Back Number をみる

VOL.13-02  2011年02月

世界遺産登録は地域経済の活性化につながるか?(「石見銀山遺跡とその文化的景観」編)

※写真が多いので、電話回線での閲覧は時間がかかります。
このページは、1024×768以上の画面でごらんください。画面が小さいと写真の配列位置がこわれます。

※写真や画像の引用に関する問い合わせは、こちらのリンク先ページをご覧下さい。


 地域経済の低迷に悩む農山村地域では,新たな打開策の模索が続いています。そのなかで,世界遺産登録を通した地域経済への波及効果を期待する地域も少なくありません。島根県にある「石見銀山とその文化的景観」は,日本で14番目の世界遺産として2007年7月に登録されました。ユネスコ世界遺産委員会は,①世界的に重要な経済・文化交流を生み出した,②伝統的技術による銀生産方式が豊富で良好に残されている,③銀の生産から搬出に至る鉱山経営の全体像が不足なく示されている(とくにかつて精錬に必要とされた膨大な木材燃料の供給が,森林資源の適切な管理の下に行われたことにより,今日でも豊かな山林を残している)という点で世界的に普遍的な価値があるとして,登録を認めました。銀鉱山跡と鉱山町,街道(石見銀山街道),港と港町の総体が世界遺産として登録されています。
 地元の大田市大森地区をはじめ,周辺地域では「世界遺産ブーム」のなかで飲食店,宿泊施設などで経済効果が現れたようです。ここでは,世界遺産登録を通した地域づくりの取り組みについてみてみたいと思います。

写真1 新たに開設された「石見銀山世界遺産センター」

石見銀山の歴史,鉱山技術に関する説明展示から,「世界的な普遍的価値」をもつ遺産であることを学べます。

写真2 観光客はバスで大森地区へ移動

「石見銀山遺跡」は,それを取り巻く自然,そこに住む人々の調和した姿を含めて価値がある(大田市・大田市観光協会・大森自治会協議会)ことから,石見銀山遺跡から大森銀山重要伝統的建造物群保存地区までの約3kmの区間が交通規制されています。来訪者は「石見銀山世界遺産センター」からバスを使って大森地区へアクセスします。

写真3 大森代官所跡(現在は石見銀山資料館として公開中)

徳川家康は,関ヶ原の戦い後にこの地域を天領として治めました。1601年には初代銀山奉行として大久保長安を任命し,銀山経営を開始します。石見銀山開発から得られた銀は,当時の朱印船貿易の元手になったと言われています。ところが,1600年代の半ばを過ぎると次第に銀産出量が減少し,1675年には銀山奉行の職は大森代官に格下げになりました。

写真4 大森地区の街並み

銀山に隣接して発展した鉱山町です。天領であったこともあり,武家や商家の旧宅をはじめ,社寺などが混在する街並みとなっています。この地区は,1987年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され,街並み保存の取り組みが続いてきました。

※石見銀山は,1967年に島根県指定の史跡(大森銀山遺跡として)に指定され,その後1969年には国から「石見銀山遺跡」として史跡に指定されています。

写真5 民家の修復工事と街並み保存

大森地区では,1957年に町民全員参加による「大森町文化財保存会」が発足し,50年以上にわたって文化財の維持管理等に関する活動を行ってきたとのことです。1986年には「大森町街並み保存対策協議会」が組織され,重伝建地区の保存事業に積極的に取り組んできました。これらの活動も世界遺産登録に貢献したと評価されています。

※大森地区の街並み保全活動については,苅谷勇雅(2008):文化財建造物 保存と活用の新展開.政策科学153),pp.57-76が詳しく言及しています。

写真6 石見銀山へ・・・歩くのはちょっと辛いので,自転車を借りて移動する人も

私が石見銀山を訪ねたときは,石見銀山資料館(大森代官所跡)から大森地区の街並みを抜けて龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ:間歩とは銀を掘った坑道のことです)までの約3km(往復約6km)を歩きました。行きは基本的に上りですから,荷物を持ちながら歩くにはちょっときつい道のりでした。世界遺産登録当初,来訪者はすべて徒歩で間歩と呼ばれる鉱山跡まで向かうしか手段がなかったのですが,往復6kmを超える行程はかなりの負担であるため,写真にあるような自転車(レンタサイクル)やベロタクシー(写真7)が用意されています。
 写真7 これがベロタクシー

初乗り500m300円(子供200円)。100m超えるごとに50円(子供30円)が上乗せされます。走行中の観光ガイドはオプションで,1300円だとか。。。ちなみに自転車は4時間で300円が基本だそうです。

写真8 ボランティアガイドの方による説明

2000年に「石見銀山ガイドの会」が地元の有志の方々によって結成されています。50名ほどの方々が,石見銀山に関する見識を高め,ボランティアとしての活動を続けてきました。会の発足当初は無償ボランティアガイドとして活動していましたが,「プロのガイド」としての責任と誇りをもって活動に取り組むことを目的に,2006年から有償でのガイド活動へと新たなステップを踏み出しています。

参照URL:石見銀山ガイドの会 http://iwamiginzan-guide.jp/

写真9 龍源寺間歩の入り口

江戸時代中期に,代官所直営の間歩(御直山)として創業されたものです。発掘調査の結果,石見銀山地区には約600ヶ所の間歩が見つかっているとのことです。

写真10 新たな経済活動が展開

世界遺産登録後,来訪者が増加したことを受けて,地元の若い住民が集り,カフェがオープンしたり,土産物店が増加したりしているようです。世界遺産登録後には寝る時間もないほど多忙な生活を送った土産物店の方もいたとのことでした。

写真11 地元食材を活用した「石見ポーク丼」

「ジューすぃ とろーり」の謳い文句に誘われて思わず注文してしまいました。確かに美味!地元食材の活用を通して地域農業の活性化が期待されるところです。

写真12  世界遺産登録の効果は継続するのか・・・?!

島根県,大田市,大森地区をはじめ,世界遺産登録を目指した諸活動が功を奏し,登録にこぎつけました。その効果は石見銀山への観光入り込み客数の増加(2006年:約40万人→2007年:約71.4万人→2008年約81.3万人)につながり,各種の経済効果が生まれました。しかし,『週刊 山陰経済ウィークリー』2009818日号では「ブーム去って観光客数に陰り」と題した特集が組まれています。地域経済の活性化効果を持続させるための新たな仕掛けのあり方が問われているようです。

20098月 宮地忠幸撮影)

                                           

                                              

今月の地理写真バックナンバー