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VOL.24-03
  2022年03月

  パリのセーヌ河岸 2

内田 順文


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 2021年7月に紹介したVOL.23-07「パリのセーヌ河岸1」のつづきになります。2021年7月に紹介したVOL.23-07「パリのセーヌ河岸1」のつづきになります。前回はシテ島の対岸にあるルーブル美術館までの紹介でした。
 

 
写真1 チュイルリー公園、ロンの大噴水から見たルーブル宮殿    写真2 レオポール・セダール・サンゴール橋より、オルセー美術館    
     
 ルーブル宮殿(現:ルーブル美術館)の西にはカルーゼルの凱旋門を挟んでチュイルリー公園が広がります(写真1)。チュイルリー公園からセーヌ川を挟んだ向かい側にあるのがオルセー美術館(写真2)で、1900年に開催されたパリ万博のために建造された駅舎を1986年に美術館として改装した建物です(写真3)。
 
 
写真3 オルセー美術館、2階にある「彫刻のテラス」   写真4 コンコルド広場、噴水とオベリスク
     

 チュイルリー公園をさらに西へ進むと、コンコルド広場に出ます。18世紀半ばに「ルイ15世広場」として作られた広場は、フランス革命の際に「革命広場」と改称され、断頭台が置かれてマリー・アントワネットをはじめ多くの人々が処刑された場所でもあります。その後「調和」を意味する現在の名称になり、1836年にはエジプトのルクソール神殿にあったオベリスクの1本が移築されました(写真4)。コンコルド広場から南にセーヌ川を渡る橋がコンコルド橋で、対岸には現在フランス国民議会の議事堂として使用されているブルボン宮があります(写真5)。

 
 
写真5 コンコルド橋より、ブルボン宮とエッフェル塔  

写真6 マドレーヌ聖堂  

     

 コンコルド広場から北へロワイヤル通りを歩くとマドレーヌ聖堂があります。ナポレオンによって建設がすすめられた典型的な第一帝政様式(古代ギリシャの神殿ふう)の建物です(写真6)。

 
     

写真7 アレクサンドル3世橋とグラン・パレ     

  写真8 アンヴァリッドになるナポレオンの墓
     
 ふたたびセーヌ河畔に戻りさらに下流へ向かうと、セーヌ川に架かる橋の中でもひときわきらびやかな橋に出ます。アレクサンドル3世橋です(写真7)。北岸にあるのは、1900年のパリ万博の展示場として建設されたグラン・パレです。アレクサンドル3世橋の南側にはアンヴァリッド(廃兵院)があり、現在ここの地下にはナポレオンの棺が安置されています(写真8)。
 

写真9 アルマ橋より、ドゥビィー歩道橋とエッフェル塔   

 

写真10 シャイヨー宮とトロカデロ庭園

     
 アレクサンドル3世橋に戻って再びセーヌ川沿いに遊歩道を歩くと、やがて対岸にエッフェル塔が見えてきます(写真9)。エッフェル塔はフランス革命百周年を記念して開催された1889年パリ万博のシンボルとして建設された鉄塔です。300メートルという高さは当時の世界一で、あまり知られていませんが建設当初はパリの景観を損ねるという理由から建設に反対する意見も多く、解体か存続かを巡って物議をかもしました。エッフェル塔からセーヌ河を挟んで北側に位置するシャイヨー宮は1937年のパリ万博の会場として建設された建物で、エッフェル塔やパリ市街を眺める定番の場所となっています(写真10)。
 

写真11 イエナ橋より、エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園   

 

写真12 陸軍士官学校

     
 エッフェル塔の南側にあるシャン・ド・マルス公園は、かつて複数の万国博の会場となった練兵場の跡地で(写真11)、その南端には新古典主義建築を代表する建物で、若き日のナポレオンも学んだ陸軍士官学校があります(写真12)。  
     
   
写真13 エトワール凱旋門より、エッフェル塔のライトアップ
     

 シャイヨー宮の北東に位置するエトワール広場の凱旋門は世界遺産には登録されていませんが、凱旋門の屋上から望むエッフェル塔の風景はパリを代表する風景となっています(写真13)

(2019年 内田順文 撮影) 

                                              

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