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VOL.7-04  2005年04月

ヨルダン北西部のローマ円形劇場

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 国士舘大学には「イラク古代文化研究所」という組織がある。ここの先生方と、イラクの隣国ヨルダンへ行く機会があり仕事の合間に専門家の話を聞きながら遺跡を見てまわるというありがたい体験をした。今月はその中から、ヨルダン北西部の4カ所で見たローマ円形劇場を紹介しよう。
 今回紹介するのは、南から首都アンマン(Amman)、ジェラシュ(Jerash)、イルビッド近郊のベイト・ラス(Beit Ras )、北端のウム・カイス(Umm Qais)の円形劇場である。南のアンマンから北へ向かうことにする。

この地図は、http://www.atlastours.net/jordan/sites.html というヨルダンの旅行案内のサイトから借用し一部を改変した。図上で HOLYLAND と記された部分は、ほぼヨルダン川西岸地域(パレスチナ自治区)にあたる。またSYRIAという文字のあたりは、イスラエルが占領しているゴラン高原である。なおこのサイトには、今回紹介する都市へのリンクがあり、写真も美しく説明も簡潔明瞭だ。

 ヨルダンの首都アンマンには、七つの丘があるという。地形図を見ても、市街地が赤く塗り込められていて等高線が読めないが、この都市の起伏の大きさは相当なものだ。西側の市街地から東側にあるダウンタウンへタクシーで向かう。車はスリバチの底へ落ちてゆくように急勾配の坂を下る。両側斜面にはビッシリと建物が建っている。ダウンタウンに降りて見上げると、小さな山の上にアンマン城がある。この城壁から見下ろした写真が1である。正面の山の裾野に見えるのが、ヨルダン最大のローマ劇場だ。この右側へ行くと、キング・フセイン・モスクや、スーク(市場)がある。劇場の周囲には、すき間もないほどに建物が密集している。劇場併設の博物館に、古い写真が展示されていた。1960年代の写真を見ると、ローマ劇場は荒れたままで埋もれた部分もある。周辺にはほとんど建物が無い。「アンマンは急速に拡大した都市だ」という、仕入れたばかりの話にも納得した。Webを探すと(http://www.ziadqassim.com/ )、古い写真が出てきた。この写真は、60年代より古いかもしれない。
 アンマンのローマ劇場は大きい。最上階まで昇り振り返ると、高さと急勾配に思わず足がすくむ。まるで崖だ(写真2)。下を見ながら降るのが恐いほどで、ローマ時代以降現在まで少なからぬ人が転げ落ちて死んだに違いないと確信した。この劇場は二世紀半ばのローマ時代に建設され、5000〜6000人を収容できたという。劇場は山裾を切って、うまく地形を利用して造られている。客席は斜面に、舞台は谷底にというぐあいだ。

写真1 アンマン城の城壁から見おろしたローマ円形劇場。劇場の最上部からアンマン城を見上げた景色もまたすばらしい。 写真2 斜面を利用して造られていて、最上部にも入口がある(現在は閉鎖されているけれど)

 アンマンの北50km、車で一時間ほどのところにジェラシュがある。「ローマ人がアラブに造ったローマ都市のなかで最も華麗、かつ壮大な遺跡のひとつ」とは『地球の歩き方』にある一文である。ライター氏の言うとおり、この遺跡は本当に見どころが多い。南劇場もその一つ。南門を入るとじきにこの劇場にたどり着く(写真3)。3000人収容するこの劇場は現在でも、夏にジェラシュ・フェスティバルという催し物で連日コンサートで利用されるという。写真の中央に立つ人物の足もとを拡大したものが写真4だ。ここは劇場のヘソにあたる。手をたたきながら、あるいは大声を発しながらゆっくり歩いてこの場所に立つと、急に反響が大きくなるのだ。斜面を使って造り、音響効果を計算し尽くすのも、ローマ人の知恵なのだろう。

写真3 ジェラシュの南劇場。同規模の北劇場も離れた場所にある。 写真4 円形に見えるのが劇場の“ヘソ”。少しくぼんでいる。


 ジェラシュから車で20、30分でイルビッドだ。イルビッドは大きな総合大学もある北西部の一大都市である。この街では、どこへ行っても中国人にすれ違う。酒屋へ行くと漢字で「ビール」や「ウィスキー」と書いてある。買いに来るそれなりの人達がいるということだろう。この都市には、大きな中国資本の縫製工場があるのだという。すれ違う中国人はそこの従業員だというが、それにしても数が多い。私たちが市場(スーク)を歩いていると、子供達が「チャイナ、チャイナ」とはやし立て、悪ガキが本気で石を投げてくる。それも一度や二度ではない。どうなっているのかわらない。
 ところで、イルビットの密集地をぬけたあたりにあるのがベイト・ラスの遺跡である。車の運転手が住人に「遺跡はどこだ?」と聞いているが、まともな返事がない。道を回り込んで町の裏に出ると発掘途中の円形劇場が現れた(写真5)。この円形劇場の発見は新しく(リンク先の新聞記事によれば、発見報告の記者会見は2002年である)、現在も半分は埋もれたままだ(写真6)。この劇場も市街地の背後にある斜面に造られていて、斜面の上に現在の町がある。何層もの遺跡があるようで、上へ上へと新しい町が造られていったのだ。

写真5 発掘途中の円形劇場。修復までには時間がかかりそう。管理人がやってきて、写真はダメだとしかられた。 写真6 遺跡を埋めていた地層の断面がよくわかる。土砂の中には多くの土器片などもあり、上へ新たな町ができてゆく過程で埋まっていたものなのだろう。

 イルビッドから車に20〜30分乗るとウム・カイスという小さな村に着く。村の西側の小高い丘に、オスマントルコ時代の豪農の屋敷跡だという一群の建物がある。この建物の下、そして丘の向こう側の平坦地にローマ時代の遺跡が広がっている(かなりの部分が埋もれたままだが)。この遺跡には修復の終わった西の劇場と、未だ埋もれたままの北の劇場(東の劇場というのかもしれない)の二つがある(写真10)。二つの劇場は、これまで見てきた劇場と同様に、斜面を利用して造られている。ただ、ウム・カイスの円形劇場を造る石材は、これまで紹介した他の円形劇場の石灰岩の色とはだいぶ違っていて黒い(写真7,8)。これは、玄武岩でできているからだ。ウム・カイスの西側には広い平坦地が広がっている(写真7)。このさらに西には、比高二百数十メートルの断層崖の下にヨルダン渓谷がある。この劇場を造る玄武岩は、平坦地の表層近くに分布する玄武岩に由来すると思われる。近年、平坦地の南側の谷をせき止めて大規模なロックフィルダムが造られたが、この石もまた平坦地の端から採掘された玄武岩であろう。

写真7 西に向かって開口する円形劇場。写真左隅の遠景はイスラエルの山々。円形劇場の玄武岩は、平坦地の表層から採掘されたものと思われる。 写真8 背もたれのある座席。修復前、下の方にある同じような座席に大理石の大きな石像が座っていた。その頃の写真はこのリンクで見ることができる
写真9 北の劇場はごく狭い一部分が調査発掘されたまま放置されている。牛がのんびり草を喰う。 写真10 解像度2m、クイックバードの画像(部分)。左が修復の終わった西の劇場。右が埋もれたままの北の劇場。中央に散在するのがオスマントルコ時代の石積みの建物群。画面上部の東西に延びる道に沿って、ローマ時代の遺跡が埋まっている。

                                          (2005年2〜3月、長谷川 均撮影)



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