攻を卒業した、福田晶子です。
 学生当時の私は、地理にかけてはかなりの落ちこぼれでしたので、先生方のすばらしい講義にもなかなかついていけず、苦労した口の一人でした。今、改めてもう一度先生方の講義を一番前の、先生の目の前の席で自信もってうけたいと本気で考えています。(笑)。 お元気ですか!?
 私は教員になりたくて、教職浪人の道を選び、今現在も苦労の日々を送っています。卒業してもうすぐ2年。 中学校の臨時教員をしながら、空いた期間はフリーターとしてアルバイトや学校教育のボラティア活動などをしています。中学校は学校崩壊寸前の学校に半年、理解ある教育現場の中学校に4ヶ月、この学校の経験が、私のめげそうになる気持ちを支えてくれています。
 明日1月26日 私立の学校の教員募集の手続きの関係で国士舘に行きます。お暇な時間ありますか? 会いに行っていいですか?忙しくて暇なんてない場合は邪険にしてくださって結構です。お昼頃行く予定です。 私のこと覚えているといいのですが。


2000/1/25     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 どうも肥留間です。 懐かしい人の書き込みがされていてびっくりです。
同期の清水(旧姓:沼田)さんから「京都大学の助教授になって、新聞にも紹介され ていたよ」と連絡があったのを思い出しました。 さて、卒論公開試験がもうすぐ行われますね。OG、OBのみなさん来ましょうね (平日だから難しいかもしれませんが)。 私は3日間出席することは難しいですが、NEWS LETTERをみて、興味のある (面白そうな)卒論が2日目にありそうなので、2月8日にお邪魔しようと思っていま す。 12月11日の研究発表会では、スライドやOHPはもちろん、PCプロジェクターなど があって、きれいな図表が発表の際使われていました。PCやソフトが充実してきた ので、質の高い図表が作れるようになってきたようですね。卒論も期待しています。 自分の頃の卒論試験と比較してみても格段に違うんでしょうね、内容なども。 それでは、同期の皆さん、試験会場でお会いできるのを楽しみにしています。


2000/1/17     水野 一晴 (元非常勤講師、現在 京都大学助教授、在ドイツ)

 国士舘大の教官OB(元非常勤講師)として書かせていただきます。 このコーナーの書きこみを見ると、けっこう知っている名前が多く、懐かしく感じま す。今、私は、ドイツのレーゲンスブルク大学に留学中で、雪が舞う毎日をけっこう 楽しんでいます。 京大に就職してからも、何人かの国士舘大の教え子たちが京都まで遊びに来てくれま した。とてもうれしいことです。ドイツには昨年10月1日から来ましたが、その直前 にも、国士舘大の佐藤くんが京都まで遊びに来てくれました。彼は、ぼくがはじめて 国士館大で教えた学生です。
 国士舘大での非常勤講師としての生活は、ぼくにとってとても大切な思い出です。 とくに、長谷川先生には、とても大切にしていただいて、このご恩は一生忘れること はできません。野口先生にもいろいろとご親切にしていただきました。他の先生方に も何かと面倒を見ていただきました。人との縁というのはとても大切で、国士舘大の 学生さんも、大学での友人や先生方を大切にしてください。きっと、かけがえのない 人たちとなっていくことでしょう。  
 一昨日、こちらの大学(レーゲンスブルク大学)の日本語講師の教授のお宅のパー ティーによばれました。日本語の授業の受講者対象のパーティーだったのですが、め ちゃくちゃ楽しかったです。学生たちに、どうして日本人は小さいのに、お相撲さん はあんなにばかでかいのかを聞かれたり、納豆はほんとうにおししいのかを議論した り、久しぶりに笑った気がします。  ヨーロッパに来る機会がある方は、ドイツにも遊びに来てください。国士舘大の関 係者なら大歓迎です。


Kazuharu MIZUNO 水野一晴
(1999年10月1日−2000年7月31日) Institut fur Geographie, Universitat Regensburg, 93040 Regensburg, GERMANY (手紙、封書) 93053 Regensburg, Universitaetsstrasse 31, GERNANY (小包) TEL +49-941-943-3625 (直通) FAX +49-941-943-4004 TEL (自宅) +49-941-53664 (直通)
(2000年8月1日−) 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 606-8501 京都市左京区吉田下阿達町46 TEL +81-75-753-7829 FAX +81-75-753-7820
E-mail: mizuno@jambo.africa.kyoto-u.ac.jp     (※メイルは自動的にドイツへ転送されます)
http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/~mizuno/mizuno.html


2000/1/8     池田雅博 (1979年度 卒業)

 じめまして、1979年度卒業の 池田雅博と申します。 卒業してちょうど20年になります。 10年一昔と申しますが、20年ともなると、 何もかもが新しくて、浦島太郎の心境です。 私が在籍していた時の専任の教官で現在もいられるのは、 長島先生だけです。 卒論の指導教官は大崎晃先生でした。 田淵先生からは、地形学を学びました。 今は、若い教官が多くて、活気がありますね。
 その長島先生からの年賀状で、地理学教室のHPの存在を知りました。 もっと、早くアクセスしてみるべきでした。 各ページをじっくりと見て、その研究環境の充実振りに目を見張っています。恵まれ た施設・設備の中で学習できる今の学生がうらやましいですね。 卒業して、地元に帰り、北海道の室蘭市で、小学校教員をしております。 地理学からは、すっかり遠ざかっています。教育の世界も、大きな改革 期を迎えています。 懐かしさから、中身のないメールになってしまいました。 同期の仲間や、同じ職業の方、この仕事に関心のある方は、ご連絡 ください。
   Masahiro Ikeda E-mail 1278@muroran.iburi.ed.jp


2000/1/2      村松 篤盛 (1994年度 卒業

みなさん、あけましておめでとうございます。 今年も、ちょくちょくOBOG通信へお邪魔します。みなさんも、どしどし書き込みをしましょうね。 2月の卒論の口頭試問は、スケジュールが会えば行きますので、1994年度卒業生のどなたか、同窓会なんか企画していただけると嬉しいのですが・・・ 話は変わって、現在4年生のみなさん、卒業まであとわずかですが、社会人になったら好きなことを好きなときに出来ないので、今のうちに楽しんでくださいね。それから、卒論の口頭試問もさること ながら、最後の後期試験も油断せずに頑張って下さい。 では、みなさん、今年もよろしくです。


2000/1/1     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 OG、OBのみなさま、地理学教室の先生方、 あけましておめでとうございます。 今年も書きこみをバンバンしていきたいと思います。 Y2K問題が心配されましたが、鳩ヶ谷(つまり、全国ですよね、きっと)では水 道、電気は止まりませんでした。テレビもラジオも何の問題もなく作動しています。 OG、OBのなかには、自宅待機、会社出勤などされた方も多数いらっしゃったので はないでしょうか。何事もなく年が越せて良かったですね。


1999/12/16    村松 篤盛 (1994年度 卒業

 みなさん、お久しぶりです。三重の村松です。今日、久々に地理学教室のHPを開いたんですが、肥留間君のおっしゃること、なんか分かる気がします。ただ、私を含め、本当は行きたいんだけ ど、遠方で、しかも仕事と重なって行けないという人もいると思います。ということで、みなさん、無理しない程度に、できるだけ参加しましょうね。それから、このコーナーも一部のOBOGしか利用し てませんよね。長谷川先生が入力に困るくらい、メールを殺到さして、もっともっと盛り上げたいものです。  さて、話は変わって、私は今、子どもらの成績をつけたり、三者懇談をしたり、とても神経を使う日々が続いています。でも、子どもらと一緒にいると、心がなごみますね。どんなに仕事がしんどく ても、どんなにストレスが溜まっても、子どもらと一緒だと乗り越えられる気がします。日本一平和な村の、日本一素直な子どもらに囲まれて毎日を過ごしている自分は、ホント幸せ者です。


1999/12/15     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

肥留間です。 12月11日の国士舘大学地理学会の研究発表会に行ってきました。 OB、OGが多数参加するのでは?そんな思いも少し抱きながら、会場に足を運びま した。 受付で見たところ、参加者は私が2人目。現役学生が多数集まった会場では、長島先生の開会の挨拶が始まる というのに…。 学生による研究発表が終わった後の、講演会、懇親会には、残念ながら参加できませ んでした。帰り際にもう1度受付をのぞいてみると、結局4〜5人しか来られなかった ようです。もしかすると、HPでしか研究発表会を知る機会がなかったのではないか と思われました。でも、コメントしてる方がいらっしゃるんですから、もう少し参加 しましょうよ、卒業生の皆さん。長島先生としばらくお話する機会があり、研究発表 の内容や、巡検に卒業生で参加してもいいのに、などという話で盛り上がりました。 こんどは卒論の公開試験で、卒業生の皆さんが訪れる機会があるのではないかと思い ます。たまには、お世話になった先生とお話するというのもいいものですよ。 P.S.研究発表会で、興味のわいた発表は、内田ゼミ・菅野さんの「子供の知覚環境と その構造について」でした。


1999/11/18     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 お久しぶりです。肥留間です。なかなか新しい書き込みがありませんね。 今年は11月に入っても、暖かい陽気が続いてしまい、我が家の野菜の成長も早いよう です。収穫期間が短くなってしまい、たいへんでした。 まだ暖かいから、野菜の種をもう少しまいていしまおうかなと、10月下旬までが蒔き どきの種の袋を眺めていたら、急な冷え込み。この天気はどういったことなんでしょ うか?野口先生。 話がかわって、今年のしし座流星群、見ましたか?天文少年(だった)の長谷川先生 も夜空を見上げたのではないでしょうか。私は16日の夜に富士山5合目まで出張った のですが、満足できるほどの数を確認することは出来ませんでした。18日の未明は曇 り空だろうと、初めから高をくくっていたら、4時以降晴れ間があって、火球クラス が流れたようです。しかし、当初の予想がずれているのか、初めから活発な活動では ないためか、数は少ないようです。NASAで行った、飛行機による上空観測では最大HR 30ほどのこと。今年はレオニズを見ることはないと思うので、来年に期待します。 卒論締め切りまで、1ヶ月を切って、各先生方もご指導大変とは思いますが、体に気 をつけて後輩たちを指導してください。来年の公開卒論試験、行けるようであれば、 お邪魔したいと思います。 ZVF04764@nifty.ne.jp


1999/10/29     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 う〜ん。また村松の後なのがちょっとくやしいなぁ。 肥留間と申します。 23、24日に長野県駒ヶ根に行ってきました。実は私、Be-Nature Schoolなるものに入 学(?)してるんですねぇ。知っている方がいたらうれしいです。駒ヶ根で何をしたか というと、言葉では表現できない! 駒ヶ根にはダグラス・ファーという発明家でありアース・スチュワード(Earth Steward)をなさっている方がいるのです。カリフォルニアで環境工学を学んだ方 で、ソーラーシステムの開発がきっかけで日本に住みました。駒ヶ根を選んだ理由 は、ランドサットの衛星データからなんだそうです。太陽と大地(地中)の利用を研 究中です。身の回りの水のあり方や、ソーラーパワーの利用方法などを考えている方 は、ぜひダグラス・ファーに会ってみてください。駒ヶ根のESIの変な外人でわかる かもしれません。


1999/10/27      早川 敦  (1987年度 卒業)

私は、87年に卒業した早川です。 皆さんお元気ですか。 パソコンを始めたばかりで、 国士舘のホームページを見て、 うれしくてメールしました。 今私は、有楽土地住宅販売 東戸塚営業所の所長をやっています。 不動産会社です。 同期の皆さんもメールしてください。


1999/10/25      村松 篤盛 (1994年度 卒業

 三重の村松です。約1ヶ月半ぶりですの登場です。実は、9月はしょっちゅう地理学教室のホームページを開いていたのですが、誰もこのコーナーへの書き込みがなかったので、ここ1ヶ月ぐらいホー ムページを覗きませんでした。そして、久しぶりに見たら、肥留間が書き込んでるじゃありませんか。もっとみんなも書き込んで、このコーナーを盛り上げましょう。及川、杉野、大間知、杉本、インターネッ トしてるんちゃうん?推測やけど。
 さて話は変わって、先日、内田先生からお伺いしたんですが、今月末に3年生の巡検があるようですね。私は社会見学引率やら(ええ歳こいて)初任者研修なんかの出張で、内田ゼミの大阪巡検に顔 を出したかったんですが、無理です。思えば、6年前の今頃って、私は京都巡検で、山奥の中学校に調査に行ったり、夜は祇園で舞子ちゃんを探したり、餃子の王将で2時間以上もミーティングをして店 員からうっとうしがられたり・・・いろんなことがありました。それもすべて想い出、いろんな経験が今の自分の肥やしになってるんだなぁ・・・と思います。
 3年生のみなさん、検討を祈ります。4年生のみなさん、卒論提出まであと50日を切りましたよね、頑張って下さい。先生方、お体に気を付けてください。94年度卒業のみなさん、元気ですか?また、 2月ぐらい(卒論の発表会の頃)に暇だったら上京するんで、サトーで飲もう。
 最後に、長谷川先生へ質問です。このコーナーへ写真を添付してもOKですか?  では、みなさん、ごきげんよう。また忘れた頃、このコーナーへ顔出します。cholo@mtu.ne.jp

  ★写真の投稿もOKです(長谷川)


1999/10/14     藤田 淳一(1989年3月卒業)

 大変ご無沙汰しております。 潟pスコ 藤田です。 突然ではありますが、10月をもちまして 山梨支店に転勤となりました。(実際の着 任は本日からです) 横浜にいた2年半の間に一度は諸先生の所 にご挨拶をと思っておりましたが、忙しさ にかまけてとうとう実現出来ませんでした。 甲府に来る機会がございましたら是非ご一 報ください。 せっかく甲府におりますので在学当時、一 緒だったFクンにでも連絡を取ってみようと 思います。(韮崎にいるとは思うのですが)
  ご存知かと思いますが、人工衛星イコノスの画 像データを当社も取り扱います。 アジア航測、国際航業も代理店になってお りますので、ご検討の際はまずは弊社あて 御連絡下さい。 最後は宣伝になってしまいましたが、どう ぞ今後ともよろしくお願いいたします。


1999/10/05     肥留間 広幸 (1994年度 卒業)

 こんにちは、94年度卒業の肥留間 広幸と申します。 このHPを知ったのはたまたまで、村松がメールを送っているので、早速私も。 私は埼玉県鳩ヶ谷市に住んでおり、今は親と共に農作業をやっております。 卒業後、資格取得のため聴講生として、1年間国士舘に残っておりました。が、結局 モノにせず、農業をやることになりました。 鳩ヶ谷市は、いまだ鉄道の通っていないところですが、平成13年開通をめどに地下鉄 工事が進められています。鳩ヶ谷市内にも2つの駅が出来、最近、駅の名称が決まり ました。地下鉄工事に伴って、地上部でも区画整理や、農地の転用が多く見られ、市 内で水稲を作付しているのは拙宅を含め4件となりました。もちろん市外に水田を借 りている農家もいます、農地の移動と転用という、誰かの卒論のタイトルにありそう なことが行われています。地下鉄開通で果たしてどれくらいの農地を残すことが出来 るのか、農家としては気になることであります。 また、農家をやっていると、いろいろな面で地理学の講義と重なる部分が出てきま す。地質然り、気象学然り(これから霜の季節ですし……)、水利問題や土地問題な どの都市地理学的な要素など。あまりまじめな学生ではなかったので、今身にしみて います。 それでは、また機会があったら、メールします。 アドレスは次の通りです。 ZVF04764@nifty.ne.jp


1999/09/01    村松 篤盛 (1994年度 卒業

 先生方、そして1994年度卒業生の皆さん、お久しぶりです。三重の伊賀の山奥 に住んでいる村松篤盛です。
 地下鉄サリン事件の日に卒業してから、早4年と半年近くたちました。皆さんお元 気ですか。私は大学卒業後、高校と中学校で4年間にも及ぶ講師生活をおくり、昨年 やっと教員採用試験に合格しました。その間、年収100万円以下の時もあり、我な がら、よく頑張ったなぁと感心しています。で、現在は、地元近くの三重県阿山郡 島ヶ原村立島ヶ原中学校(全校生徒たったの88名、教師は7人)で1年生26名の 担任をしております。学級崩壊や校内暴力などとは一切無縁のとっても平和な田舎の 学校です。三重にお越しのときは、ぜひ立ち寄ってください。ちなみに、国道もJR も走ってます。1時間に1本やけど・・・
 さて、話は変わって、遅らばせながら、今日からインターネットをはじめました。 で、さっそく国士舘大学地理学教室へアクセスしたら、OBOGのコーナーがあった んで、「せっかくやし、メールでも送ろっか」と言うことで、このようなメールを 送ったわけですわ。突然と言うか、思いつくままに文章を作ってるんで、自分でもさ ぞかし幼稚な内容やなぁと思ってますので、許したってください。  あっ、それから、大和先輩って1994年度卒業でしたっけ。いっしょに卒業した 記憶無いんですけど、ひょっとしたら9月卒業ですか?まぁ、どっちでもええねんけ ど。  ほんじゃ、また時々メール送ります。1994年度卒業生他、教育関係者他、どな たでもいいっすわ。もし良かったらメール送ってくださーい。メールアドレスは以下 のとおりです。 1994年度卒業 村松 篤盛 E-mail:cholo@mtu.ne.jp


1999/5/19   関川 幸浩(1996年度 卒業)

初めまして。また,同年度卒業のみなさんお久しぶりです。関川です。私は現在,茨城県にある潟~カミという会社で区画整理(まちづくり)の仕事をしています。(都市計画コンサルタント)茨城県といえば非常に開発ラッシュ(常磐新線沿線開発・常陸那珂港開発等)でそのおかげか会社もまだ存続しているようです。なじみは薄いかもしれませんが茨城県庁はこの春新天地に移転し茨城県で一番高いビルになりました。立派なものですよ。一番上の展望台は水戸市や近隣市町村はもちろん太平洋まで見えますよ!水戸まで来た方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか? 学生時代といえばよく野球を神宮球場に見にいったものです。懐かしいですね。最近では,よく野球を見に行った仲間とは年頭の挨拶だけとなってしまい非常に寂しいものです。このメッセージを見たGファンのみなさまたまには連絡ください!それでは....yukihi@butamam..or.jp.butaman.ne.jp    関川さんのメイルに記されたアドレスはこの通りですが、これ間違っていませんか??関川さん返事ください


99/4/29   祖父江亜紀(1995年度 卒業)

 あっという間に社会人4年目です。4年目ともなるとボーっとしてられないですね。今年、内外地図には、専修・立正・法政の手強い地理出身者が入社してきました。いい先輩になれるよう(追いぬかれないよう?)努力中です。  社会人になって良かったことは、やっぱり金銭的な余裕ができたことですね。新幹線・特急も躊躇なく乗れますから……。反対に時間的余裕はなくなって、学生の時のような海外旅行は、さっぱりご無沙汰です。しかし、最近ネパール人女性と知り合い、日本で国際交流を楽しんでいます。 5年ほど前のネパール旅行で知り合った現地学生から、手紙を預かって来日したことがきっかけで仲良くなりました。 先月、同級生の西村くんと仕事で『東京都土地利用現況図(多摩地区)』の注記を入力しました。ところが、原稿に国士舘大学が載っていなかったので、勝手に入力しておきました。それにしても、うちの大学のキャンパスって狭いですね。現況図を見ると一目瞭然です。某大学は、鶴川キャンパスの15倍以上ありました。  昨年から1995年度卒業生を中心とした会報"Beautiful Beach Times"を 発行しています。内容は、旅行記、近況報告……です。興味のある方は、ご連絡下さい。
YHX01554@nifty.ne.jp


1999/2/24 石山 貴峰(1988年度 卒業)  

 先生方お元気でしょうか。ご無沙汰しています。メールをはじめました。
地理学教室のホームページを拝見しました。地理学はこの10年でだいぶ変わったんですね。
 風の便りでH先生が西田ひかるのテレビ番組に出演されたことを知りました。活躍されているのを嬉しく思っています。
N先生にもメール送ったんですけど、すぐ返事のメール届いたんでびっくりしました。夜中に電話なんかできないんで、メールのすごさを実感しました。
 山形は雪も降るんですけど、日増しに太陽の光の暖かさを感じています。冬将軍から春風にバトンタッチするところのようです。
山形からの季節便りでした。
それではまた


1999/1/20
藤田 淳一(1989年3月卒業)

 

お久しぶりです。 1989年3月卒業の藤田淳一です。HPの存在を後輩から聞きましたので、早速送付いたします。 先生方もおかわりありませんでしょうか?(株)パスコに勤務し、10年目で関東へ戻って来ました。 業務の方は、GISのアプリ開発、データ入力等システム関係を含めた測量業務系と調査、プランニング、土木設計など コンサルタント業務系が半々といったところです。入社10年になりますが、いまだ完璧なセールスエンジニアとは言え ず鋭意努力中であります(横浜には、優秀な部下が沢山おりますので気が抜けません・・・)。  県内、官公庁を得意先として営業活動に勤しんでおります。今、振り返ると広島支店時代に林業試験場、農業試験場、広 大に弊社取り扱いのアーダスを納める機会が有り、リモセンの授業をもう少し真面目に受講していればと思いながら、授 業で使用したテキストを再読したことを思い出します。  現在は、担当している客先の関係で画像解析のソフトをセールスする機会は減ってしまいましたが、GISの構築に関する 仕事や、コンサルタント分野へのGISの応用といった仕事は、震災以降大きく伸びております。(そのおかげで、後輩の 某氏の会社の様に、取り扱う会社さんも増え、苦労も多いのですが・・・) それではまた、お邪魔にならない程度に近況報告いたします。  ***パスコ 藤田淳一***



1998/6/21
磯部 博宣(1997年度 卒業)

 ども。この春大学を卒業した磯部です。私をご存じの方もそうでない方も、皆さんお元気でしょうか。私は今、生まれ育った埼玉を離れ、北海道は旭川で暮らしています。某大手スーパー(本社・東京)の旭川店の精肉部門に配属され、毎日毎日、お肉をザックザックと切りさばくという、大学で学んできたこととは非常に大きくかけ離れたところで日々を過ごしています。これまでは包丁などほとんど握る必要のない生活だった私にとって、今の仕事はなかなか大変ですが、非常にやりがいのあるものです。そしてまた休みの時は、この旭川に暮らしているということを活かすがごとく、あちこちへ出かけまくっています。美瑛や富良野、大雪山麓などへもわずか1・2時間で行くことができるので、埼玉にいた時には味わえなかった自然の雄大さを満喫しています。いいですよ、今の時期の北海道は。まぁ、まだ旭川に来て2ヶ月半しか経ってないので、そんな呑気なことが言えるのかもしれませんが。「なまら寒い(←方言)旭川」といった状況を味わったら、180度態度が変わるかも…。いやぁ…(^_^;。最後に。東京と旭川とは如何せん遠く、なかなか皆さんとは会えないのが残念ですが、極力東京に 戻るときには前もって連絡させてもらうので、東京に戻る時にはどうぞよろしく。それではこの時期、風邪と食中毒にはお気をつけてお過ごしください。

MAIL kumakuma@mb.snowman.ne.jp


1998/4/13
小平 佳奈子(1997年度 卒業)

 先生お元気ですか?小平です。
4月2日から会社の新人研修が始まって、毎日毎日コンピュータの専門用語にうなされています。これまで、メールのやり取りもしたことがなかった私ですけど、やっとできるようになりました。今日、先生は(今までの通りなら)鶴川の日ですよね。新一年生はどうですか。かわいい子はいますか?先生の授業は、先生が授業の内容から脱線してしまうと、とっても面白かったです(でも計量地理は嫌いでした。数字の世界だから)。東京の桜はもう散ってしまったんですよね。会社のある上田市はやっと咲き始めましたが、私の家のある佐久市はまだまだつぼみです。5月、連休が終わるころまで佐久では見れます。また、送ります。小平佳奈子

1998/3/23
祖父江 亜紀(1995年度 卒業)

 はじめまして。1995年度卒業の祖父江亜紀と申します。現在は、内外地図(株)幕張工場に勤務しています。情報システム課に配属となり、コンピューターマッピングをしています。学生の頃は、コンピューターの授業が苦手で、「卒業したらもう二度とコンピューターをさわることはないだろう。ワープロで事足りるだろう。」なんて思っていたのですが・・・。 さて、コンピューターで作る地図というと、いかにもコンピューターで作りましたという感じのカクカクした地図を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、幕張工場では、高い知識と技術力を持った先輩の指導の下で(私は、覚えが悪くて指導するのが大変なようです。)、精密な地質図を作成しています。地質図は、どの段丘がどの面にもぐるとか考えながら線を描く必要があり、大変です。また、凡例の数の多さ、注記の置き方、色等、悩み事が絶えません。締め切りが近づいてくると、いつも気が狂いそうです。間違ってファイルを上書きしてしまうような恐ろしい夢を見たこともあります。 では、今日は、眠いので寝ます。いい夢を見れますように・・・。                              



1998/3/20
大和 祥二(1994年度 卒業)
一ヶ月半ぶりにのぞいてみましたが、何も更新されていませんね。 私が言うのもなんですが、ちょっと寂しいです。 せっかくこんなページができたのですから、皆で盛り上げていきませんか? 1994年度卒業 大和祥二


1998/2/5
大和 祥二(1994年度 卒業)

卒業年度を調べたどころ、どうやら私は1994年度卒らしいです。心当たりの同期生、連絡ください。 私の近況ですが、今、ビール飲んでます。そろそろ3本目があくところです。良いつまみがあったら紹介してください。・・・といった冗談はさておき。
 今、私は、懲りもせず学生をしています。都立赤羽技術専門校というところに通っています。家から学校まで二時間もかかるので、朝暗いうちに家を出ていくのがとてもつらい今日この頃です。3月に卒業予定ですが、居心地がいいのでもう一年いようかな・・・ Masaki U. (Ura. electric) masakiu@yk.rim.or.jp



1998/2/4

中島 亮(1996年度 卒業)

みなさん始めまして or お久しぶりです。中島亮です。

 近況は、去年の春に入社したセントラル・コンピュータ・サービス(CCS)株式会社から社団法人の地球科学技術推進機構(ESTO)というところに出向しています。また、そこからの派遣で海洋科学技術センター(JAMSTEC)というところで仕事をしています。海洋科学技術センターとはしんかい2000・6500や最近では対馬丸の探索などで有名なところです。そこでやっていることは海洋観測データベースの管理などをさせてもらっています。
 入社してすぐの7月にセンターにきたのではじめは戸惑いもありましたが今は慣れて、逆に元々の会社であるCCSにいくと気を使ってしまいます。センターの場所が横須賀なので横浜で一人暮らしを始めました。実家の埼玉もいいのですが横浜は横浜でとても住みやすいです。国士館のホームページは時々見にきます。バージョンアップで初期のころよりだいぶ快適になったと感じてます。次のリニューアルを期待してます。では



1998/2/3

大和 祥二(199?年度 卒業)

内田ゼミにお世話になっていた大和祥二です。 何年卒業かは忘れてしまいましたが。 
 まあ、過去のことにはこだわらずぱーっといきましょう。 
とりあえず、簡単ではありますがOBページ開設のお祝いを述べさせていただきます。 思い返せば10年前・・・(以下、120行削除)
                                          (原文のままです:管理者)

Eメールアドレスは、 masakiu@yk.rim.or.jp で連絡がつきます。 友人のアドレスなので、多少時間がかかることもありますが、遊ぶ連絡は是非お送りください。 Masaki U. (Ura. electric) masakiu@yk.rim.or.jp Masaki U. (Ura. electric) masakiu@yk.rim.or.jp


1998/1/30
井上 正彦 (1989年度 卒業)


井上の近況ですが、現在センターの付帯設備の管理を担当しています。主な担当として、 センター内のホストコンピュータの設置管理 電源計画 監視要員のお世話など、主として裏方的な仕事が多いです。特に井上が所属しているセンター部は社内で唯一交代勤務をしている部署なので、昼夜を問わず仕事をしている監視要員の世話が重要です。現在は交代勤務からは外れましたが、月に1度のサービス休止には逆に泊り込んで作業をしております。 ちなみに、ニフティのセンターは本社のある大森にあると思っている方が多いのですが、本社とは別の場所にあります。1つは都内某所で、もう1つは災害対策のバックアップとして群馬県の館林市にあります。井上の席は本社にありますが、実際には本社−各センター間を往復している方が多いですねえ。 ホームページは機会あるごとに見せていただいております。リニューアルしてすっきりしたページになっていますが、なぜか地理学会誌の96年VOL5だけが載っていないのが不思議です。(発行されなかったのか?)商売がら会社でネットサーフィンをしていますが、こまめにUPDATEしているホームページほど人気があると思います。  井上の話はいつもくどいので、今回はこの辺にしたいと思います。       ニフティ(株)センター部センター課 井上正彦      E-mail sci00305@niftyserve.or.jp