2001年1月から2002年1月まで、海外協定校フィリピンのデ・ラ・サール大学へ留学(環境学)

留学日記を閉じるにあたって   2002年3月4日  奥山 友希乃 

 今年1月11日に無事交換留学を終えに本に帰ってきました。あっという間なのか、長かったのか、私にもよくわかりません。時間のゆっくり流れていく日々を感じていたときと、卒論と学校での授業での課題やテストが終わったとき早かったのかなぁ?と感じたりでどっちなのでしょうね。
 長谷川先生にはせっかくこのコーナーを設けていただいたにもかかわらず、後半ほとんど更新せずに終わってしまい申し訳なく思っています。このページの更新を楽しみにしていてくださった方にも申し訳ありませんでした。
1年の留学を終え、私なりに感じたことをここでまとめてみたいと思います。

 私がフィリピン、デ・ラサール大学に志願した理由は、自分が興味を持っていた環境学について日本と比較したかったからです。日本とは同じ島国でも熱帯であり、発展途上国であって手がつけられていない環境がたくさんあるのではないかと思いました。実際行ってみると、貧しい農村の人たちがほとんどの土地を切り開いてしまっていました。それは、一見自然なのですが、やしの畑、バナナなどの畑だったりします。日本の田園風景が一見 素晴らしい自然にみえるが実は人が作った自然といった感じと同じなのでしょう。私は、本学で地理学科に所属していて、卒論ではクロマツを使って調査を行いました。そういうわけで植物学を履修しましたが、フィリピンの植物については触れてもらえずさらに高校時代のように常にテストがあってつまらないものになってしまいました。中学がないからしかたないかもしれませんが、日本の授業体系は本当の意味での勉強(興味を持ったものを勉強する)ができるのだと感じました。よく先生に気象データ−がどのようにして手に入るか、植生図がどのように手に入るか、自分の読んでみたい文献がどのようにして手に入るかいろいろ聞きましたが、やはりまだまだ十分な調査がなされていないので自然のある地方のデータ−はありませんでした。マツの変わりにヤシやココナツの木を使って偏形樹の調査をしようと思っていましたがこちらは事件が多い場所(海岸線)ということでオフィスの人に止められました。なんとか自分で風向などを測り調査をしたかったのですが 1年という期間ではできませんでした。文化的な比較研究をしたいという人には1年という期間は十分だと思います。

 学校では、どの授業もとることができたので自分が興味を持ったものも履修することができました。私は高校1年のときからリクレーションリーダーとしてボランティア活動をしてきたので、リクレーションリーダーの授業を履修しました。日本でやってきたリクレーションを教え、逆にフィリピンの歌やダンスを教えてもらって年齢の枠を超えた楽しみ 方を再認識できました。また、フィリピン人と接するきっかけを作るのにも大変役に立ちました。地図を書くのが好きだったので、建築デザインの授業を履修しました。地図作成とは平面を立体的に立体を平面に捕らえて描いていくのが同じで楽しかったです。

 特に履修してよかったなぁと感じた科目は環境物理学と、英語3(コミュニケーション)です。環境物理学では、今まで表面的にしか習わなかったエネルギーと環境についてしっかり学べたこと、英語ではさまざまなタイプのスピーチをすることができたことがよかったです。英語ではディベートでベストディベート賞を得たときはうれしかったです。先生には授業以外でも作文の添削をしていただいて感謝しています。それに履修という形をとりませんでしたが、工学部の環境工学の授業を受けさせていただいたのもよかったです。 環境というものをいろいろな角度で見ることができたことは、なによりの収穫です。
 学校外ではNGOの活動に参加したり、タイ人の友達や韓国人の友達も含め日本料理を作ってごちそうしたり、また逆にご馳走になりました。フィリピン人の友達もラ・サ―ルの友達はお金持ちで学校以外の友達とは全く同じ国の人とは感じがたいものがあることもたびたびでした。韓国人がたくさんフィリピンにいて、こんなにも友達ができるとは思ってもみませんでしたが、お互いの国のことをたくさん話して双方とも互いの国に対して変な先入観があるということに気づきもしました。幸い中学時代の先生が韓国や中国に対して日本がどのようにしてきたかみっちり教わってきたので、韓国の友達には日本人でもしっかり歴史を知っているやつがいるとおもわせることができました。しかし歴史全般については弱いので、高校時代歴史を履修しなかったことを後悔しました。
 
 フィリピンは自国の文化のない国だと言われます。私がとても感じたことは、一国が独自に持つ文化から創られる人々の考え方の同一性みたいなものがない国だと感じました。教育がすべての人に行き届いていないこともあると思いますが、これはやはり植民地時代が長く続いたせいなのだと思います。だから、郷がないから郷に従えない。ものが不自由だからとかいう国はたくさんあると思います。もちろんフィリピンも日本に比べたら不自由だらけです。しかしものというのはないなりに何とかなるもので、文化というもののない、文化の統一性のないこの国に滞在するというのは本当にどの国に行くよりも大変なことだったのかもしれないません。だからこそ、一人一人考え方の全く違うフィリピン人には人間本来の姿を見たような気がします。これはアメリカやイギリスといった国に行ったら味わえなかったことだと思います。私自身もよく怒って、物をなくされた洗濯屋にどなったり、ぼったくろうとするタクシードライバーとけんかしたりして普段感情的になることが余り好きでない私は冷静になったとき驚くばかりでした。

たくさんの友達にも恵まれ、つらいときは以前サイパンで友達になったフィリピン人の友達にも相談に乗ってもらい、本当に大変なこともいっぱいあったけれど今は行ってよかったなぁと感じています。

 また昨年から国士舘大学の地理学とラ・サ―ル大学との間で文化交流が始まりました。この間、卒論口頭試験で久しぶりに文化交流をした後輩たちと会い、話をしましたが、春休み(ちょうど今だと思いますが)ラ・サールの友達に会いに行くのだといっていました。これを聞いて、学校の行事で終わらない交流が続いていることを非常にうれしく感じました。これからも後輩たちには、どんどんと世界に出ていってほしいと思います。地理学科で習ってきた世界と自分の見た実際の世界を比べてみてください。今この若いときに、いろいろと吸収して自分を大きくしていって、自分の行き方にこだわりを持っていってほしいです。 長くなりましたが、4年間国士舘大学地理学科で過ごすことができて本当によかったです。 私立大学では稀な小人数クラス、充実した施設と親切丁寧な先生方。今や社会人として羽ばたいていったやさしい友人たち。浪人して、某公立大学の地理学科に落ちてここに入ったころの落ち込みようからは信じられないほどの充実した4年間でした。選んだ大学がよかったこともさることながら、地理学に入りたいとこだわった自分の頑固な性格がいい道を導いてくれたと信じたいです。これからも私はgoing my way だと思いますが、私を支えてくれた先生、友達、国際交流化の方々、家族など数え切れませんが感謝の気持ちを忘れずに行きたいと思います。
 1年の間ありがとうございました。

p.s   後日私がフィリピンで撮った写真を載せたいと思っています。 もう少しお待ちください。 フィリピンについて何か質問がありましたらなんなりと聞いてください。                        




7/6
この日、私の大切な友達なお(4月にフィリピンに来た)からあまりに連絡がなく心配だったのでメールをした。
すぐに返事が返ってきて、うれしかったのもつかの間その内容には、彼女の彼氏が自殺したというが書かれていた。
私は呆然としてしまい、涙があふれてきた。私も何度か一緒に遊び、二人の仲がよかっただけになぜ?と想わずにはいられなかった。
でも、なおのことを想うとそんな質問はできなくてまた何と声をかければいいのかわからなかった。
ただ、多分なおが一番その‘答え’を知りたいだろうし

それで悩みつづけるかもしれないと想ったので‘この世の中は答えが見つからないことだらけだから’

とだけ返事した。早く元気になってほしい。人間は弱いけど、一人と感じるかもしれないけどやっぱり誰かが愛していてくれて勝手に死んではいけないなと想う。

7/21
7/18日は、私の誕生日でした。
何歳になったかは聞かないで下さい・・・。
ここまではメデタイ話なのですが、フィリピンでは誕生日側がみんなにごちそうしなくてはいけずこの日私は誕生日会をしました。
普段みんなにお世話になっているし、豪勢な誕生日にも呼んでもらっていることもあり日本料理をごちそうしました。
みんな来てくれてとても楽しかったのですがここの日本料理屋にぼられてしまい、かなり料理の品数が少なく私的に、もてなせなかったという感じでがっかりしました。
でもみんな楽しんでくれたようでよかったです。この年になってみんなに誕生日の歌をうたってもらいケーキのローソクを消すというのはなんとも恥ずかしか
った・・。

7/22
この日、私の大切な日本人の友達のゆうみちゃんが日本に帰ってしまった。
彼女は昔同じ家庭教師をとっていて、知り合い数少ない日本人のこの国で悩みを相談しあうとても大切な友達でした。
彼女は私よりも若いし、いろいろな悩みがあったりしてたくさん苦労をしているのに明るくさらっとその苦労話をします。
またみんなを明るくできる魅力をもっています。ゆうみちゃんが突然日本に帰ることになってとても驚きました。とても悲しかったけど
ゆうみちゃんは新しい道をすすむんだなと思い今はただがんばってほしいなと想います。
それと、本当にありがとうっていいたいです。この国で出会えたのは運命みたいなものでこれからも大切にしていきたい。

7/24
今日は、英語の授業でディベートがありました。
タイトルはWe are unworthy of our environmentで、私のグループはこの意見に対して反対派でした。
はっきり言って、はじめはかなり賛成派になりたかったんですが反対派に属してしまったゆえにどう相手を打ち負かそうか昨日は考えに考えていました。
それで、私はお金がなく教育が行き届かないのにどうして環境が守れるかという視点で討論しました。
実際この国に来る前はなぜ汚いのかとか日本人みたいにごみをポイと捨てないで持ち帰ってごみ箱に捨てればいいのにとか考えていましたが、これはやはり先進国の考えであってやはり教育をうけていない、その日を生きるのが精一杯な人たちには無理な話だと想いました。この国は65%がhomeless.
ごみを拾って生きている人もたくさんいます。誰もゴミを捨てるななど教えてくれないし、親はゴミを拾って金にしろと子供に言います。あとパヤタス(スモーキーマウンテン)に行ったときの話などもしました。そしたら最後にaudienceにbest speaker, best debater, winning teamを投票してもらうのですが、そこで私はbest debater に選ばれとてもうれしかったです。
今まで友達が今日のスピーチは良かったといってくれても私は明らかに英語を話す力はみんなよりはるかに劣っているしフィリピン人はお世辞の言える人たちなのであまり素直にうれしく感じなかったのですが今回は投票ということもあってかなりうれしかったです。
早くしゃべれればいいってもんじゃないですよね。

8/20
植物学の授業でレポートを30枚以上書くという宿題がでていてただでさえ、週3回の授業と小テスト、3回の中間テストみたいなもの最後の期末試験みたいなものがあるというのにつらすぎです・・。
なんとかかんとか40枚ほど書いたのですが図を最後仕上げるのに自分で考えていた以上に時間がかかりかなり今日はイライラしました。
それは図をコピーして張ろうと想っていたのですがこの国はコピーに行列ができます。みんな教科書を丸々コピー。たった3枚ほどのコピーもかなり並びました。そしてやっと自分の番になりコピーをしてもらったら、もうとんでもなく汚い!日本では信じられないほど、印刷技術はいけてないです。
日本だったらお金返してもらえるよ?って思いました。フィリピン人もおおざっぱで気にしてないし安いからいいのでしょう。
それはさておき、おかげで私はその図をトレースしました。本当に自分の頭の中で計算していた時間通りにはいかないものでもうフィリピン時間には慣れたつもりでしたが時に我慢が行かないときがあってそれが今日でした。
ドカーン!!

8/28
今日は英語の授業でカクテルパーティーがありました。

といっても本物のカクテルではなくジュースでしたが・・。
カクテルパーティーは、フォーマルなパーティーではなくてもう少しおき楽な感じだそうです。
土曜の午後とかにやるらしいです。
一応クラスでは新しい本を売り出すということで試写会みたいな設定でやりました。
おき楽だとは言いましたがドレスコードあり、名刺持参など本格的!?
私はここでMCを友達とやりました。
日本では司会をパーティーでしたことがありましたがさすがに英語となるとアドリブが取れないだろうとかなり不安でした。
しかし友達のフォローとやっぱりアドリブ嬢の私はうまくなしとげました。
そう思っているのは私だけ!?
でもこういう機会をもらうことができてよかったです。

自分がパーティーを開いたり、招待されたりしたときに役に立ちそうです。

8/30
今日は英語のクラスの最終授業。
先生から一人一人コースカードという成績表をいただきました。
私は今学期本当にこの英語のクラスが大すきでした。
それは、先生もクラスメートもとっても面白くってやさしくて大すきでした。期待していたよりサイエンスの授業があまり楽しくなかったしサイエンスのクラスメートは真面目すぎでつまらなかったのもあったんだと思います。でも本当にこの授業は毎回毎回楽しみでした。
先生がカードをくれるとき、どんなことを日本に帰ったら伝えるか?この授業はどうだったか?聞かれました。
私は日本にはスピーチのクラスがなかったのでまして日本語でさえスピーチや討論のクラスなんかなくとてもよかったといい、使える授業を日本にもたくさん
受け入れてほしいなと思うと伝えました。先生はKeep reading!とアドバイスをくれたあと、最後にいつ帰るのか?と聞かれ次のタームが終わったら帰りますと言ったらクラスメートみんなが帰るなー!といってくれてとてつもない感動をうけました。
はっきりいってこの何ヶ月間つらいことのほうが多かったんですがこのときこの国に来てよかったなと心から思いました。

最後みんなで写真をとりました。(私がお願いして)ほんとうに大切な時間をすごせてとても幸せです。

9/4
昨日地理学科10名と長島先生と磯谷先生がマニラに到着!
今日学期末の試験が終わりみんなとお昼をたべ、スターバックスに行きました。
そのあとみんなはマニラ観光に消えていきました・・。

9/5
今日は、みんなと一緒にマニラから2-3時間のところにあるラグナ州のマハイハイにいきました。
途中長島先生が昔ボーイスカウトできたという別荘みたいなところにより、長島先生は口に出さずとも大興奮でした。
一方磯谷先生も植生がどんどん変わっていくため少年のように車の外にくぎ付け!
はじめに行った所はIRRIの本部。IRRIといえば、地理学生なら誰でも知っている。
あの緑の革命の原動力の品種IR8!お話をきいたり、ビデオをみたり、展示品をみたりしました。
私が特に気になったのはビデオのなかでこれからの米作りを考えていく上で米作に携わる女性の役割が大切だといったところと4つの環境(灌漑のできるところ、洪水の頻繁に起こるところ乾燥しているところなど)の違いによる米の品種改良というところでした。
特に女の人の役割というのは納得でした。
そのあと、ラサールの交換留学などをサポートしてくれているロディールの田舎のマハイハイに行きました。
これまた別荘みたいなところでフィリピン料理のごちそうをたらふくいただいて、満足。
そこで市長さんのティーノさん、秘書のアルフレッドさんロディールのおじさんと会いました。
アルフレッドさんとロディールのおじさんはそのあともずっと一緒についてきてくれて冗談ばかりいっていてとても気さくで楽しい人たちでした。
少し歩いて、滝に行きました。とても冷たくて気持ちがよくアルカリイオンをいっぱい吸いました。
そのあと村の中心地であるところで、村の方々がもてなしてくれてココナツのおさけをみんなで飲みました。これは若いココナツでしか作られないそうで貴重なおさけ。とーってもおいしくて
わたしも、磯谷先生も、ロディールも買いました。しかも1.5リットルで75ペソ(200円弱)!
豚のバーベキューもおいしくってサイコーです。
そこの村の人たちは、スペインがさりアメリカにこの国が渡ったときから個人で畑を持つようになったそうです。ココナツで生計を立てていて1つ1.5ペソくらいでマニラでは15ペソくらいになるそうです。マニラから買い取り業者がやってくるそうです。あと、1つの樹に年6回実がなるそうです。
ここの人たちはなんだかとても幸せそうだなと思いました。磯谷先生は森を探検していたようでどこかに消えていました。
何か発見して持ち帰ったりしたのでしょうか・・?
帰りはとても道路が込んでいて遅い時間に帰ってきましたがとても充実した楽しい時間が過ごせました。

9/6
私は、毎週土曜日にNGOの1つの団体DAWNというところにボランティアにいっています。このDAWNというところには、昔ジャパユキで日本に来て日本人と結婚した女性が、何年かたったあと日本人の旦那と連絡が取れなくなり子供をサポートするのが困難になってかけこんできます。DAWNではこういった女性に技術を身に付けさせたり、職を紹介したり、父親を探したり、子供のサポートをしています。今日はその子供たちのミュージカルの初公演です。
小学校でやったのですが、日本語の歌詞もしっかりうたえていたしリズム感もばっちりでサイコーでした。
この子供たちは日本人とのハーフでいじめをうけたりするそうで勉強で1番を取ったりして、いじめを乗り越えています。
来週20日から10日ほど日本に公演に行きます。そこで父親とみんながあえるといいなと思っています。

東京公演は29日一橋大学です。もし興味があったら行ってみて下さい。


2001/07/06

The long time summer vacation finised and new term stars on june 5. I took 4 class,botany,botany lavolatory,ecology,english3. it was hard for me even my english skil is improved. because i dont know science words and i need to fight memoraizing words. and then i forgot the contents about botany. this contents is japanese high school level. but in my unversity, i didnt study it.what is genuin? what is cell? my brain is tired to remember it! i just asked my mother to send high school textbook.

I am happy to hear that geography students will come here! i have something to advice them. you had better to recieve free tissu paper from TAKEFUJI in front of station. because there are no tissu at confort room in the philippines and you have to buy it. i tell you some advice when some idea comes out. it becomes rainy season. now tyhoon attack! but being different from japan its cold! i need to buy sleeve cloth. and the road is filled with water. i know its not arranged. soredeha mata!


2001/04/30
>From 9 to 15, This week was holy week in the philippines. so I didnt see the car and people!! though it was so quiet,I was so bored not to open the store.

>From 21 to 23, I went to the mindoro island with Nao who visited me for 10days from Japan.at first we planed to go palawan islands. but we couldnt reserve ticket, so we went there.

We took time about 7 hours(3.5hours bus 2hours ship) from manila. on tne way to there, mamy vendor got on the bus and they tried to sell some foods and goods. I felt its hard for them to meke money. they got out of the bus,other vendor got on it. we saw this situation so many time. what i was surprised was bus fare was only 70.5 peso. and then 1 could use student discount.

When we arrived at port, we met the U.K men. He is also diver. He tald us about U,K and other country sea that he have dove. after saying good bye,we got on ship. as soon as I can see clean sea,I felt comfortable. we found the hotel at small Laguna area. it was already 4:30,but we swim!! there were many europe and amerika people!! I thought here was no philippines. this islands have only nature.but still more I took a rest. so we went to bed early after eating dinner and drink.

We got up at 8. and I planed to dive afternoon. we went to beach in front of hotel. I read a book and she swim. As she went to island hopping alone, I spent time to eat lunch. the time to dive came!! all people was europe people and then they looked like good diver. so I felt nurvas. opposite to mind, they were really kind and enjoyed my time.

I really had a great time,so I want to come back here I thought. I found new philippines side.


2001/04/18

Hello! how are you doing?
I am so fine because my summer vacation start!
April 7, electoric current stop!! this was the first time to experience it for me. What i was surprized was water also couldnt be used. so, I couldnt do anything. in addition to, it was so hot today. I went to the shopping center near my home to feel cool. I could feel cool but any store have few electricety, I ate some food without light. but I went to panpacific hotel that is 5 star hotel. they have electricaty and water as usual. so I could take a bath after exercize. I feel japan is nice!! I hope never stop to electoric current!!


2001年02月26日

 お久しぶりです 。
 最近学校の宿題がやたらに多く、日々苦しいです。 毎日レポートを書いているような状態です。それに、こちらの先生は日本と違って内容重視というよりかは、長ったらしく書くことが好きらしくそんなに深く入れないような内容にも関わらず、2枚以上書けといった要求で、結構これには参っています。

 2/21、パヤタスという、ここ私の住むところから2時間くらいかかるところにある、スモーキーマウンテンに行って来ました。そこの小学校で算数を教えましたが、1年半前くらいに、ここの山が崩れて多くの子供たちがなくなった事件を覚えていますか?
それで子供が減ったそうで、授業も午前中だけ。子供たちも毎日来れるわけではないようなので、かなり授業に遅れている子もいたりでなかなかうまく教育できる状態では無いなと、感じました。
 2週間ほど学校にしていなかった男の子は、かなりタガログ語の授業がイヤで、たまらなかったようでしたが、算数の授業はとってもやる気をみせていました。その子は自分から先生に、聞いたりするような子ではないのだろうけれども、絶対に構ってほしいタイプだったので、ずっと一緒にいました。 はじめから最後まで恥ずかしそうにしていたのですが、最後に英語でバイバイと言ってくれたのには感動しました。
  貧しいのに、みんなとっても目が輝いているのが印象的でした。私はフィリピンに発つ前から、小さくなった洋服をあげようといたので、持っていきました。こんなことしかできないけれど、また子供たちに会いに行きたいなと考えています。

 2/24クラスメイトの誕生日会。
  毎日お昼を誘ってくれるマリベスは、もっとも仲の良い友達の一人です。中国人で、中国の伝統を守っている家に育っているので、他の中国系の人とは違って家では中国語、外ではタガログ、英語は苦手といってもゼンゼンできている語学堪能な子です。この日はじめて中華街に行ったのですが、他の国に比べてあまり栄えていないような感じでした。でも、ごちそうになった中国料理のお店は、すごく美味しくて満足でした。 それにこちらの中華料理は、お茶を置いていないことが多いのですが、ここではしっかり出てきました。  後略。


2001年02月12日

土曜日、日曜日とこちらに来てはじめてダイビングに行きました。マニラから車で4時間くらい南へ。アニラオというポイントです。ここは、日本人にはあまり知られていないようで、素朴な良いところです。みんながイメージするようなリゾート地ではないし、手つかずの海や自然があります。海は少し冷たかったのですが、いろいろな魚、もちろんサンゴ礁も美しく、楽しかったです。透明度は15mくらいでした。
1本目と2本目の間に、近くの小さな島へ行ったのですがそこに住む人たちはとても幸せそう。島を離れたとき、子供たちはどこまでも走りながら追いかけてきて、感動でした。料金は全て込みで2万円程度でサイパンや日本に比べて安いのですが、大部分がレンタル料でした。フィリピンはたくさんポイントがあるので、お金を貯めてまた行きたいと思います。 ではまた。


2001年02月06日

もう少しローマ字でがまんしてください 。なにせけっこう忙しかったりするので 時間のあるときにチャレンジします。
   
(今回と前回のメイルは、ヤマモトハルヨ、カンノエリコさんに“日本語”に直してもらいました)。
 パンのはなし・・・・ 1月20日に留学にあたりこちらでコーディネートしてくれている ロディールの家にお泊まりに行きました。 朝食にパンが出たのですが、 こちらでもパンと発音するそうです。 それはスペイン語から来たと教えてくれました。 日本ではたしかポルトガル語からきたんですよねー?? わたしはここでスペイン育ちの友達がスペイン語と、ポルトガル語は 日本の大阪弁と、標準語の違いくらいでほとんど通じるという話を してくれたことを思い出しました(イタリアでも通じると言っていました)。 ここフィリピンでポルトガル語とスペイン語はほんとうに似ているかもしれないと 気づいたのには、結構オドロキでした。
 2月2日、金曜の夜にこちらの友達とUTS?(university・・・・の略)の学校祭に行きました。この大学はこちらで最も古い大学の一つでかなりスペイン風。 お金のかけようがすごくて学校の敷地もあるものだからコンサート会場のようでした。 みんなで踊りまくって楽しかったです。
 2月3日、クラスの友達(ピーター)の誕生会に招待されて行きました。 フィリピンにも高級住宅街があって、ピーターのうちもその中にありました。 何が驚いたかというと、まず、その高級住宅街に入るのに警備員のいる門をくぐり、道沿いにはとんでもない家ばかりでした。 そのピーターのうちもすごくて、プール、バスケットコート、カラオケ(大きなスピーカーつき)、フロッピーの入る電子ピアノなどすごすぎました。 メイドさんも沢山いました。 ガーデニングやインテリアの感じがイギリスちっくで、ご飯も豪華でしあわせでした。 こちらの誕生日は、お誕生日の人がごちそうするスタイルなのでみんな特にプレゼントを持っていくとかなかったです。 わたしは知らずにしっかり持っていきました。 みんなでカラオケをしたのですが、わたしは日本語版でスキヤキを歌いました。 その家には、わたしが歌えるような英語の歌があまりなかったので・・・・ でもみんな知っていて、楽しく過ごせたので良かったです。 すきやきは本当に海外で有名だと感じました。


2001年02月01日

 口頭試験に向け、みんな慌しいようです 口頭試験で、落ちる人っているのでしょうか?   担当:います。
わたしのほうも、いつも格闘してます。 やっぱり言葉の問題なんですけど。 火曜日に、スピーチの授業があって タイトルは「それぞれの経験」でした。 そこでスピーチをしました。 英語で物事を言うことはもちろん 、スピーチなのでみんなにアピールしたり、 アイコンタクトが必要だとか あるわけですよ。 学生もみんなの評価をするんですが(十項目ボディランゲージとか)、 ほんと久しぶりに緊張しました。 長谷川先生も、授業でいつか言ってましたが、 堂々と大きな声ですれば いいということも思い出し、堂々としゃべって来ました。
 わたしの「経験」というのは、 英語の意味はわかるのに、発音できない、という内容です。 これは、今まで海外に行ったときや、 今 ここにいる現在も経験をするのですが、 リーディングばかりの日本教育を受けてきたので、 音がわからず、聴けないけど、書いてもらうとわかるということです。 英語教育にも問題があるかもしれないですが、 日本語の学び方や、触れ合い方に、他の言語との 違いがあると考えました。 それは、新聞を読んでいてもそうですが、 読めなくても、漢字の意味がわかるので、 オッケー!としますよね?? 日本人は、発音することより、意味を理解することに 重きをおくのだということです。 そんなかんじで話をスピーチしました。 意外と評判はよかったような気がします・・・・(私の自己満かもしれないですが・・・)。
  あと、最近日本文化について話をすることが多いです。 竹島の問題とか、宗教のはなしとか・・・・。 意外と自分は日本のことについて知らないと嘆いています。 質問しれくる人のほうが、いっぱい知っているのです。 憲法九条のこととか・・・・・。 こうして日本を知ってくのかな? と感じるこのごろです。 それではまた・・・・・


2001年01月31日
 最近、携帯電話を買ったのですが、信じられないくらいの値段で売っていました。私が買ったヤツも、2万円くらいしました。こちらでは、日本であまり人気のないノキアが市場を占めています。最近は薄い携帯もありますが、分厚くて機能もイマイチです。私は京セラのものを買いました。やっぱメイドイン・ジャパンでしょ? ノキアのもので7万円するものもあります。日本なら、安く買えるのにな。しかし、こちらの携帯はプリペイド式で基本料金もなくさらに他の国でも使えるようです。それは、携帯の充電機能の所にSIMカードというものを入れるのですが、それを各国対応のものにすれば使えるようです。友達は、シンガポールでSIMカードを換えることなくそのままフィリピンSIMで通じたそうです。 そう考えると、こちらの方が進んでいるのかな? と感じます。
 そうそう、パンの話は載せていただけなかったようですね。私的にはかなり発見だったのですよ。それではまた・・。
※担当から 無視した覚えはありません。ただ、呑んで帰ってきた後など、ローマ字書きのメイルを読んで日本語になおすと目が回るのです。読んだ記憶も無いので、ログを見てみます。


2000年01月29日
 土曜、日曜とマニラで栄えているオルテリガス・マカテリという所に行ってきました。この日、私は初めて電車を使ったのですが、電車は高いところを走っていて、それまで知らない景色をたくさん観ました。それはたくさんのトタン屋根の家です。それと、帰りはジプニーで帰ったのですがゴミの臭いがすごかったのです。それまで私の行っている大学もフィリピンでいちばん授業料の高い大学ということもあり、きれいな部分しか観ていなかったのでした。繁華街とその差が激しかったことに驚きました。ゴミだけにかかわらずストリートチルドレンについても、いろいろ考えさせられています。
 むかし、地理で習ったように先進国が途上国に対し自分の国の産業を守るために、いちばん高度な技術を教えないというのと同じで、こちらの国の金持ちは、自分の地位を維持したいためにお金を出さないのかなと感じます。たぶんこちらのお金持ちは、日本人のそれよりかなりお金をもっているはずで、見知らぬ子供を五人くらい育てるお金もあるはずです。ストリートチルドレンはわざと、物乞いをする子も多いようです。もっとがんばれといいたいけれど、雇用のない社会なのかもしれません。
 来たばかりなので、何とも言えないですが。非常にいろいろ考えさせられるこのごろです。


2001年01月23日
 こちらでは、ジプニ− という乗り物が一般的です。 これは、米軍が使っていたジープを改造したもので、現在はエンジン以外はフィリピン製だそうです。フィリピンではバス停がないので、手で止めて乗ります。それでお金を渡すときに「バヤド」と言います。何という意味かよく分からないのですがたぶん「お勘定!」とか、そんな感じでしょうか? そして、降りたいところで、上の壁を2回たたくか「パラ」と言います。パラは、止めて という意味です。排気ガスが少しひどいのが玉に傷ですが、10円くらいで乗れるので便利です。 こちらの地形を、早くインプットしたところが地理の学生らしいな なんて思います。すっかり乗り回しています。
 それと、みんなのお馴染みの「神奈川中央交通のバス」が走ってましたから驚きです。こちらでは、かなり日本の古くなったバスが使われています。京王のバスも見ました。それにしてもやはり、神奈川中央交通はビックリでした。一度見たっきり見ていないので、もう一回見たいなぁと思っているのですが、見られません。嗚呼、神奈川中央交通のバス、何処へ。 そんな感じで、こちらはかなり交通渋滞がすごいですが、こちらで運転すれば日本に帰ってからレーサーになれるとまで言われました。たしかに運転が荒いので、そう思います。


2001年01月22日
 たぶん日本でもエストラーダ大統領のことがたくさん報道されていると思いますが、こちらの方ではやはり関心が高いです。特に授業で「ピープルパワー2(たぶん1は、マルコスの時のことだと思いますが)」という題名で文章を書かされたりしました。 こちらでは、デモ行進のことはラリ−といって、私も行こうと思っていたのですが止められて行けませんでした。ただ、みんなが考えているほど危なくはないので、心配はご無用です。街は普通に動いています。それに、ラリーに行った人たちも戻ってくれば普通です。
  こちらでは、映画が100円くらいで観られます。もちろん日本より早く、ハリウッド映画を観ることができます。それと、一週間、二週間で映画が変わるので後で観ようと思うと終わってしまいます。こちらの人はつまらないとすぐ映画館から出ていってしまいます。私はまだ、人気の映画しか観ていないのでそんなことは経験していないのですが、他の大学から来ている留学生は、みんな出て行ってしまい、一人で観ていたこともあるそうです。いまは映画が良い勉強になっています。しかし、宣伝でフィリプン映画が少し流れますがかなりウサンくさそうです。中途半端に宣伝も終わります。一度は観てみようともっているところです。 まだまだ未知なことはたくさんなので、色々なところに行ってみたいと思っています。特にダイビングは早くしたいです。


2001年01月18日
 きょうは、こちらに来て初めてスターバックスコヒーに行きました。 そこで私は、大好きなキャラメルプラペチーノというのをたのんだのですが、何と日本と違って、サイズが大きいのです。日本でいちばん大きいサイズであるはずのトールサイズが、こっちではいちばん小さく、続いてグランデサイズ、チッタン?サイズ、という順になっていました。いちばん大きいチッタンサイズは、500mlくらいあって、なんか少しお洒落なイメージはこわしてくれました。しかし、95ペソ(200円くらい)で飲めて、とても安い!!!!とホクホクでしたが・・。
 こちらの授業は、アグレッシブです。みんないろいろ、先生の言ったことに口出しをします。ジョークも言います。、おちろん私も何か言いたいのですが、まだまだ英語の能力がないので言おうとすると話題が変わってしまっているという、悲しいことになっています。内容については、英語の授業なのに発表の仕方などやっています。それと、文章を言い換えたり簡潔に表現したり早口言葉で th の発音や r の発音などやっています。これは別に留学生のための英語のクラスではなく、私たちが大学1,2年で必修だった英語と同じ感じです。このような授業が日本でも必要ではないかと思いました。なぜならこちらのお偉いサン方は、演じるのがうまいからです。今日はこのへんで。


2001年01月17日  
お元気ですか?
奥山です。 まだ、PCをつないでいないので、当分こちらからはローマ字になってしまいますが、そちらからのメイルは日本語でOKです。
  中略
こちらは、思ったよりきれいで安全だと感じました。 今日はエストラーデ大統領の裁判があって、授業が休みでした。 私は知らずに教室に行ったのですが、誰もいませんでした。 みょうに朝、外が騒がしくてデモ行進をしている感じだったので何かあるなとは思っていましたが。
  後略
それでは・・。