古今書院より転載許可済み。
雑誌「地理」 1995年9号  特集 「八重山 島の社会を考える」 掲載 
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八重山の海は今  新しいくらしと環境保全

長谷川 均

 筆者がここ数年関わってきたのは、石垣島周辺のサンゴ礁環境調査である。島を取りまく幅数百メートル程の礁池(方言でイノーとよぶ)という浅瀬のサンゴが、どのくらいの割合で生き残っているかを調べてきた。世の中は地球環境問題で沸き、サンゴは二酸化炭素を固定するとかしないとかいう仕事には、この国も気前がいい。当方の調査は自然保護団体から援助を受けてのつましい調査で、たいして金もかからない。しかし、ありがたいことにつましい調査なりのネットワークが出来上がり、たそがれ時の浜辺や民宿の軒下で培った酔っぱらい人脈に助けられて小文がまとまった。

 

石垣島の新空港問題

 石垣島にとってこの十五年来の大騒動である新空港建設問題は、未だに最終決着をみていない。最近本土ではマスコミに登場することも少なく、若い読者の中には知らない人も多いだろう。石垣島の南東部にある白保(しらほ)がこれまで新空港問題の舞台だった。もっともここ二〜三年は、椎名誠作品「うみ・そら・さんごのいいつたえ」のロケ地ということで、多くの若者や家族連れが白保を訪れる。この人口二千に満たない小さな集落の目の前の海が、一九七九年の春、石垣島新空港の建設予定地として決定された。サンゴ礁の浅瀬は埋め立てやすいので、沖縄本島や離島でも最初に開発の手が付けられる場所のひとつである。

 新空港予定地は、貴重なサンゴ礁生態系がみられる沖縄でも数少ない海であるため、世界的な支援を受けた反対運動が起こった。その結果予定地は二転三転し、白保案の一部修正、白保案断念、その後実際には一キロほどしか離れていない「四キロ北方のカラ岳案」を経て、サンゴ礁埋め立てに批判的な新知事と新市長が支持した内陸の「宮良案」で落ちつくかに見えた。しかしここでも反対運動がおこり、十五年を経て未だに候補地選びの段階で足踏みしている。 複数の候補地から白保海上案に決定する際、優先順位を非科学的な根拠に基づく「○△×」の三段階で示したり、候補地をめぐる土地転がし問題が明らかになったりと、空港をつくる必然性が十分検証されないまま、とにかく建設ゴーサインを出してしまったツケがまわったかたちになっている。新空港は一九八八年完成予定だったが、計画が遅れたことで大型空港建設の根拠とされた「航空需要増大という予測」が実績とかけ離れた予測であったことが判明し、建設の表向きの理由さえ揺るぎかけている。この間の経緯については、本誌でもふれられたことがあるし(一)、参考文献に 示したような反対運動の立場にいた人がまとめた本(二)(三)(四)(五)(六)や、行政側に近い立場にいた人が著したもの(七)がある。

 

   建設反対運動は貴重な自然を守るということで、世界的な支援を受けたのだが、白保の住民が一貫して反対してこれたのは「どんな世の中になっても、海さえ健やかなままなら、海にすがって命だけは必ず守っていける」という「命つぎの海」を守るという一念と、住民の意志を無視し続けてきた権力に対する怒りがあるからだ。また、反対運動の中心が戦争を経験してきたお年寄りたちで、新空港の軍事利用を常に心配しているという点も沖縄・白保の特徴である。何れにしても、白保の海を候補地から外させたことは、白保住民を中心とした海と生活を守り抜こうという純粋な運動が、国際世論までも味方に付け、地域開発に名を借りた利権政治を打ち負かしたという見方ができよう。

 しかし、人口二千人弱の血縁・地縁でつながる狭い集落の中で、住民は賛成か反対か、あるいは両方に手を挙げるという苦しい選択を迫られ、豊年祭をはじめとする村の重要な行事を取り仕切る自治組織である「公民館」の分裂(行政側が建設促進派に手を貸して分裂させた)さえ経験しながら、反対運動を貫徹してきた。この間の経緯をまとめた鵜飼(一九九二)の言葉を引用すれば「ムラの分裂が村人の危機意識を高め、経済的には崩れつつある共同体の生活を、精神的基盤を再結束させることになった」のである。しかし、親戚や親族の中にさえ対立構造をつくらされた住民の心の傷は簡単に癒えるものではない。

 

石垣島周辺のサンゴ礁環境

 筆者が初めて八重山諸島を訪れたのは一九八一年の春、石垣島白保の海を見たのは岡山大学の高橋達郎先生の「サンゴ礁夏の学校」に参加した一九八三年だった。その後話題になった北半球最大のアオサンゴの大群落を世に紹介したのが、この調査の成果のひとつである。

 その後十二年間の白保サンゴ礁の様変わりは甚だしい。年に二、三回しか訪れる機会が無いことがむしろ、変わりざまの大きさを実感させるのかも知れない。筆者が初めて訪れた頃、すでに石西礁湖のサンゴはオニヒトデで壊滅状態だった。しかし、白保は生き延びていた。十二年前の白保の礁原は、潮が満ちてきたら抜け出せないほど、エダサンゴが密集した迷路のような部分が随所にあった。サンゴの密集地帯から抜けだすには雪原を歩くように、ズブズブ埋まる脚を持ち上げながらの歩行であった。それこそスネを傷だらけにしなければならなかった。サンゴ礁環境調査で、三重大学の目崎茂和教授に誘ってもらい、六年前ぶりに訪れた白保にはすでにそのような場所はありそうになかった。それでもこの海は、死滅してゆく日本のサンゴ礁礁池の最後の砦というような扱いをされていたし、実際のところそうであった。それ以来毎年見ているが、サンゴやサンゴ礁はだんだん元気を失っていくようである。

  一九八九年と一九九四年、長い間沖縄各地の海でサンゴ礁の変化を観察し続けてきた(八)吉嶺全二氏の提案と世界自然保護基金日本委員会(WWFJ)の援助を受け、目崎教授を中心とするグループが石垣島周辺のサンゴ礁環境調査を実施した(図一)(九)。この調査は礁池を中心に、二十数カ所で一定の時間内に数人の調査員が生きたサンゴの被覆度を目視観察し、サンゴの種類を数え、写真やビデオに記録する方法がとられた。短時間に多くの地点を調べるので、定性的な手法になってしまうが広い範囲を比較するには、今のところこの様なやりかたしかない。

  図一の、宮良から大里付近までの幅約一キロ、全長十二キロ程の範囲が白保サンゴ礁とよばれている。五年間の変化をみると、集落のないところ、道路がないところ、原野のまま、あるいは廃村の前の海というように、人の行かない場所では相変わらず素晴らしいサンゴ礁景観がみられたり、サンゴの再生が著しい。ところが、白保サンゴ礁では被覆度が低下している。

 このような変化が起こった地点は、最近になって陸からの赤土流出が確認され、浅海底に堆積が確認されている場所やその縁辺部にあたる。赤土流出後、時には広い範囲でサンゴの白化現象(写真一)が起きやがてサンゴは死んでゆく。被覆度低下の原因の全てを、赤土の影響と短絡的に結びつけるわけにはいかないが、おそらく日常的な垂れ流し状態にある赤土の影響がいちばん大きいのではないかと予想される。

 

赤土流出とサンゴ礁の環境悪化 

  八重山諸島における赤土流出は農地造成工事に伴うものや、造成後の畑から流れ出すものが大部分である。梅雨期や台風時に限らず、まとまった雨があると必ず赤土が流出する。赤土の流出で海が染まることはもはや珍しいことではなく、日常的に起こっているといってよい(写真二、三)。特に台風の時には礁池から溢れ出た濁水で、沖合い数百メートルの礁嶺という高まりに砕ける外洋からの“白波”が赤く見えることもある。沖縄の土壌は表土が少ないので、圃場整備の際には表面を大きく撹乱してしまう。これが流れ出す赤土の元になるわけだが、赤土が流れ出るように圃場をつくってしまっているという見方もできよう。

 

  白保サンゴ礁の中央部へ流れ込む轟川河口には、赤土の少ない海域の実に八〇〇倍の赤土が堆積している(渡久山、一九九五年)(十)。轟川は全長三キロ、流域面積十二平方キロほどの小河川である。この流域の八割は畑地や牧草地であるが、広い面積を占める畑地でマルチング(敷草)などによって表土の流出を防止する対策がとられているところは一カ所もなかったという報告がある。マルチングは効果的な流出防止策として広く知られているが、人手不足やその手間が農家の収入につながらないことが、積極的な防止策の実施にいたらない理由である。

 

石西礁湖におけるサンゴの再生状況

健全なサンゴ礁礁池は、生きたサンゴもおり、死んだサンゴもいる、一時間ほど泳ぎ回ればオニヒトデもいてサンゴを食っているのを見ることができるという状態ではないだろうか。そして生サンゴの被覆度でいえば五十から七五パーセントもあれば、見事なサンゴ礁の景観といえるだろう。

 石垣島と西表島の間に広がる石西礁湖(写真四)では、一九七四、五年頃オニヒトデのが大発生が始まり、一九八〇〜八三年頃にはほぼ全域でサンゴが死滅した。一九七〇年から八三年まで沖縄県全体では6億円を使って一三〇〇万匹のオニヒトデを駆除したといわれているが、これが逆に間引き効果をうみ自然のサイクルの周期が引き伸ばされたことで大発生を長引かせたという見方もある。

 大発生の原因はわからない。しかし、梅雨の時期の集中豪雨や台風によって、陸域から大量の土砂が流出した後二〜三年で大発生するというグァム大学バークランド教授の説がある。彼は、陸域から供給される土砂の中に、オニヒトデの成長を助長する栄養源が含まれていると考えている。土砂はサンゴのポリプに入って窒息死させるが、オニヒトデにとっては有利に働くと説明されている。オニヒトデ駆除に補助金を出し、駆除数を正確に記録している日本のデータを使って、彼はこの説を組み立てた。

 石西礁湖のオニヒトデに食われた海域では、サンゴの死骸が瓦礫となり魚がいなくなり、漁業に深刻な影響を与えている。そこで最近では、サンゴの移植が試みられている。これは、適当な大きさに折ったサンゴを水中ボンドで岩盤に接着してやるというものだ。このような積極的なやりかたで移植が始まったのは一九九〇年からで、九四年だけでも二万本近くのサンゴ片が移植された。

 

  一方、一度はほとんど全域で死滅したサンゴも、一九九二以降急速に分布域が広がり始めたが、再生状況には地域差がある(十一)。かつて生息できた場所も赤土流出など何らかの環境変化が生じていることが考えられる。したがって人の手で移植したサンゴも、その全てが生き延びて大群落を再生するということにはならないだろうが、移植したサンゴの成長には漁業関係者の期待がかかっている。サンゴも気が重いことだろう。 


自然を守れとは言い出しにくい

  リゾート法施行後、人口4万人ばかりの石垣島に建設・計画中のゴルフ場が七カ所もあった。さすがに今の景気では、このような派手な話はなりをひそめたが、農業基盤事業に伴う自然破壊の森や林の消滅、農業用水確保のためのダムの建設など、公共事業は矢継ぎばやである。これらが赤土の流出をいっそう増やすのは間違いない。石垣市では赤土対策の部署を設置したが、一方では土木工事にも熱心で、社会構造を変えない限りこの矛盾は解決しない。新空港建設に関しては、何れの代替地に空港をつくろうとも、大規模な土木工事に伴うサンゴ礁の埋め立てや赤土流出により直接的、間接的に自然に大きなダメージを与えることは避けられない。
 

  このような中で、自然保護や環境保全に熱心な市民グループもある。しかし、「環境保全を訴えてきた、島唯一の自然保護派議員」という旗印でかろうじて議席を持っていた人も、昨年の選挙では落選してしまった。自然保護派が落選したからといって自然保護に関心をよせる人が少ないということではないが、現状は教職経験者や自然に関心をよせる人たちのサロン的な集まりに止まっているといえるのではないだろうか。

 

  「いろいろな問題が持ち上がる度に表立って反対運動ができるのは、外部から来て住み着いた人たち。“認識がない、知識がない、意識がないのないないずくめで、あるのは島のしがらみ社会”がんじがらめになっている。心配している島の連中も、すみついたヤマトンチュウ(本土の人)に「何とか頑張ってくださいねぇ」というばかり・・・」と電話の向こうで島の知人が自嘲気味に話している。

 

  公共事業の中身の検討、たこの足を食いつぶしてゆくような開発のあり方にはずっと批判が続いている。よそではリゾート法による馬鹿騒ぎが、はじけたバブルと共に萎んだのに、石垣島ではそれでもリゾート開発にすがりたいという島の経済事情の悪さ。八方ふさがりでめざすべき道さえ見つけられない。新空港建設促進派がぶちあげて、一時話題になった「自然破壊は開発への原動力」という、ある業界や行政の一部の本音を象徴するスローガンが、またぞろオモテへ出てきそうな状況下では、島社会の中枢を担う人たちの間に、自然保護派は圧倒的少数かゼロかというところだろう。 



これからのサンゴ礁保全

  WWFJと沖縄県が中心となって、白保に「サンゴ礁保護研究センター」の建設が決まった。このセンターの具体的な構想は今のところ明らかにされていないが、サンゴ礁利用の基本線を示すような提言もしたいようである。サンゴ礁の利用と保全に関しては、グレートバリアリーフ海中公園法が有名である。GBRでは一般利用区域、緩衝区域、保全区域など何段階もの区域分けを設定し、研究活動や漁業さえも規制する保護対策が策定されている。白保ではこのような徹底的な規制はできないしすべきではない。なぜなら、海は古くからの生活の場であり、持続可能な利用をしてきた人たちの知恵や努力を無視したやり方は考えられないからである。しかし一方で、大石武一氏の尾瀬に関する最近の発言を借りれば「やじ馬的な観光客の激増によるオーバーユース」がやはり白保でも問題になりつつある。泳ぎに慣れない人が大勢遊びにきては、足ヒレでサンゴを損傷するのである。また、見学者を連れてくるボートのアンカーによる損傷も起きている。

  サンゴ礁をいかにうまく見せるか、地元住民との交流、ボランティアの育成・・・これらが機能しなければ、世界中の支援を受けて戦い抜いた白保につくる意味が半減する。また、地元の人が寄りつかない施設では困る。サンゴ礁で遊んだ後は、浜に集まるお年寄りと木陰で一緒に酒を飲んで話を聞く、お年寄りもそれが楽しみという今の雰囲気は残したい。やがて白保サンゴ礁のブームが去り、今までどおり静かで落ちついた白保に戻った時、人の寄りつかない建物だけが残ってしまったということのないように、地元の人を取り込んだ構想作りが望まれる。

 

〔文献〕

(一)目崎茂和(一九九〇)地球環境危機の中のサンゴ礁 地理 三五ー一 六七ー七三

(二)小橋川共男・目崎茂和(一九八八)『サンゴの海』 一二二頁 高文研

(三)杉岡碩夫(一九八九)『新石垣空港』 一九六頁 技術と人間

(四)野池元基(一九九〇)『サンゴの海に生きる』 二四九頁 農文協

(五)(財)日本自然保護協会(一九九一)『新石垣空港建設がサンゴ礁生態系に与える影響』一一九頁

(六)鵜飼照喜(一九九二)『沖縄・巨大開発の論理と批判』 一九一頁 社会評論社

(七)白井祥平(一九八九)『サンゴ保護と新空港』 一三〇頁 海洋企画

(八)吉嶺全二(一九九一)『海は泣いている 赤土汚染とサンゴの海』 一二七頁 高文研

(九)目崎茂和(一九九五)白保サンゴ礁の現状 WWFネイチャーシリーズA『白保のサンゴ礁』 二四ー二五

(十)渡久山章(一九九五)白保サンゴ礁と赤土流出 WWFネイチャーシリーズA『白保のサンゴ礁』 二八ー二九

(十一)森 美枝(一九九五) 石西礁湖におけるイシサンゴ類とオニヒトデの推移 海中公園情報 一〇七 十ー十五

 

なお、(財)日本自然保護協会が作成・販売したビデオ『サンゴ礁がはぐくむ島 亜熱帯の自然・石垣島』(一九九四、定価五千円)は現在の島の様子をよく伝えている。

 

図表の解説

 

図一 石垣島周辺サンゴ礁の生サンゴ被覆度の変化

(WWFネイチャーシリーズA『白保のサンゴ礁』より引用)

写真一 赤土流出後白化したエダサンゴ (白保サンゴ礁にて一九九四年六月撮影)。

大量に流れ込んだ赤土や淡水の影響で、サンゴに共生する藻類が逃げ出し白化してしまったサンゴ。
この状態が続くとやがてサンゴは死んでゆく。


写真二 河口から流出した赤土を含んだ淡水が、急速にサンゴ礁の中へ広がってゆく様子。
降雨後2、3時間でこの様になってしまう(白保サンゴ礁で一九九四年六月撮影)


写真三 河口の干潟表面に堆積した赤土。降雨の翌日に撮影した
(白保サンゴ礁南端、宮良湾で一九九四年六月撮影)。



写真四 石西礁湖の衛星画像(画像処理:国士舘大学地理学教室)
右が石垣島、左が西表島中央部の島は、時計回りに竹富島、黒島、新城島、小浜島。
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