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VOL.20-03  2018年3月

  「京王線沿線の不思議と謎(4)

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今回は府中を取り上げる(図1)。府中は国府と同義であり、いうまでもなく武蔵国国府である。写真Aは国の中心となる役所である国衙の一部復元であり、市街各所での発掘調査などにより国府の全貌解明が進められている。国府は都から全国各地を結ぶ官道でつながっている。武蔵国府は東海道が通じていたが、古代では東山道がより重要な幹線であったため、東山道につながる道もあり、これを東山道武蔵路という。国分寺市内ではこの東山道武蔵路の一部を現在の道路面に保存しているところがある。写真Bの広い歩道はそれであり、両側の溝の部分が黄色のカラー舗装がなされている。
     
図 1   写真 A
     

写真 B

  写真 C
 国衙の西側には大國魂神社がある(写真C)。起源を西暦111年とする古社で、国府の時代以前から既にあった(本書p.24)。その参道は「馬場大門けやき道」(写真D)で平安時代に源頼義・義家父子の寄進に始まるという。この参道脇に当たる場所に京王電車の府中停留所があり(図1)、現在の府中駅の場所となる。大國魂神社では、4月30日から5月6日まで「くらやみ祭」が開催される。鳥居前の甲州街道を西に進むと、南北の街道と交差する(写真E)。ここが近世の札の辻で、左手に高札場、右手に問屋場があった。右手の古い商家は中久本店で現在も全国から地酒ファンが集まるという店である。左手の高札場(写真F)の内側は大國魂神社の御旅所で「くらやみ祭」の際に暗闇の中を巡る神輿の往復場所となる。
 

写真 D

  写真 E 
 
写真 F

写真 G

図1で南北に通じている下河原貨物線は東京砂利鉄道として1910(明治43)年に開通し、府中で最初の鉄道であった。京王線も調布の多摩川で砂利採取し東京へ輸送する鉄道として始まった(本書p.118)。京王線は旅客輸送主体となったが、下河原線は貨物線のまま廃止され、現在は緑道となっている(写真G)。写真Hは、旧下河原線の緑道から交差する南武線を見下ろしたところである。図1中には南武線は無く、南武鉄道(現、南武線)の開通は1928(昭和3)年で後年の開業である。にもかかわらず、南武線が下を走っているのは、府中崖線沿いに南武線が通り、下河原線(緑道)が台地上から低地に下っているためである。南武線の右手の崖の上には高安寺がある。立派な山門(写真I)がある同寺は足利尊氏の再建といわれる。
     

写真 H

写真
 本書:『京王線井の頭線沿線の不思議と謎』(じっぴコンパクト新書)2015/9発行

 図1:2万5千分の1地形図「府中」「豊田」(大正10年)の一部

(写真A・C〜Iは20182月、Bは20153月、いずれも岡島 建撮影)

                                              

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