いまサンゴ礁でおきていること 

文学部地理学教室  長谷川 均

 サンゴの白化がおきた

夏から秋にかけて、新聞やテレビで報道されたサンゴの白化現象をご存じの方も多いと思います。八月から九月にかけて、沖縄の石垣島で調査をしていた私たちのグループも、じつはこの騒動のまっただ中にいました。ことの始まりは、一通の電子メールです。沖縄本島で、海底を覆っている色とりどりの造礁サンゴが真っ白に変わる「白化現象」が広い範囲で発生しつつあるというメールが、日本サンゴ礁学会のメイリングリストに流れました。石垣島白保サンゴ礁で、学術ボランティアとして調査していた私たちのグループ(NGO、研究者)も、同様の現象を観察し調査方法を巡って議論しているところでした。そこで、海辺の集落にある自然保護団体のプレハブ研究室から、とりあえず観察結果と海底の写真を本学のネットワークを経由して発信しました。その直後から、奄美、モルジブやインドネシアでも広範な白化現象が起きているという情報が、メイリングリストなどを通じてまたたく間に研究者の間を飛び交いました。マスコミ関係者は、このての学術ネットをマークしているらしく、それからしばらく、グループの一人はもっぱら広報担当の仕事をするはめになってしまいまし た。

 

生物が作る地形がサンゴ礁

九十七年は国際サンゴ礁年でした。リーフチェックという、世界中でサンゴ礁の健康診断をする試みもあり、私も日本隊のチームサイエンティストとして参加しました。しかし、本紙の読者をはじめ一般の方々には、サンゴ礁が何なのかというのはあまり知られていないと思います。そこで少しだけ、サンゴとサンゴ礁の話をしてみます。

サンゴ礁は、地球上の生物がつくる最大の構造物です。サンゴ礁をつくるサンゴは造礁サンゴとよばる動物で、深い海に棲む宝石サンゴと区別されます。造礁サンゴは褐虫藻という共生藻類を体内に住まわせ、それらが光合成でつくる栄養分をもらって成長します。年間に数センチも成長するものもいます。サンゴ礁の海が浅いのは、褐虫藻が光を必要とするためなのです。

サンゴ礁は、この造礁サンゴや石灰分を分泌する生物の遺骸が、厚く堆積してできたものです。サンゴ礁の浜辺が白くみえるのは、砂や石ころが石灰分をもつ生物の遺骸からできているからです。そして、光と色とりどりの生き物にあふれるサンゴ礁の下層には、サンゴ礁に棲んでいた生物の遺骸が累々と重なり積もっています。

サンゴはごく表面の部分だけが生きており、たとえば枝状サンゴを折れば、なかからは白い石灰分の骨格があらわれます。造礁サンゴの表面には無数のサンゴ(直径一ミリ程度の石質のイソギンチャクがビッシリ付いているとイメージしてください)と、その体内に棲み着くこれまた無数の褐虫藻がいるわけですが、この褐虫藻がサンゴから抜け出すと、サンゴ本来の色が現れます。これが白化とよばれる現象です。サンゴだけでなく、褐虫藻の宿主となるイソギンチャクや貝類の一部分も白化していました。白化が長引き、褐虫藻が戻らなければ、栄養をもらって生きてきたサンゴは死に、すみかを失った魚も去り、光あふれるサンゴ礁はガレキの海に変わります。 



サンゴ白化の原因

じつは南半球のサンゴ礁では九十七年頃から、広範な白化現象が観察されていました。このような情報も、最近では研究者間を結ぶ電子メールで瞬時に世界中に伝わります。ちょうどこの頃、太平洋の東端でエルニーニョが起こっており、このふたつの関連を結びつけた報道も見られましたが、白化現象の原因を特定するのは簡単ではありません。また、なぜ世界中で時を同じくして白化が起こったか、これもまた判りません。サンゴから褐虫藻が抜け出す(サンゴが吐き出すといった方が正確かも知れませんが)原因は様々です。サンゴの生息に適する海水温度は二五〜二八度くらいといわれますが、海水温が低すぎたり高すぎたりすると褐虫藻は抜け出します。雨の後に陸から淡水や濁水が大量に流れ込んでも同様です。雨の多い亜熱帯という、サンゴ生息の北限にあたる琉球列島では、つねに厳しい環境の中でサンゴは生きていると予想されます。

では今年、琉球列島で起こったサンゴ礁の白化といっても良いほどの,大規模なサンゴ白化の原因は何だったのでしょうか。多くの研究者の見解は、高い海水温の持続に原因があるというものでした。今年の夏、本土では梅雨が明けないまま秋になってしまいましたが、琉球列島では晴天が続き離島ではかんばつが起きていました。そのうえ台風がまったく接近せず、海水の撹乱が起こらなかったことから、水深数メートルにあるサンゴ礁の浅海域では、海水の温度がどんどん上昇していったのでした。これによって多くのサンゴが白化したというのです。しかし、石垣島では白化の前兆は既に梅雨期にあったと思われます。石垣島で起こった今回の白化は、例年の二倍近い降水に伴う梅雨期の表土の流出と、その後の高い海水温の影響が複合したのが原因だと私たちは考えています。俗っぽいいい方をすれば、ダブルパンチをサンゴ礁は受けたのです。

石垣島では、二十年以上に渡り土地改良事業や大規模な土地改変が続き、丘は削られ谷は埋められて、主に畑地が増やされました。その結果、水田や原野が失われて広大な「優良農地」が生まれたのです。しかし、平坦な農地からは、降雨のたびに亜熱帯特有の赤い表土が海へ流出する現象が、日常的にみられるようになりました。大量の化学肥料が表土とともにサンゴ礁に流れ込み、生態系の変化も起こっているようです。

白化でサンゴが死滅とか、サンゴ礁が壊滅したなどと書き立てたマスコミもありました。しかし、私はかなり楽観しています。サンゴ礁環境が健全であれば、サンゴの景観は数年もすれば戻るでしょう。ただしという条件が付きます。それは、サンゴ礁環境がこれ以上悪化しなければということです。 



なぜサンゴ礁を守らなければならないか

私たちが、十年以上もフィールドにしている石垣島白保サンゴ礁を、世界遺産に申請しようという動きや、国立公園に組み込もうという動きがあります。しかし、サンゴ礁だけを保護しても意味がありません。麦わら帽子のつばのように島々を取り巻くサンゴ礁は、陸によって生かされています。その理由は、ここまで読んでいただければわかると思います。海だけを守ろうとしても、それはほとんど意味のないことなのです。

今年は、海水温度の一時的な上昇などが原因で、サンゴが白化しました。これをマスコミが一大事だと騒ぎ立てたことは、サンゴ礁の重要さを認識してもらうよいきっかけになったかもしれません。しかし、サンゴ礁に隣接する陸域の環境悪化やダイバーと観光客によるオーバーユースも、サンゴにとってよほど重要で深刻な問題なのです。サンゴ礁は美しいというだけで守る価値があるのですが、美しさはサンゴ礁の価値の一部分にすぎません。サンゴ礁を持つ国は世界に百カ国以上ありますが、サンゴ礁は沿岸の土地を海の侵食から守ることで計り知れない恩恵をもたらしています。また、健康なサンゴ礁は海洋でもっとも生産性の高い場所にあたり、世界中のサンゴ礁で捕れる魚は、人間の食用に供される量の約十分の一にのぼると試算されています。さらにサンゴ礁は、地球最古の生態系で約5億年の歴史を持っており、非常に複雑な生態系の中に生命体が密集する場所なのです。そこからは、独特の薬品が大量に生まれる可能性があると期待されています。ところがサンゴ礁の自然は簡単に壊れてしまいます。その原因の大部分は人間が絡んでいることも、わすれないでおいてくださ い。サンゴ礁はガラスの城なのです。 




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