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VOL.6-03  2004年03月

今も残るベルリンの壁

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 1989年のベルリンの壁崩壊.
 我々にとっては「ついこの間」のことのようだが,今年であれから15年ということになり,当時は小学校低学年以下であった現役学生にとっては「歴史上の出来事」であるようだ.
 ベルリンといえば,まず多くの人がブランデンブルグ門を思い出すだろう(写真A).ベルリンの壁のすぐそばにあり,壁崩壊以前は近づけないこともあって,東西ドイツの分断の象徴であったが,現在は多くの観光客が訪れるドイツ統一の象徴だ.
 ベルリンの壁はほとんど撤去されているが,一部にはまだ残されている(写真B,C).場所によっては壁もかなり薄いものであったことが分かる.ここには,この壁がどのような背景で作られ,いかなる経緯で作られたものであったのか等についての説明板も設置されている(写真D).
 
<写真A>  <写真B> <写真C>
 ベルリンの壁というと,ブランデンブルグ門ととともによく出てくるのが,チェックポイント・チャーリーである.かつて,ここがスパイ小説の舞台になったり,マンガに登場したりするのは,外国人が東西ベルリン間を行き来するにはここを通らなければならなかったからである.
 写真Eは旧東ベルリン側(旧ソ連統治区域)から旧西ベルリン(アメリカ合衆国統治区域)側を見た風景.旧ソ連側から旧合衆国側を見ているということで,米軍軍服を着た若者の写真が道路の真ん中にある.その後ろの小屋がチェックポイントの跡.土嚢も積んである.道路の左側には壁博物館(Haus am Checkpoint Charlie)があり,その看板が見える.その手前の白い看板には「You are entering the American sector. Carrying weapons off duty forbidden. Obey traffic rules.」とある.
 写真Fは写真Eのポイントを反対から見たところ.旧ソ連の軍服を着た写真になっている.ちなみに米軍と旧ソ連軍の写真モデルは同じ人(のよう)である.こちらから先ほどの白い看板を見ると「You are leaving the American sector」とあり(写真G),この看板はチェックポイント・チャーリーを象徴するものとしてよく出てくる(壁博物館のホームページの表紙ページにもこの看板が載っている).

<写真D> <写真E> 写真F>

壁崩壊によって,ベルリンは1つになったが,旧東ベルリン側と西ベルリン側とには依然として差違も見られる.そのひとつが景観の差である.写真Hは旧東側から旧西側をみたものである.手前のビル(旧東側)はかなり古びた感じであり,建物の更新が進んでいない様子である.一方,遠方に見えるビル(旧西側)はガラス張りのビルであったり,かなり新しい感じのビルであったりする.
 写真Hとほぼ同じところから,反対側をむいて撮影したのが写真Iである.あえて更新の進んでいないビルを意識的に撮影したものであるとはいえ,使われていない(と思われるビル.倉庫などとしては利用可能かもしれないが住むことはできないであろう)ビルが首都のほぼ真ん中に残されていることは間違いない.
 ドイツ統一時には,すでにこうした状況にあった東ベルリンへの投資が一気に行われたが,それが日本の「バブル経済」と同じような「バブル」を引き起こした.そして,バブル崩壊後,ビルの更新が進まなかっただけではなく,それらの投資の「つけ」がドイツ経済全体を圧迫しているといわれている.ベルリンにおける旧東ベルリンと旧西ベルリンとの「隔たり」を感じさせる景観の違いは,まだしばらくは見られることになるのであろう.

<写真G> <写真H> <写真I>

   <写真A〜I:2003年1月,加藤幸治撮影>
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